第8話 「それぞれの仮面」
朝の食堂はかなり空いていた。
「海斗、ここ来るの初めて?昼何食う?」
「ああ、なんか軽いやつかな」
人から軽く血を拝借してる、なんて言えないから取り敢えずここは曖昧に濁す。
吸血鬼が吸血するのは大抵深夜か早朝だ。この静けさは過去の食事を思い出す。
俺はレイジの細分化した触手による吸血、レイラの神経に作用する様々な効能を持つ「糸」のような、そっと気付かれずに僅かな血を人間から頂く能力的術が無い。
吸血鬼は自身の性質にまつわる何らかの力を成長すれば手に入れる事になる。
俺は血気盛んだったから、そんな繊細な力は身につかなかったのだろう。
「男ならもっと食べろよ」
「いつの価値観だよ、男ならって」
「心意気的な意味だよ。
そういえばさ、その仮面ってなんで付けてるわけ?」
唐突な質問。しまった。
改竄で学校に混ざる違和感としての自分は拭う事は出来るが、その先、普通に質問として聞かれる事までは思い至らなかった。
「ファッションとかか?」
我ながら苦しい言い訳。
実際は、これは力の拘束具。
そして自身の力を覚醒させた事に対しての償いだ。
かつての仲間は皆俺を忌避し、悪魔と罵った。
家族ですら、そうだった。変わらず接してきたのは友人であるあの兄妹だけだ。
当たり前だ。その俺の力で、聖職者から家族を守ろうとした力で、家族を殺してしまったのだから。
物、飯、記憶、幸福感及び自身を満たす感情。または、大切な人。
目の前にある何か、または心の中に無意識にある物を何か捧げる事で、その供物の重さに応じて身体強化が施される力。
家族が聖職者に狩られそうになった時に初めて発動したその力。
敵を滅ぼす為にがむしゃらになった時、俺は母と妹を供物に力を得ていた。
あの時は子供で、そんな呪われた自分の力を知ったのはもっと後だった。
だから、この仮面は無知への償いでもある。
「俺さ、バンドやってんだよ。
お前もう俺のヴィジュアルバンドメンバー候補の一人なんだぜ」
「何だって?」
長考している間に話が移り変わっており、その思わぬ言葉に我が耳を疑う。
「その仮面ファッションがいけてるからだよ。特にその右眼の複眼。昔さ、そんなの付けた奴が悪を倒すヒーロー番組がやっててそれ思い出したよ」
俺の償いの仮面が、ヒーローのように見える・・・
何故か、少し笑いが込み上げてきた。
「あざす!」
だってこんな風に言われたのは、今まで初めてだったんだ。
「意気込みが良いな」
「ああ、俺は今上機嫌だよ」
バンドか。
音楽の力でレイジの夢は・・・流石に叶えられはしないか。
だが良い寄り道になりそうだ。今までまともに遊んだ事なんて無かったから。
それに、友達もだ。
例え認識の改竄から始まった関係だとしても、今こうして話している瞬間は本物なわけだ。
少なくとも俺は、そう思う。
○○○
私、牙崎レイラはクラスの一部の男子の目線に耐えかね教室を抜け出した。
生徒の記憶を改竄こそすれど、その後彼らにどう思われるかまで思い至らなかった。
ワンチャンあるかも、お近付きになりたい、と思っているような目線が少し嫌だった。
制服を着ているのだから、目立つ要素は無いと思うのだけれど。
銀色の髪と眼が原因だろうか。
染めてしまえば普通に過ごせるだろうか。いや、一度マークされた以上そうはいかないか。
まあつまる所、私が可愛いという事なんだろうが、いかんせんその実感が湧かない。
私には、自分がここに生きている実感が無い。
お兄様無しでは、生の感覚を感じられない。
吸血鬼は大幅に数を減らした後、力を蓄える為に冬眠に入った。そこから起きて寝ぼけている訳でもない。
昔から、私の側にはずっとお兄様がいてくれた。
だから不意に自分一人になった時、世界が半分欠けているような。そんな気にさせられてしまう。
お兄様と海斗はこれまでずっと全てと戦っていた。崩壊していく自分達の住処を元に戻そうとしていた。平和的に解決できないくらいに、人間の間で害獣認定されている事は分かっているだろうに今も尚夢を見続けている。
そんな二人が人並みに青春したいと言うのなら。
人間と仲良くなるのが目的の一つでもあるし、それくらいのご褒美はあってもいい。
私には見え透いていた。
二人が、ごく普通の学生らしく暮らしてみたかった事を。
故にこれからずっとお兄様が側に付いてくれる訳では無くなる事になり、だからその欠ける半分を埋めてくれる人を探す必要がある。
欠ける半分。
欠ける、心・・・。
そういえば、天内マユさん。
あの子が、料理は心の受け渡し、みたいな事を言っていた気がする。
少し、彼女の事が気になった。
マユさんがいる2年B組に入る。
遠慮はせずスライド式の扉を開く。
教室の中、ドアの近くで話している男子生徒が少しこちらを向き、再び目線を戻す。
そして二度見した。
後ろ手で扉を閉め、奥の机を見る。
隅の方でマユさんはちょこんと所在なさげに座っていた。
じっと視線を送ると、彼女は私に気付き、何とも言えない恥ずかしそうな顔をしていた。
教室内に、僅かな疑問符が浮かんでいるように錯覚させる雰囲気。
ああ、そういえば彼女は今日学校に久しぶりに来たって言っていた。端から見れば、謎の絡みだろう。
だが、それにしても。
改竄した筈なのに、なんでみんな私を見てるんだろう?
妙に気恥ずかしくなり、マユさんに目配せをして教室を出ていく。
背後で私の事を話しているであろうざわめきが聞こえた。
教室の向かいに広がる大張りの窓の前で立っていると、マユさんがやってきた。
「レイラちゃん、どうしたの?あ。ごめん、レイラちゃんって呼んでいいかな・・・?」
店にいる時とは違うしおらしい態度。
俯いた姿勢で前髪が降りてきて、彼女の顔右半分を隠している。
「いいですけど、その、雰囲気がだいぶ違いますね」
「あはは、学校緊張しちゃってさ」
見れば、顔も僅かに青ざめているような気もする。
「そんなに無理しなくても良かったのでは?」
「いや、どっちにしろ中卒じゃ世知辛い世の中だから」
・・・これに関しては種族が違う私が口を出して良い問題では無かったかもしれない。彼女は彼女で頑張っているのだろう。
「マユさん」
違う話題に変えよう。
「ん?」
「料理は心の受け渡しというのは、どういう意味ですか?」
「!!」
すると再び俯く。
「私、自分を出せないというか。だから作った料理がそれを代弁してくれるというか・・・ いや、なんかそういう台詞言いたいとか、そういうの!」
成程。自分の想いを乗せた物を相手に提供する、それ即ち心という事か。
そういう事ならば。
「料理が心の受け渡しなら」
制服の内ポケットにこっそり入れていた物。
朝貰った、私が食べられないサンドイッチ。
美味しそうだったからこっそり拝借していた。
それをマユさんに差し出す。
「これも、私の心の受け渡しですか?」
「うん、うん、そうそう!!私のイズムが受け継がれたよ!」
マユさんはうんうんと頷き、調子を取り戻す。
「いまいち分かりませんね・・・」
これは私が、誰かの心のこもった料理ではなく、温かい血しか飲んだ事しかないからだろうか。
もっと確かめなければならない。
私の生きる実感の在処も、人の心も。
「また、付き合ってもらえます?私に」
これが、お兄様が求めていたような青春という物なのだろうか?