仕切り直しの再出発
先月できなかったダンジョン攻略に再挑戦するため、祥吾とクリュスは再び黒岡ダンジョンへと向かった。自転車に装備一式を積み込んで2人揃って探索者協会の黒岡支部にたどり着くと、更衣室で着替える。
2人は専用アプリで黒岡ダンジョンに関する情報を最新のものにして、その上で本部施設の受付カウンターで速報を確認した。これで情報面での不安はない。
建物から出た2人は正門へと向かう。
「今日もダンジョンに異常なしか。今度こそ一番下の階層まで行きたいな」
「そうね。でも、出会う探索者には気を付けないといけないわ」
「また犯罪に巻き込まれたら嫌だもんな。さすがに連続して襲われるとは思いたくない」
「私も思いたくないわ」
話をしている間に2人は分厚い壁をくり抜いたトンネルに入った。すぐに正門へとたどり着き、手前にある自動改札口に探索者カードをかざす。何事もなく通れた。
警戒地区に入ると2人は1本道を歩く。他の探索者パーティも同じ方向へと向かって進んでいた。ダンジョンの入口に到着すると階段を降りる。
正面玄関でダンジョン内を歩く準備を軽く済ませると、タブレットを持ったクリュスの指示に従って祥吾が前を歩いた。この辺りは他の探索者がまだ多い。
約1時間ほどかけて地下2層に降りる階段にまで到達した。ここで祥吾がクリュスのリュックサックから黒猫のタッルスを出してやる。
「にゃぁ」
「ほら、外に出してやるぞ。今日もいい子にしていたな」
リュックサックから出てきたタッルスは祥吾の肩に乗ると頬ずりをして甘えた。祥吾もしばらく撫でてやるとクリュスに渡す。黒猫がその肩に乗ったら準備完了だ。
地下2層へと降りた2人は地図で経路を確認しながら歩く。今回も他の探索者と出会ったが言葉を交わすことはなかった。こちらの方が楽だなと祥吾などは思う。
魔物と罠に関しては特筆すべきことは何もない。黒岡ダンジョンの魔物なら祥吾でも対処できるし、罠は迂回を厭わなければ避けることができるからだ。
こうして2人は地下3層、地下4層と進んでゆく。1層につき約1時間と踏破は順調に進んだ。
2人はいよいよ地下5層に降り立った。周囲の風景はそれまでとは変わらない。振り返った祥吾がクリュスに声をかける。
「この層は罠が厳しくなるんだったよな」
「ええ、魔物の方は上の層と同じだから今まで通りでいいわ」
「よし、それじゃ行くか!」
気合いを入れ直した祥吾は力強く歩き出した。
腹が出っ張った醜い年寄りのような姿の魔物や2本脚で立つ痩身の犬のような姿の魔物も混じる魔物を蹴散らしながら祥吾とクリュスは通路を進む。この階層もまた迷路のように入り組んでいた。ダウンロードした地図があるので迷うことはないが、魔物と罠が組み合わさると厄介なことになる場合がある。もっとはっきりと言うと、魔物が発動させた罠に巻き込まれる場合があるのだ。
あるとき、2人は小鬼と小鬼長と犬鬼が混じった魔物の群れと遭遇した。考えなしに魔物たちは突っ込んでくるが、その中の1匹が落とし穴にはまって盛大に転倒する。これだけなら笑い話で済むが、今度は接敵直後に別の魔物が仕掛け矢を発動させてしまった。祥吾はかすかに耳で捉えた風切り音に反応する。
「うおっ!?」
「ギャッ!?」
危険を察知した祥吾が飛び退いたことで、つばぜり合いをしようとした小鬼長が前のめりに大勢を崩した。その直後、その左肩に矢が刺さる。
絶叫して立ち止まった小鬼長に刺さった矢を見た祥吾は飛んできた方へと目を向けた。ぱっと見ただけではどこから射かけられたのかはわからない。さすがに罠だけあって隠し方が巧妙だ。
このように地下5層ともなると初心者ダンジョンであってもこの程度の難易度にはなる。逆に言うと、これを切り抜けられないようでは他のダンジョンでもあまり通用しない。入れても上層程度であろうし、一般的な難易度で初心者の死傷が多い原因でもある。
魔物をすべて倒した後、祥吾は振り向いた。そして、タブレットを取り出したクリュスに声をかける。
「クリュス、ここからラスボスの部屋まではどのくらいなんだ?」
「10分くらいかしら。もうそれほどかからないわよ」
「大鬼だったよな、確か」
「ええ、この辺りの魔物とは全然違うから気を付けて」
