2 彼女の抱えているモノ
教室に入るとやはり嫌な空気があった。押しつぶされそうな圧力を感じる。
机の中をいつも通り確認すると今日は砂だけ入っていた。僕は窓からその砂を落とした。
その様子を見かねてか、昨日の病院通いの女子が僕の方へ来た。
僕はそれに関せず、ひたすら砂を窓から落とした。
彼女は静かに僕の行動を観ていた。僕は沈黙に耐えられず、根負けしたので僕から話しかけた。
「昨日の、何で、の答えを言うよ」
僕は砂をある程度捨てて、手を払いながら続けて言う。
「僕がある女子の手を跳ね除けたのは僕が人に触れたりするのが苦手だからだ。それで僕がクラスの皆から嫌われているのは……きっかけは実はもう関係なくて、ストレスの捌け口として僕が最適だったからだ。だからこのいじめは続くだろうし、君も僕と話してると嫌われている男に取り入って好かれようとしてる、アバズレとか言われるよ」
僕はいやにさらさらした手を洗おうとベランダに行こうとすると彼女は口を開いた。
「私、あなたになら話せることがある」
このとき僕は盛大に眉を顰めていたと思う。
「何故?」
と、僕は聞いた。彼女は目に水を張っているようにみえた。
「あなたはその……嫌われているから。普通の人とは違って苦しみがわかるかなって思った」
彼女は真っ直ぐに僕を見てそう言った。
そうか、そうだな。彼女の言いたいことがわかった気がした。彼女は彼女なりに抱えているものがあるのだろう。しかし、お気楽に日々を過ごすありがたい奴らにはそれを分かってやることができないのだろう。よって現在進行でいじめられている僕ならばわかってくれる筈だ、と彼女は考えたのだ。
面倒だ。ただでさえいじめられているのだ。異性と一緒にいれば絶対に何か言われる。あいつはあいつが好きなのだ、どうとか。まあ中学生だから仕方ないのかもしれないが。彼らの目には恋しているように見える変な恋愛フィルターがあるらしい。
でも、彼女と話すのは苦しくない。むしろこの重く沈んだ心臓を洗い流してくれる。
僕は彼女を見て、わかった、と応えた。
彼女はそれを聞くと、ふっと笑って、放課後図書室で、と言った。
朝の会が始まり、終わり、授業が始まり……そんな中僕はずっと窓を見ては、早く放課後になればいいのに、と思った。
◆◆
帰りの会も終わり、僕は図書室へ向かった。本棚から徐に本を手に取ると、その隙間から彼女の顔が見えた。
僕は少し吃驚したが、彼女はいたずらに笑って、椅子がある方を指さした。僕は約束を思い出してそこに向かった。
椅子に座ると、隣に彼女が座った。ここはちょうど二人用の椅子しかなく、周りは背の高い本棚に囲まれている。落ち着くところなので僕はよくここで本を読む。
「私、自殺したいと思ってる」
僕は瞠目した。いろんな疑問が浮かんでは言葉にできなかった。だから、ただシンプルに、
「どうして?」
とだけ問うた。彼女は長い睫毛を伏せ、
「私、学校休みがちなのは、膵臓癌のせいなんだ。それで、見つかったときに、医者に全身に転移しているからもう遅い、一年しかもたないって言われて。もうそろそろ一年が経つし、自分でも終わりが近いことがなんとなくわかる。だから無意味に延命させられるよりは動き回れる今のうちに安らかに死にたい、って思って」
と言った。
ショックだった。まさか親しく思えた彼女の死が近いだなんて。僕には、僕には何もできない。せめて、彼女に何か、気の利いた言を掛けてやろうと思うけれど陳腐なものしか思い浮かばない。ああ、僕は彼女の勇気に応えてやれない。
何て言えばいいのだろう?
