夏休みの活動─世田谷ダンジョン─(4)
地下9層目前までたどり着いた祥吾とクリュスたち一行は階段近くの小部屋で1泊した。深い階層へと向かうほど時間がかかり、野営が避けられなくなるからだ。今回の恵里菜たち4人の野営もそういうことである。
翌日、元々起きていた見張り番以外の4人が目を覚ました。自宅やホテルならこの後色々と準備があるが、こういった場所での1泊では食事とお通じくらいしかない。
それぞれが順番に済ませ、出発の用意を終えると前日の通り隊列を組んで歩き始める。向かう場所は階下へ続く階段だ。
先頭の祥吾と由香が武器を手に階段へと近づく。
「これから下にいくわけだが、由香、何か勘は働くか?」
「ん~別に大丈夫か、な? あれ?」
隣の祥吾に声をかけられて階段の奥を見ながらしゃべっていた由香が首を傾げた。そして、そのまま振り向く。
「後ろからヤバいのが近づいてる~?」
「後ろからだと? どういうことだ?」
「わかんない。でも、ヤバいから逃げた方がいいよ、恵里菜~」
相変わらずのんきにしゃべっている由香だったが、話の内容は深刻そうであった。地下9層以上に地下8層が危険という理由が恵里菜には思い浮かばずに首を傾げる。
全員由香が何に危機を感じているのかわからなかった。しかし、クリュスがわずかに目を見開く。
「もしかして、世田谷支部から警告が出ている件かしら? 例の本来その階層には現われないはずの魔物が出るっていう話が、近くで起きた?」
「ちょっと待って、それってまずいんじゃないの?」
「ヤバいっす。リーダー、どうするっすか?」
「引き返そう。あたしたちはクソミノ相手に逃げたんだ。それ以上のヤツを相手になんてできるわけがないしな。友恵、地下7層に上がる階段までの経路を指示しろ。由香、ヤバいと思ったらどんな些細なことでもすぐに言え」
「わかったー!」
「オッケ~!」
決断した後の恵里菜の指示は速かった。次々に仲間へとやるべきことを伝えてゆく。しかし、祥吾とクリュスには話す内容が異なった。自分の仲間に指示を終えると2人に向き直る。
「クリュス、祥吾、悪いがあたしらはここまでだ。クソミノ以上の魔物相手に勝てる自信がない。だから今から引き返す」
「妥当な判断だと思うわ。恵里菜だったらきっと長生きできるわよ」
「あたしもそう思う。で、やっぱりお前ら2人は行くのか?」
「最下層に行こうっていうのに、ぽつんと出た魔物程度に怯むわけにはいかないわ」
「はは、そりゃそうだ。できれば一緒に来てほしかったんだがな」
若干寂しそうな表情を浮かべた恵里菜だったが、すぐに表情を引き締めた。由香が危険を告げてきたということは、決して遠くないということだ。急いでこの場を離れる必要がある。時間を無駄にはできない。
そんな恵里菜たち4人を見ていた祥吾がクリュスに話しかける。
「クリュス、地下7層に上がる階段までは俺たちもついて行った方が良いんじゃないか?」
「二度手間になるけれど、良いの?」
「というか、由香の言うヤバいというのが地下10層以下の魔物なら今のうちに戦っておきたいんだ。この階層で戦って駄目だと判断した場合、まだ地上に帰りやすいだろう?」
「予行練習をしたいわけね。それは良い考えだわ。ぜひそうしましょう」
会話を聞いて呆然としていた恵里菜たち4人へとクリュスが向き直った。そうして恵里菜へと話しかける。
「予定を変更しましょう。私と祥吾はこれから由香の言う危ないものの正体をつきとめて、可能なら倒します。つきましては、由香にその案内をお願いするわ」
「いやいやいや、クリュスちょっと待ってよ!? あたしらにも戦えって言う気!?」
「いいえ、危ないものの近くまで案内してくれるだけで良いですよ。その後は急いで避難してもらって構いません」
「確かにあんたら2人は地下10層以下に行くけどさぁ」
「だから、ぽつんと出た魔物程度に怯むわけにはいかないってさっきも言ったでしょう?」
「そのヤバいものを俺たちが倒したら、お前ら4人は安全に活動ができるんじゃないか?」
混乱しつつある恵里菜に祥吾も声をかけた。由香の主張する危ないものがひとつだけだとは限らないが、少なくとも当面の危機は排除できることになる。その後どうするかは恵里菜たち4人が決めれば良いことだ。ともかく、祥吾とクリュスはその危険な存在に1度出会ってみたかった。
