第3話「蘇る吸血鬼伝説」
血の、継承者・・・?
信じられない。ただでさえ眼の前の状況が無茶苦茶なのに。
月光が路地に差し込む。
その仄かな白光が、彼の赤みがかった目を宝石のように輝かせる。
「お前達が、吸血鬼?」
僕は尋ねる。
震える声に、心の中の恐怖が載せられる。
僕の眼を見て、彼は僅かに眼を逸らした。そう言われる事から逃れたいように。
「君もだよ」
「僕も?」
一体どういう確証があって?
「腕が消えて何分経った。人間は腕を切られても尚普通に話し続けられる生物なのか?」
そう言えば、腕が・・・
状況が入り乱れ、思考から外れていた。
「血も出ていないな。当然だ。即ち君は吸血鬼なのだから」
確かに、切れ口から血が出ていたのを見ていない。
でも、
「血が出てないからって、何で?」
「我々は人間の血で生きている訳だから、体内の血の操作くらい造作も無い」
吸血鬼。
やはり人の血を吸う生き物、そしてここ最近の事件の元凶らしき存在。
食い千切られたというのは今経験したし、血が吸われ尽くす話は今語られた。
「ここ近辺の巣を潰していた所で君を見つけた。あの手下はバカだ、眼の前の人間が人と鬼の混ざり物だとすら気付けないとは」
混ざり物・・・?
つまり、僕はハーフという事なのか。
「名前は?」
向こうは勝手に話を進めてくる。
彼は吸血鬼。いつ自分が食われるか分からない。
想像上の存在だと思っていた物が現実にいた、今日は脅威の連続だ。
適当におだてて一回逃げよう。一回って何なんだろうとは思うが付けてしまう。
「朝霧誠」
名乗りながら体を立ち直らせる。
切られた右手の断面を改めて見てみると、肩の部分までごっそりと無くなっていた。
然し、見える筈の肉と骨の部分が、黒いヘドロのような膜で覆われている。
「牙裂レイジだ。と、それは吸血鬼の自己再生能力だな。何か他に体が変化している部分はあるか?然しハーフだから肉体再生と強化のみに留まるか?」
彼が腕を組み考え始める。ぶつぶつと何かを唱え続けている。
そうだ、今の内に・・・
自分が吸血鬼のハーフ?
だから何だ、知ったこっちゃない!
腕も再生するのなら一安心、明日にもなれば全て夢だ。
そういう面では助けてくれた彼に感謝しつつ後ろへそっと後退り、一気に向きを変え走る。
然し、その逃避行は一瞬で無駄になった。
後ろには先程と同じような狼と、そしてふらふらと歩く人間が一人ゆったりと迫っていた。その肌はくすんだ紫色、そして腕と首がぐにゃぐにゃと長く伸びている。腕は体が立っているにも関わらず指先が地面を引きずっていて、首はおおよそ腰くらいまで垂れ下がっている。足元はおぼつかなく、まるで操り人形の糸で操られているようだ。人ではあるが、人とは形容し難い。
「誠、今の内に吸血鬼の力を慣らしておいた法が良い。これから俺が頼もうとする事はな、戦いだ。人と鬼のハーフ、朝霧誠。吸血鬼の世界を、未来を、共に救ってくれ!!」
レイジは既に、先程も出した触手を背中から二本展開している。
それにしてもだが。
彼の中で話がどんどんでかくなっていないか?
吸血鬼を救う?
「誠!!すまないがお願いしたい!!唯でさえ同種の仲間は少ない。ここで会えたのも何かの縁、俺達を手伝ってくれないか!」
だが、その頼みの声は本当に、切実だった。断られる事なんて考えていない、僕を信じて託しているような。そういえばレイジの話す言葉はさっきから丁寧というか、堅みを帯びた声音だった。仕事人間的な。ひょっとすれば、凄い真面目さんなのかもしれない。
少し過去を振り返る。
そもそも僕は、レイジに助けられなければそのまま死んでいただろう。いくら吸血鬼の力が自分の内にあったとしても、それに気付かず貪り食われるだけだったかもしれない。そう考えると、一回くらい借りを返すべきだろう。
吸血鬼の未来を救う事が具体的に何か分からないが、それが彼の最終目的だとするとなんだか付き合いが長くなりそうだ。ひょっとすれば、転校と転校のスパンより。
今まで同級生との干渉をなるべく避けてきた。それは別れる時に寂しいからなのもある。それと同時に、人に嫌な事を残したまま自分が去っていくのもなんだか嫌だ。
別れる時にはきっかり後腐れのない何も無い状態でいたい。
何かを僕がいない、戻らない場所に残して行くのが怖いんだ。
彼は吸血鬼、いつか僕は日常に戻り、彼もまた闇夜に消えていくのだろう。憶測ではあるが。
・・・助けてくれた事を感謝しないという後腐れは、残したくないかもしれない。
「助けてくれてありがとう」
レイジの横に並び立つ。
「・・・そういう風に言われるのは久しぶりだ。吸血鬼は人から見れば全員化け物だからな」
背中でうねる、赤黒い5つの触手を指差し呟く。
見れば、触手は放射状に彼の背中を根として翼のように広がっており、オイルを塗ったかのようにベタベタと光っていて、裏側にはびっしりと蠢く牙のようなひだがあった。絶え間なく、そのひだは動き続ける。獲物が放り込まれるのを待つように。
少しの恐怖にすくんでいると、触手の一つがまるで俺に会釈するように俯いた。
感情の無い突起物なのに、その様は褒められて喜ぶ小さな子供のようだった。
「これが俺の力。触手は脳と直結し、頭で思い描いた形状をそっくり作る」