気の毒だ、とか、諦めないで、とか。
死なないで、とか、悲しむ人がいる、とか。
そんなのは違う気がした。そう言うヒトは僕の嫌いなヤツらと同じだ。
だから、僕は、
「僕が君にできることは何か、考えさせて」
と、彼女の目を見て言った。彼女は驚いたような顔をした後、一気にその顔を崩して笑みを浮かべた。
「やっぱり、話して良かった。そう言われるのは予想外だった……なんか、感激しちゃった」
と言うと、彼女は目をぬぐった。
「私にはもったいないけれどお願いしようかな」
そう言って僕の目を真っ直ぐに見た。僕は眉を顰めながらも口角を上げた。きっと彼女は無駄な同情を望んでいないと思って。
その後、いろんなことを話した。僕のいじめについて聞かれて、大したことないよ、と彼女に伝えた。彼女は、強いね、と言い、私は自殺をするのが恐いんだ、と自嘲気味に軽い口調でそう言った。
聞けば、彼女は親が熱心なカトリック教徒らしく、自分も多少なりとも影響を受けているのか、自殺をするのは主に反しているのではと思い、地獄に堕ちるのを心配に思っているらしい。
それから、お互いの最近ハマっていることなんかも話して、彼女は最近少女漫画にハマっていると言った。
「少女漫画ってどんな話?」
と、僕は気になったので聞いてみたが、彼女は少し恥ずかしそうに、結構ありきたりな話なんだけど……とモゴモゴしたが結局話し始めた。
「昔のヨーロッパのイメージで、ある王女と令息の恋が描かれている話。一番良いところが、お城で夜の舞踏会が開かれて皆ホールに集まっているんだけど、王女と令息は人目を避けるためにホールから離れてお城の庭で微かに聴こえる曲に合わせてダンスを踊るところでね。月明かりの下で二人が見つめ合う姿が綺麗で、とてもロマンチックで……もうとにかく、 尊い!」
相当好きなんだということが分かった。尊いを使った人初めてみたかもしれない。
「へー。でも令息と王女って珍しいね。普通、王子と令嬢って感じがするけど」
僕がそう言うと、彼女はいいところをついた、とばかりに目を輝かせた。
「この物語の世界ではね、まあここでもそうだけど、やっぱり男の方が金を持ってて身分が高い方が良いっていうイメージがある中で、優秀な臣下か他の国の王子に嫁ぐべき王女が自分より身分の低い令息に心惹かれるってのがミソなんだよね」
「なるほど」
僕がもし、その話で令息なら、高潔な彼女を愛のために自分と同じ地位に堕としてしまうのはひどく躊躇われると思う。そんな葛藤とかを抱える人物に感情移入して、感動できて面白そうだ。
僕はその後、完全下校時間までそのまま二人で話続けた。僕は彼女と別れた帰り道、彼女がもうすぐ死ぬ、ということをずっと考えていた。
ああ、死ぬのか。そうか、いなくなってしまうのか。彼女が自殺をしようがしまいがどっちみち彼女は近いうちに死ぬ。ああ、なんて残酷なのだろう。
彼女との出逢いには感謝をするが、どうせ死によって別れてしまうのならば今までのように何の接触もなかった方がましだ。その方が、こんなに苦しい思いをせずに済んだ。とは思っても、どうしようもないことを考えても無駄だ。もしもの世界なんて此処にはないのだから。せめて、彼女が最期に幸せで逝けるように、迫り来る時の中で僕が彼女につくりだせる最高の時間をどういう風にするのか、などを考えなければならない。
僕はそんなことを、止めどなく考えていたが、肝心の、彼女に何ができるのかを思いつかぬまま家に着いた。
それからは彼女が休む日以外は二人でこうして図書室で話をする習慣ができた。学校は相変わらず嫌なところではあるが、彼女と会うのは僕のささやかな幸せとなった。しかし彼女と親しくなればなるほどに彼女がいなくなるという危機に駆られるようになってしまった。