夏休みの活動─世田谷ダンジョン─(6)
本来なら地下10層以下に現われるはずの魔物と地下8層で遭遇した祥吾とクリュスはそれを倒すことができた。上の階層に戻る恵里菜たち4人とその場で別れた2人は地下9層に向かって先に進む。やっとの思いで番人の部屋にたどり着くと、休憩中に黒猫のタッルスをリュックサックから解放した。
ひとしきりタッルスの相手をした祥吾はクリュスに黒猫を渡す。
「にゃぁ」
「また後でな。今はクリュスのところでおとなしくしているんだぞ」
「手を離したらすぐにそっちへ行きそうね」
「これから戦いが始まるんだけれどなぁ」
「牛頭人の相手は大丈夫よね?」
「横田ダンジョンで戦ったことがあるからな。あれと同じなら、前と同じ方法で倒せるだろう。身体強化と魔力付与をかけてもらったんだったか?」
「かけたわね。それと、あのときは魔法で拘束できなかったことを思い出したわ」
「あーあったなぁ。ということは、俺を支援した後は魔法で攻撃か」
「そうなるわね」
ペットボトルの水を飲みながら2人は記憶にあることを口にした。勝ちはしたが、かなり苦労した戦いであったことを思い出す。
しばらく話し合った後、2人は立ち上がった。そうして扉の前に立つ。
扉を開ける前にクリュスが祥吾に対して、その体に身体強化の魔法を、武器に魔力付与の魔法をそれぞれかけた。前回は戦いの最中に順次かけていたが、必要になることはわかっているので今回は最初からである。
「よし、行くか」
「いつでも良いわよ」
「にゃぁ」
足元のタッルスからも声がかかったことに祥吾とクリュスは小さく笑った。それから改めて表情を引き締めると祥吾が取っ手を掴んで扉を開ける。
室内は地下4層の番人の部屋とまったく同じだった。高さ約15メートル、縦横約30メートルの大部屋で奥には階下へと繋がる扉がある。
その手前に身長3メートルほどの牛の頭をした巨人が1体立っていた。非常に発達した筋肉を誇り、腰蓑ひとつでその裸体を晒している。そして、その巨体に見合った人間からすると馬鹿げているとしか思えない長柄の戦斧を右手で持っていた。
牛頭人を目にした祥吾は、そういえば横田ダンジョンでもひとつ前の番人の部屋で戦ったのは上位豚鬼だったことを思い出す。あのときと同じようにたった1体であの集団以上の圧迫感があった。
目が合った番人である魔物が動き出す。それに合わせて祥吾も前に進み出た。
「ヴオオオオオオオ!」
突進してくる牛頭人の雄叫びを祥吾は真正面から受け止めた。その間にクリュスが左横に移動しながら魔法の呪文を唱える。その詠唱が終わると長杖の先から火の矢が現われて飛び出した。
先制はクリュスの魔法かと祥吾は思ったが、目の前にまで迫った牛頭人が左から右へと戦斧を薙ぎ払ったのでそれを避ける。その一瞬後、火の矢が戦斧にぶつかって爆発したのを目にした。魔法も同時に防ぐつもりだったことにすぐ気付く。
強化された体を使って動く祥吾は相手の戦斧が持ち手である右手側に振り抜かれたことを見て左側から攻め入った。刃先全体がぼんやりと淡く輝く槍斧を相手に突き出す。がら空きだったのでいけるかと思った矢先、牛頭人の巧みな重心移動で右後方へと飛ばれて避けられた。
眉を寄せて舌打ちした祥吾だったが、次の瞬間、牛頭人の膝から下が急速に白色へと染まってゆく。霜だ。常人ならこれで身動きは取れない。
しかし、祥吾はそこまで楽観視していなかった。間違いなくこの程度なら目の前の魔物は力技で抜け出してくることを確信する。拘束できて数秒だ。そして、その数秒が今は何よりもほしい。
わずかな間だけ動けなくなった牛頭人の左側へと回り込んだ祥吾は槍斧を振り上げた。狙うは相手の左腕だ。まずは戦闘力を削る。
「ヴオオオオオオオ!」
祥吾は槍斧を振り下ろす直前、牛頭人が霜を強引に破って振り向こうとしたのを目にした。ここで引けば戦斧の攻撃からは確実に逃げられるが、それは振り出しに戻るのと同じだ。そのため、逃げずに手にした武器を振り下ろす。斧の刃は見事相手の左上腕に食い込んで半ばまで切断し、床にぶつかった。
そこへ牛頭人が頭上高く振り上げた戦斧を一気に振り下ろしてきた。脚の凍傷や半ば切れた左腕などの負傷を一切感じさせない一撃だ。
