4 来たるその日
十二月一日、学校が終わって、一旦家に帰った後、彼女に会った。
それからバスに乗って山へ向かう。
彼女は親に、友達とキャンプをするんだ、と言って来たらしい。
彼女は僕に遺書を持ってきたか訊いた。僕はもちろんと応えた。
それから持ち物を確認してバスに乗った。
山の開けたところとはどんな感じなのだろうと密かに胸を高鳴らせた。
山に登って一時間、目的の地に着いた。辺りは全く人気がなかった。
空はもう真っ暗で細い月だけが白く煌々と輝いていた。
二人でテントを張った後、死ぬ用意も済ませた。そして僕はリュックからある花を取り出した。
黄緑の細い茎の先に純白の花弁がいくつか垂れ下がっている。
彼女にそれを渡すと、満面の笑みを浮かべてくれた。
「スノードロップの花だ。可愛い」
「知ってたんだ。花言葉も分かる?」
「「あなたの死を望みます」」
二人の声が重なった。一緒に笑う。
可憐な彼女には白くて愛らしいスノードロップがひどく似合っていた。
それから僕は彼女の手を引きテントの外に出た。
手を離すと、僕は 恭 しく腰を折り、彼女に右手を差し出した。
「姫、今宵は一生で最期の月下のダンスを、ぜひ僕と踊ってはくれませんか」
彼女はやや恥ずかしそうにしながらも、覚悟を決めたようで、わざとらしく胸に手を当てて、
「まあ、何て楽しそうですこと。 私 でよろしければ」
そう言うと微笑んで僕の手に自らの手を重ねた。
重なった手を引いて、左手を彼女の腰に回し、月の下、二人向かい合って踊る。
少し戯けて、右手を上にあげたら、彼女は意を汲んで、華麗にくるくる回ってみせた。長い黒髪が艶やかに、白いワンピースの裾が軽やかに広がる。そして僕は右手を下に下ろした後、左手で彼女の腰を寄せて距離を縮めた。
この瞬間、僕は彼女の全てを尊く想った……月の光で辛うじて見える顔の産毛、目の下にかかる長い睫毛の影でさえも。
しばらく彼女と話を挟みながら遊んでいたが、彼女は僕の手から離れた。そして悪戯っぽく笑う。
「もう時間です。私は帰らねばなりません」
「何処へです?」
僕が問うと彼女は空を見上げた。
「此処よりもずっとずっと遠い場所です。時間はあまり残されていません」
僕は頬をほころばせる。
「そうですか。一人では心配です。それに、僕も元より其処へ行く予定があるのです」
彼女は、まあ、と大袈裟に言う。僕は彼女の前で片膝をつき、下から彼女を見上げる。
「君と一緒ならば僕は何処へでも行ける」
彼女は両手を後ろに組んで屈んだ。
「貴方と行く所なら何処へでも楽しめそう」
彼女は綺麗な笑みを浮かべた。
そしてその場に座り込む。両膝を抱えると憂げに目を伏せた。
「何が心配?」
僕が問うと、彼女は、
「主がお許しになるかなって」
と言った。ああそうだった。僕は彼女の親が熱心なカトリック教徒であることを今思い出した。
「この前調べてみたけど、聖書は解釈次第で自殺は罪とされたり、別に罪ではないとされる。今は普通に自殺は罪だって広まっているけれど。だから安心して。それに、僕らは神のモノだとか、何かに所有されている。でも、意思がある。だから君はここにいるんだろう」
僕は彼女の目を見る。彼女は先程とは違って強い目をしていた。
いよいよ、僕らは死ぬことにした。特に意味は無いが、時刻は敢えて見ない。
テントに入って念の為、拘束テープで出入り口を塞いだ。
練炭に火をつけてから、彼女からもらった睡眠薬をたくさん口に入れて水と飲んだ。
彼女も睡眠薬を飲むと、すぐに横になった。
僕は眠くなるにはまだ時間がかかりそうだったので座ったままだ。
しばらくして身じろぎしていた彼女と目が合った。僕はこれが最後になると思った。でも、
「おやすみ。また会おう」
不思議なくらい穏やかに言えた。
そして彼女は僕を見上げると、淡く微笑み、
「おやすみ。 君と出逢えて本当に良かった。ありがとう……また会おう」
そう返すと目を瞼で覆った。僕は彼女の目が閉じていくのをじっと見ていた。彼女の目が完全に閉じられたとき、僕にも眠気が訪れた。
目を閉じた。彼女の姿はもう何処にもない。
静かだ。
僕はかつてないほどの幸福に満たされた。
そして不思議と頭の中が冴えわたる。あらゆる思考が始まり、答えを出そうと頭が動き出す。
僕が今までなぜ死のうとしなかったのか、の真の理由。
今、彼女を思い出してようやくわかった。何かが点で繋がった。
僕はいままでありもしない愛(幻想)に縋って、醜くしがみついて、せがんで、無いものに期待していたからだ。
でも彼女と会ってから僕は人に与えたいと思い、与えられることを知った。だから、だからようやく分かったんだ。
僕が死ぬのは、彼女に与えるのと同時に僕自身を、疲れ果てた自身を自由にしたかった。解放したかったのだろう。
僕が死んだ後、自殺をしたのは父と母のせいになるのか。クラスの奴らのせいになるのか。いや、皆、害虫を駆除してやったぞ、というような、邪魔者(それをヒトは悪と名付ける)を成敗して達成感を得ただけで、それは誰だってしたことはある。もしも僕の自殺が知れ渡って、彼らが責め立てられようと、責めるヒトも彼らと同じなんだ。そして僕はその行為を否定できない。
僕は遺書に一言こう書いた。
どうして誰が責められようか。
僕は沈みゆく意識の中、思い出が頭の中で迴った。そうして身を横たえて意識を放した。
世界を、放した。
最後まで読んでくださりありがとうございます。よろしければ感想等いただけると幸いです。