提案を受けた恵里菜は顔を歪めて黙り込んだ。色々なものを天秤にかけていることは誰の目にも明らかである。3人の仲間の命を預かっているのだから当然と言えた。しかし、あまり時間はかけていられなかったのだろう。比較的短時間で下に向けていた顔を上げた。そうして祥吾とクリュスに返事をする。
「あーもーわかった、やってやる! ただし、近くに寄るだけだからな」
「ありがとう、嬉しいわ」
「それじゃ、これからの先頭は俺とクリュスが引き受けるぞ」
祥吾が具体的な話を切り出すと話がまとまった。手早くこれからのことを決める。
隊列は祥吾とクリュスが先頭に立ち、次に由香と小鳥、最後に恵里菜と友恵が進むことになった。恵里菜たち4人からするといつも通りの隊形で、その前に祥吾たちを据えた形だ。そうして由香の声に従って通路を進んでゆく。
「う~ん、こっちかなぁ」
「クリュス、先に俺が見てくる。少し待っていてくれ」
通路を進み、分岐路の度に祥吾が先行して様子を見るという形で6人は通路を歩いた。時間はかかるが、安全を優先して進となると歩みはどうしても遅くなる。
しかし、由香の勘に触れていたものに突き当たるのにそう時間はかからなかった。何度か進んだ後、ついに分岐路の先で祥吾は目にする。
「岩熊か」
分岐路の陰から奥の様子を探った祥吾はその正体を目の当たりにして顔をしかめた。体長が2メートル以上の体毛も含めた全身が岩でできた熊の魔物だ。動きは熊よりも鈍いが非常に硬い。普通の武器ならまず通用しないことで知られている。
5人の元に戻った祥吾は分岐路の先にいる魔物について説明した。それを聞いたクリュスが恵里菜たち4人に顔を向ける。
「由香、あなたの言う危ないものというのは、あの分岐路の先にいる岩熊のことで良いのよね?」
「たぶんそうだと思うよ~」
「それなら、もうここまでで良いわ。ありがとう。後は私と祥吾でやるから」
「クリュス、本当に2人だけでやるのか?」
「やるわよ。祥吾、1体だけなのよね」
「見える範囲にはな。さすがにあれだけなら、俺たちでやれるだろう」
「と、いうことよ」
心配そうに声をかけてきた恵里菜にクリュスは自信ありげな顔を向けた。すると、今度は友恵が遠慮がちにクリュスへと尋ねてくる。
「あたしたち、そこの陰から見てていいかな?」
「危なくないかしら?」
「そうなんだけど、2人が勝ったか負けたか知っとかないと不安でさ。逃げるにしても、その辺をはっきりさせときたいんだよ」
「そういうことなら構わないわ。ただし、引き際を間違えないようにね」
「リーダー、いいってさ!」
「結果が気になるのはあたしも同じだからね。そこから見てるよ。ただし、負けても骨は拾ってやれないからな」
「勝つから構わないわ。行きましょう、祥吾」
声をかけられた祥吾はうなずいた。担いでいた槍斧を両手に持つと体を反転させて前に進む。その後をクリュスが続いた。
歩きながら祥吾がクリュスに話しかける。
「この槍斧次第っていうのもあるんだろうが、素のままだと俺の攻撃は通じないんだろうな、たぶん」
「最初に魔法で強化しておきましょうか」
「一番手堅いやり方だな。となると、後は俺1人でやれるんじゃないか?」
「それなら、後ろでゆっくりと見学させてもらうわね」
にこやかに笑うクリュスを見た祥吾は少し失敗したという表情を浮かべた。本当に放っておかれることはないにせよ、1人で倒せなかったときは何を言われるかわからない。なので改めて気合いが入る。
それにしてもと祥吾は考えた。魔力付与系の魔法を使える者がいれば岩熊みたいな物理攻撃に強い魔物でも比較的楽に倒せる。友恵がいるあの4人ならいくらでも戦えそうに見えたのでそこまで怖がる必要はないように思えた。
しかしそうであっても、戦ったことのない相手と正確に日向野力の差を推し量れというのは酷な話だ。祥吾が今落ち着いていられるのもこれまでの経験に寄るところが大きい。知らないと相手を過剰に大きく見たり小さく見たりすることはよくあることだ。
そう考えると、この場で祥吾とクリュスの戦いを目にするのは恵里菜たち4人にとって良いことのように思えた。結果がどうなるにせよ、あの4人はこれで岩熊について知ることになる。
これであの4人がさらに成長すると良いなと祥吾は思った。