警告された祥吾はうなずいた。通称ラスボスの部屋と呼ばれる守護者の部屋には一般的に他の場所よりも強い敵が現われる。どのくらい強いのかはダンジョン次第だが、この黒岡ダンジョンでは小鬼に対していささか強すぎるという評判だ。ここの普通の新人探索者が最後まで踏破しない原因のひとつである。
小休止してから再び歩き始めた2人はしばらくしてひとつの扉の前で立ち止まった。タブレットに表示される地図を見ると守護者の部屋の扉である。
「次の戦いだったら攻撃魔法を使ってもいいんじゃないのか?」
「そうね。まず見られることもないでしょうから、派手にいこうかしら」
他の探索者から戦っているところを見られることがないことから、クリュスも積極的に戦う意思を表明した。
後衛の意思を確認した祥吾は扉を開ける。縦横約30メートル程度の正方形の部屋の奥には、成人男性の2回り以上大きい巨漢で鋭い牙が口から覗いている鬼の姿があった。半裸状態で腰蓑を巻いており、大きな棍棒を右手に持っている。あれで頭を殴られたら即死する可能性が高い。
2人が部屋に入ると大鬼が叫び声を上げて猛然と突っ込んで来た。作戦も何もない。知能に関しては小鬼など同じ程度である。
クリュスは部屋に入るとすぐに祥吾から離れた。タッルスもクリュスの肩から降りて床を走る。その様子を見ることなく、祥吾は前に進んだ。大鬼との距離がすぐに縮まる。
棍棒を大きく振りかぶった大鬼の目の前まで迫った祥吾は突如横へと身を翻した。次の瞬間に振り下ろされた棍棒が床を叩く鈍い音を耳にする。今度は相手の左横から突っ込むと、両手で持った剣で左脚の腱に叩きつけた。刃は深く食い込み、手応えを感じる。
痛みで叫び声を上げる大鬼が祥吾を睨むものの、脚を損傷したため思うように動けないでいた。それでも体の向きを変えようとする。そこへ今度は後頭部に火の玉がぶつかった。クリュスの火球である。頭部を燃やされた大鬼は棍棒を手放して両手で頭をかきむしった。
暴れる大鬼は厄介だが、こうなるともうまともには動けない。祥吾は残る手足を傷付けた後にとどめを刺した。
部屋の主を倒すとその脇にドロップアイテムが現われる。普段よりも少し大きめの魔石と小さな角だ。
剣を鞘に収めた祥吾がその2つを床から取り上げる。
「ボスを倒した割にドロップアイテムがしょぼいな。これは不人気なわけだ」
「祥吾、お疲れ様。あまり手間はかからなかったわね」
「このくらいならな。それにしても、このドロップアイテムはもう少し何とかならないのかな」
「私に文句を言ってもどうにもならないわよ。ダンジョンが出しているんだから」
「これを見ていると、他のダンジョンでも稼げるのか怪しく思えてくるぞ。ああそういえば、前回入ったときに拾ったドロップアイテムは、結局売り払っていないままだったな」
「次に出たときに今回のとまとめて売却しましょう。それよりも、祥吾」
目で促された祥吾はクリュスの視線の先へと顔を向けた。部屋の奥には先程まで見かけなかった扉が現われている。
「あれが噂の開かずの扉か」
今まで見て来た扉と同一のものを目にした祥吾は何とも言えない表情を浮かべた。
ダンジョンの最奥まで進み、守護者の部屋のラスボスと呼ばれる魔物を倒した探索者はこれまでにも存在する。その者たちは倒した守護者のドロップアイテムを手に入れて地上に帰還しているわけだが、倒したときに部屋の奥の壁にその姿を現す扉の向こうへ進めた者はいない。誰も開けることに成功した者がいないからだ。もちろん誰もがその奥に強い関心を抱いているが、今のところその扉を開ける方法はわからずじまいだった。
祥吾は事前に話を聞いていたので、クリュスがこの扉を開けられることを知っている。しかし、本当に開けられるのかという思いもどこかにあった。例の扉に近づいて開けようとして見るもまったく動かない。
「今からこれを開けるわけか」
「開け方は神様から教えてもらったからすぐに開けられるわよ」
しゃべりながらクリュスが扉に手を触れるのを祥吾は間近で眺めていた。恐らく魔法なのだろうなと思っていると呪文を唱える声を耳にする。
呪文を唱える声が聞こえなくなっても扉には何の変化もなかった。祥吾が訝しげな視線をクリュスに向けると、取っ手に手をかけて扉を開ける様子を見せられる。
祥吾はそれを呆然と見つめた。