そう説明された途端、狼、もとい吸血鬼的な世界になぞらえるなら人狼が飛びかかる。先程腕をえぐられたショックもあってか、僕の眼は無意識に瞑られていた。
然し、レイジが横から俺の閉じた左目をガバっと開き、指で全開になるよう固定し始めた。
「さっき人狼を倒したカラクリはこういう事だ」
「目が、目が乾く…!!」
乾き始めた眼の前で、僅かな攻防が始まる。
跳躍した狼は、工場にある機械のアームのような物に変質した触手に掴まれていた。ナマモノの筈なのに、先の形状は明らかな合金。鋼鉄を上から、そして下から押し当てられ、狼の体はゴリゴリと音を鳴らしていく。中でもがく度に、外からの圧力は増していく。その、有無を言わせぬ拷問器具のような恐ろしさ。
ただ外敵を殺すだけの機構。さっきの触手に抱いた可愛げはどこへやら。
そして、狼の体はだらりと力を失った。
その瞬間に、鉄は見る間に大きな口へと変わる。
「吸血鬼の体液は放って置くと人間に空気感染し吸血鬼化する。俺の目指す吸血鬼の未来は、そんな増やし方で出来た世界じゃない」
口が閉まり、それと同時に赤い閃光が迸る。
伸びた触手が、彼の背中へ帰っていく。
外敵はあと一人。
あの人とは思えない人間。
狼が掴まれてから、一切動きを見せていない。
「あれは吸血鬼に血を与えられた人間だ。与えられすぎて崩壊した操り人形だ!」
レイジが説明を入れる。
そうか、そうやって彼らは仲間を増やしていく。
何故か、レイジの語気が強くなっていた。
「あの人間達はもう、吸血鬼の下僕に成り下がった。吸血鬼の指示が無いと動けない、人間の尊厳なんか無視した唯の物体になりさがったんだ・・・!」
レイジは紫の人間にペコっと頭を下げる。深く、どんどん深く下げる。
綺麗な直角姿勢の謝罪をしていた。
初めに狼に会って、その後にレイジに助けられた時。僕はそのまま彼に殺されると無意識に思っていた。
でも、そうではなく。彼は優しすぎる。
他の吸血鬼にされた事を、まるで自分がやったかのように自罰する。
そんな愚直なまでに、吸血鬼とは優しいのか。
過去の記憶が蘇り、今の光景と重なる。
いつかの、親戚の家にいた頃。
四人家族の家に暮らしていた時は、丁度食卓の椅子が四脚しかなくて、自分だけ部屋の外れでご飯を食べていた。
それでも何も言えなかった。だって、本来は四人の家に混ざる異物なんだから。
弱者が、親を亡くした哀れな人間が波風立てずに生きる為に。
追い出されないように。
僕はずっと人では無く従順な人形になっていた。
そして身に覚えのなく唯語られる、罪という物に絶えず恐れ続けた。
だから、レイジが「指示が無いと動けない」という事が「人間の尊厳が無い」ような物と言ったのが少し嬉しかった。
こんなにセンチな気分になって、こんなに過去の記憶に浸ったのは久しぶりだ。
ちょっとやそっとの出会いでも、そう思えたのなら。
誰かと関わる事を好意的に受け止める事が出来たなら。
「僕がやるよ」
それは、悪い気がしなかった。
足を踏み出す。
前の、最早意思の無い人間と向き合う。
敵意を感じたら本能で動くのか、そう設定されているのか。
足を使わず、デタラメに伸びた腕を足としこちらに迫ってくる。
でも、こんな体でどうすれば?
その想いに呼応するかのように、千切れた部分の断面のヘドロのような物が活性化する。無くした腕の形を、形作っていく。然しそれは、慣れ親しんだ体の一部では無い。
もっと禍々しく、凶々しく。
黒く暗く、右腕を囲む竜の牙の如き神聖な程の鋭さを持つアギトが生える。
新しく作られた体。吸血鬼の、右腕。
変化したのは腕だけ。
レイジのように体の一部から何かを追加で生成する事はできなかった。
恐らくこれは中途半端な覚醒。いわば半鬼と言った所だろう。
だが確証は得た。
信じ難い事だが、自分の中に吸血鬼の因子が混ざっていた事を。
走る。
腕を突き出す。先の狼のように。
地面を蹴る。
古くからの狩りのように。
そこからどうする?
・・・当然、殴る。
何故なら、それ以外の方法が思いつかない。
腕にブヨブヨとした触感が当たる。
当たったのは当たったようだ。
相手の動きが止まる。
展開された左右の牙が、拳が着弾したと同時に内側に閉じる。
失敗した、と思った。
だがその思考は杞憂。
Xの字を腹に描いて、黒い影の牙が相手の体内を這っていった。
至近距離の為、血を思いっ切り顔に浴びる。
それをすかさず、レイジが捕食口を這わせ喰らった。
・・・疲れた。
体から力が失われていく。
右腕は切られる前の腕に戻っていた。
まあ、これなら今後の生活も一安心だな。
そう思いながら、地面のコンクリートに思いっきり顔をぶつける。
暖かい感触。鼻血は、今の状態では制御できないようだ。
「大丈夫か誠!!」
レイジが走り寄る足元が見える。
「すまない、無理を・・・」
そんな彼の言葉を遮るように、路地の出口からヒッというか細い悲鳴が聞こえた。
そして荷物を落とす音。
人一人倒れてるくらいでそんなに驚かなくても・・・
・・・ああ、そうか。今敵を倒したばかりだから、二人共血まみれなのか。
そりゃあ、こんな所や体を変化させて戦ってる所を見られるんだから、レイジはああ言っていたんだ。助けてくれた事を感謝されるのは久しぶり、と。
「だだ、大丈夫ですか!?」
あれ?
こっちに来る?
そう思って、僕の意識は深い海に落ちた。