偵察の結果─青村多摩川ダンジョン─
青村多摩川ダンジョンに入った翌日、祥吾は昼近くに目覚めた。昨日はダンジョンから出たのが午前1時頃と日付を思いきり跨いでいたせいもあり、寝る時間が遅かったのだ。
朝食を省略して昼食を食べた祥吾は自室に戻って寝転がる。満腹感のせいで再び眠くなっていた。そんなときにスマートフォンの電話の呼び出し音が鳴る。
「クリュス? どうしたんだ?」
『昨日のダンジョンについての話をしたいから、今からそちらに行っていいかしら?』
「いいぞ」
『眠そうな声ね』
「寝かかっていたからな。今日を休みにして正解だったよ」
約束をしてから電話を切った祥吾はスマートフォンを手放した。そうして再び目を閉じる。あっという間に意識が落ちた。
次に目が覚めたとき、祥吾は自分の頬を突かれていることに気付く。目を開けていると楽しそうな顔をしたクリュスが指を伸ばして突き出してきた。
大きくあくびをした祥吾が起き上がるとクリュスが呆れたように話しかけてくる。
「約束したのに寝ているなんて困ったものね」
「眠いものは眠いんだから仕方ないだろう。そいうお前は平気なのか?」
「朝の間はずっと眠っていたから平気よ。祥吾は眠り足りなさそうね」
「今ならいくらでも眠れるぞ」
「魔物を倒したら疲れが癒えるんじゃなかったの?」
「ダンジョンを出てからは魔物を倒していないからな。寝るのが遅かった分だけ眠いんだ」
勝手に座布団を引っぱり出してきて座っているクリュスを見ながら祥吾は立ち上がって背伸びをした。それから学習机の椅子を引っぱり出して、それを反対にして座る。
「昨日の青村多摩川ダンジョンだが、さすがに大量放出前というだけあって魔物の数が多かったな。稼ぐには悪くなさそうなんだが」
「ダンジョンの核がある部屋を目指す私たちにとっては迷惑な話よね」
「俺たちは昨日、地下5層に降りたところで引き返したが、あの時点で8時間かかっていたんだよな。往復だと16時間。そりゃ日付変更線も越えて当然だ」
「あのダンジョンは全部で8層だから、理論上は同じ時間をかけて踏破出来そうなんだけれども」
「実際は違うだろう。地下5層以下は湿地帯で足が取られるから、間違いなく石の河原よりも進むのに時間がかかる」
最後に地下5層へ降りたときのことを祥吾は思い返した。程よく水分を含んだ泥は踏み入れた足に絡み付き、引っこ抜くだけでも厄介だ。魔物の数の件がなくても、進むのに地下4層以上よりかは時間がかかるだろう。
また、あの湿地帯の嫌らしいところは休憩しにくい点だ。土手の部分でさえも湿気を帯びていて座れない。祥吾は能力があるので疲労については回復方法が別にあるが、クリュスはそうもいかない。探索が長引くにつれて疲労が蓄積するといずれ致命的なことが起きかねなかった。
しばらく黙って考えていた2人だったが、やがてクリュスが口を開く。
「地下5層からの湿地帯が厄介ね。魔物の数が普段よりも増えるだけで難易度が跳ね上がるわ」
「よくあることだな。条件がひとつ変化するだけでガラっと環境が変わるってやつだ」
「困ったことに、そこにいる魔物は爬虫類や両生類だから相手の方が有利なのよね」
「昨日は結局戦わなかったが、そうだったな。戦いながら疲れを癒やせる俺1人でも現実的じゃない。他の探索者と協力できたらなぁ」
「私の目的が目的だから今は無理ね。余程信頼できる人でないと」
「探索者の知り合いなんてそもそもほとんどいないしな」
しゃべりながら祥吾は探索者教習で一緒に受講した人たちのことを思い出していた。そこまで信頼できる人は見かけなかったし、そもそも実力の面で全員力不足だ。更には現在神々が同志を鋭意選定中である。応援は期待できそうにない。
「ああそれに、あのダンジョンの核がある部屋の扉は俺じゃ開けられないんだった。だからクリュス抜きだとそもそも攻略しても意味がないんだよな」
「そうだったわね。祥吾も使えたら良かったのに」
「残念ながら魔法は専門外なんだよな、俺」
「結局、私たちは2人で行動しないといけないということね」
「みたいだな。あーくそ、人手がほしいよなぁ」
盛大にため息をついた祥吾が背もたれにのしかかった。
その様子を見ながらクリュスがしゃべる。
「こうなると、青村多摩川ダンジョンは今すぐどうこうできそうにないわね。探索庁監視隊が間引きをするらしいから、その後に入った方がいいわ」