頭上からの殺気に気付いていた祥吾は床を転がって死の一撃を避ける。そこから体を起こしてしゃがんだ姿勢のまま半回転し、その遠心力を利用して槍斧の斧の刃を牛頭人の右アキレス腱へと叩き込む。次の瞬間、アキレス腱が切れる音がした。
有効な一撃を与えられたことに祥吾が口元を歪める。
「よっしゃ!」
「ヴオオオオオオオ!」
痛みのせいか怒りのせいか、牛頭人が咆哮を上げて祥吾へと近づこうとした。しかし、右脚が思うように動かせたいため、ほとんどその場を動けない。
そのとき、祥吾は背後からクリュスに声をかけられる。
「祥吾、一旦下がって!」
何をするのかわからなかった祥吾だったが、指示された通りに牛頭人から離れた。武器を持っていつでも動けるように待機する。
注意深く目の前の様子を窺っていた祥吾は牛頭人の下半身が再び白色へと染まってゆくのを見た。再び霜である。先程は強引に破られてしまった魔法だが、右足を思うように動かせない今ならもはやあがらうこともできない様子である。
「これでもう動けないわ。早くとどめを刺してしまいましょう」
「そうだな。やってしまうか」
大声で吼えつつも下半身を凍り付かせている霜を振りほどこうとする牛頭人の背後に祥吾は回った。そうして首元に槍斧を叩き込む。2回目でようやく静かになった。
魔物を倒したことで体力を回復させた祥吾が背伸びをする。
「はぁ、終わったぁ」
「お疲れ様。相変わらず面倒な魔物ね。簡単には倒れてくれないなんて」
「簡単に倒せたら番人にならないんじゃないのか?」
「そうだけれど、楽な方が良いじゃないの」
「まぁそうなんだが。あーそうか、ドロップアイテムはこれになるよな」
倒した牛頭人の側には、大きめの魔石、角、そして槍斧があった。特にその武器を見て祥吾は顔をしかめる。
「参ったな。さすがに2本もいらないぞ。どうしようか、これ?」
「祥吾がいらないのなら置いていくしかないと思うけれど」
「そうなんだが、せっかくのドロップアイテムなのに持って帰れないというのはなぁ」
「恵里菜たちに部屋の前で待ってもらえたら渡せたかもしれないわね」
「本当ならそういう約束だったんだよな。ああなるほど、どうせ手に入らないのか」
朝一番に分かれた4人組の探索者たちのことを思い出した祥吾はため息をついた。岩熊の件で恵里菜たち4人は上の階層に戻って行ったが、例えそうでなくても約束でこの番人のドロップアイテムは手渡すはずだったのだ。
「で、これはどうするの?」
「魔石と角だけ持っていこう。さすがに槍斧は持っていくのはきつい」
悩んだ末に祥吾はドロップアイテムのひとつを諦めた。まだダンジョンの折り返し地点でしかないので行動の邪魔になる戦利品を持って行くわけにはいかない。こういうときに大型のドロップアイテムは不利だなと強く感じた。
後ろ髪を引かれる思いの祥吾は肩を落として部屋の奥の扉へと向かう。その隣をいつの間にか寄ってきていた黒猫が歩いていた。
後に続くクリュスが祥吾に声をかける。
「こういうこともあるわよ。さらに下の階層だったらもっと良いドロップアイテムも出るでしょうから、それに期待しましょう」
「そうだな。ここから先のドロップアイテムはもっと期待できるよな」
「にゃぁ」
鳴き声のする方へと祥吾が顔を向けるとタッルスが見上げているのを目にした。さすがに猫にまで慰められるのは情けないような気がしたのでいい加減気持ちを入れ替える。
ようやく精神的に立ち直った祥吾は部屋の奥にある扉を開けた。見ると階下へ続く階段が伸びている。
「いよいよ二桁階層か。前はかなり苦労した記憶があるな」
「地図情報によると、やっぱり苦労しそうよ」
「誰だよこんなの作ったのは」
「異界の侵略者ね。もう滅んだらしいけれど」
冷静な返答を聞いた祥吾は思わず脱力した。前に教えてもらったことを思い出す。こんなありきたりな設定の者たちがやって来て、勝手にダンジョンをこの世界に打ち込み、知らないうちに滅ぼされていたのだ。迷惑な話である。
深呼吸を1度してから祥吾は階段を降り始めた。これからは今までとは違う難易度らしいが、階段の造りは今までと何も変わらない。そのため、この先も今までと同じなのではないかと錯覚しそうになる。
小さく頭を振って祥吾は余計な考えを振り払った。間違った希望は持つと危ない。
階下へと降り続けながら祥吾は少しだけ歯を食いしばった。