「魔物が減って移動時間が短縮できるのならばまだやりようはあるからな。クリュス、それじゃ間に合わないってことはないよな?」
「神様からはそこまで急げとは言われていないわ。だから大丈夫なはずよ」
「エクスプローラーズによると、あのダンジョンの間引きは明日から1週間か。これはゴールデンウィーク後半までは手出し無用だな」
面白くはないものの、2人は一応の結論を青村多摩川ダンジョンに対して出した。今の自分たちではどうにも難しいので、少し間を置くことにしたのだ。
それまで少し張り詰めていた雰囲気が和らぐと、祥吾が顔を部屋の隅に向けた。そこには大きく膨らんだ袋が置いてある。
「それにしても昨日は大変だったな。深夜には売買施設が閉店しているなんてすっかり忘れていたよ」
「ドロップアイテムよね。私の部屋にも同じくらいのが1袋あるわ」
「あれって結構重たかったが、お前よく持って帰れたな」
「実は魔法を使って体を強化していたから結構軽かったのよね」
「あれ? ダンジョンの外だと魔法が使えなかったんじゃないのか?」
「自分の体内だったら使えるっていう例外を忘れているわよ」
「ああ! そんな裏技を使っていたのか。いいなぁ」
「祥吾も魔法を使えるようになればいいじゃない」
「ちぇっ、気楽に言ってくれるよな。俺にそんな才能がないことを知っているくせに」
口を尖らせた祥吾がつまらなさそうにクリュスへと言い返した。今も憧れているので使えるものならば使いたいとは思っているのだ。
そんな祥吾に対してクリュスが笑顔で話しかける。
「それで、あのドロップアイテムはいつ売るつもりなの?」
「お前がいいっていうのなら、この後どこかの買取店に持って行こうと考えている。次の週末からはゴールデンウィークだが、忙しくなりそうだからな」
「わかったわ。それじゃ」
クリュスが話している途中で祥吾の部屋の扉がノックされた。それからすぐに開かれる。姿を現したのは母親の春子だ。飲み物とお茶菓子が載せられたお盆を持っている。
「お邪魔するわねぇ。お茶でも飲んでくつろいでね、クリュスちゃん」
「ありがとうございます、おば様」
「いつも来てくれているけれど、変なことされていない?」
「何だよ、変なことって」
「大丈夫です。祥吾はそのようなことをしませんから」
「何かあったらすぐ私に言いに来なさいね」
「はい、よろしくお願いします」
「祥吾、あんたクリュスちゃん泣かすようなことをしたらダメだからね」
「2人の頭の中の俺は一体どうなっているんだよ」
楽しそうに話をするクリュスと春子を見ながら祥吾は呆れた。たまに口を挟むがまったく相手にされていない。自室だというのに居心地は最悪だ。
お盆を畳の上に置いた春子は祥吾から見ていやらしい笑い方をしながら部屋を出て行った。後には機嫌の良いクリュスが残され、祥吾に顔を向けてくる。
「相変わらず明るいおば様ね」
「余計なことを言わなきゃいいんだけれどな」
「それじゃ、お茶をいただいた後にドロップアイテムを売りに行きましょう」
この後の予定を提案をしたクリュスはコップに手を出して口を付けた。それからクッキーを摘まむ。
祥吾もそれに合わせてお茶に手を付けた。息を吐き出してからコップの中身を飲み込む。いつも通りのお茶の味だ。
母親の出現で完全に話の流れが変わったことから2人の話題はダンジョンから離れた。今は学校生活についてである。
「祥吾はクラスのお友達とうまくやれているのかしら?」
「それなりにはな。中学からの知り合いにも助けられて何とか。そっちは?」
「付き合いは最低限ね。女子生徒とは最低限のお付き合いをして、男子生徒とは一歩引いた感じかしら。そうだ、祥吾は部活動に参加しないようにしているのよね。どうやったらしつこい勧誘を断れるか教えてくれない?」
「別の部活に入ったって言えば解決するぞ」
「でも、入ったら活動しないといけないでしょう?」
「そうとも限らないぞ。日本じゃ幽霊部員という存在があって」
意外なことで困っていることに驚きつつも、祥吾はクリュスに抜け穴のような切り抜け方を教えた。クリュスは興味深げにその話へ耳を傾ける。部活動が義務づけられている学校ならば特に有効な方法だ。
祥吾は自分の事例をクリュスに説明した。




