第2話「純血の継承者はボク?」
僕が通う学校、信牙高校を出る。
外は既に黒い夜があたりを覆っていた。空には半分だけの月が雲に隠れて僅かに見える。
夢の中の何も無い赤い世界に比べ、目の先には光り輝くビル街が立ち並んでいる。
この高校は、街から外れた急勾配の坂を登った先にある。非常に登校しにくい癖に通学バスは坂を登る手前で止まる。だからここに通う生徒は自然と体力が付いていく。
行きはよいよい、帰りは怖いの逆で、帰る時は滑るように歩いていけるから楽だ。
坂の歩道を滑り台を滑るように走り下る。後ろからの風が背中を後押ししている。
ふと学校の方を振り向いてみる。なぜだか分からない。九条があの後何をしているか気になっていたのかもしれない。
すると、学校の背後に高くそびえた教会に明りが灯っていた。
赤い十字架の紋様があしらわれたステンドグラスの窓が輝いている。
普段は気にも留めなかったが、暗闇に輝くそれは街を守る神の威光のようにも見えた。まあ教会だし、実際それが光らせる狙いなんだろう。
吸血鬼を対処するのは聖職者。
さっき九条がそんな事を言っていた。
だが、今の時代にそんな中世のお伽噺のような事があるまい。
彼女はオカルト趣味に系統していると聞いた事がある。だからそういう設定に当てはめて楽しんでいるのかもしれない。
でも、こんな話を前も聞いた気がする。いつだったか思い出せないが、まあそのくらいどうでもいい時に聞いた事だろう。
そうだ。それが無意識に記憶に残っているから夢に吸血鬼と聖職者が出てきたんだ。
答え合わせが出来た。
それと同時に、坂を下り終わった。
いつもビル街の中枢へは向かわず、外れの住宅街路地から市民公園を突っ切り、家へ帰る。
都会の近くでも、明確な近郊から外れればもう郊外のような物だ。
僕の住むおばさんの家。
ここからもまたいつか出ていく時が来るのだ。
路地の電灯は、パチパチとまばらに点いたり消えたりと光の世界と影の世界の変遷を繰り返している。
付近の住宅街もあまり明かりは点いていない。別にそんなに遅い時間じゃ無いのに、なぜだろう。
足が少し疲れてきた。
高校から徒歩25分。これを毎日往復となると50分。改めて考えると結構遠い。
大学は絶対徒歩10分圏内で下宿しよう。いや、学費を出してくれるか不安だから就職かも。そんな事を考えながら歩く。
電灯の近くの家壁に、影が反射し僕の下半身が投射される。
そんな僕の影の上を、もう一つ新しい影が上書きした。
周囲の光が消える。
クチャクチャと、何かが何かを咀嚼している音が聞こえる。
既にそれは、頭上から。
然し上には何も無い。
ただの見間違いか。
そう頭の中で定義付け、再び帰路への歩行を再開する。
喉が渇いてきた。
右手で背負っているリュックのジッパーへ手を伸ばす。
右手が丸ごと無かった。
・・・・・・・・?
痛覚が一気に来る。
目が白黒とパチパチ瞬く。
並行感覚が崩れる。
体の一部が無いとバランスが崩れるんだ。
思っていたより血が出ていない。既に出し尽くしたのか。
思っていたより痛い。
痛い痛い痛い痛い。
思考が回らない。
周囲を四足歩行で何かが這いずり回っている。
まるで獲物の様子を窺うかのように。
白と黒の視界に、その何かの、赤い目の残光がちらつく。
体が引っ張られ、感覚も無く倒れていく。
体が引きずられていく。
もっと暗い場所へ。
もっと人気の無い場所へ。
空が、景色が、移り変わっていく。
体が放り投げられる。
その先には、ゴミ袋が溜まっていてクッションになってくれた。
ここは、ゴミ捨て場だろうか。
目の前には、四足歩行の、狼?
腕から背中にかけて広がる灰色と黒の混じった毛皮。
突き出されている簡単に臓腑をねじ切るような爪々。
一足に5本生え揃う爪が、ガギッと音を鳴らしそれぞれ真ん中で割れて左右に展開する。
開かれた扇子のように、それは10本の凶器に変貌した。
そして、僕の顔に狙いを定める金色の瞳。
否。狼では無い。
下半身は、黒いズボンを履いていた。
そして一つだけ毛皮が無い足。そこには人肌の色が塗りたくられていた。
では、一体?
「なんなんだよ」
静かに呟く。
そんな命乞いも無視され、処刑の時は近付いてくる。そうか。これが、吸血鬼事件と噂されている代物の正体なのかもしれない…
人はこんなにもあっけなく散らされる。
それはきっと、彼らの食事の為に。夢でその在り方を肯定しはしたが、怖いものは怖いし、恨みも憎みも募る。
目を瞑る。
思えば、今までの人生はあまり良い物じゃなかった。親戚の家を渡り歩く日々。その繰り返しで、人とあまり関わらなくなっていった。
親戚からは親を亡くした可哀想な子、として哀れみを込められた目で見られた。そしてそれと同時に疎まれていた。僕には罪があるらしい。だから誰もちゃんと接してくれなかった。あくまでビジネス的な物だと、子供の目でも分かった。
学校では転校を繰り返す事で折角出来た友人と別れる結末がいつも待っていた。中途半端に皆が仲良くなり始めた時期に転校してクラスに入れば、内輪的なノリに乗っかれなくて余所者扱いされた事もあった。だから人と深く関わる事は辞めた。
寂しいからだ。
だがその人生も終わる。
もう人と関わる事も無くなる。
そう思えば、やっとこの世界の息苦しさから解放されるのかもしれない。
ゴキン、と。
鈍い音が鳴る。自分の頭蓋に爪を刺されひしゃげていく音だろう。
にしても、そこまで痛くない。
案外もう天国にいるのかと、目を開く。
「吸血鬼、人様に迷惑をかけたな。人を傷付けた以上、情けはかけられない」
すると。そこには。
たなびく黒い外套。
それとは対称的な白い革手袋。
探偵帽のような灰色の帽子。
そして、死体を思わせるような病的な雰囲気。
想像の中の、吸血鬼の男の姿がそのまま僕に背中を向けて立っていた。
グチャッと、足元にさっきの狼の頭だった物が降ってくる。
既に生きているという面影は無い。
眼球の部分には鎖鎌が内側からめり込み刺さっていて、眼を破裂させていた。
トントンと、革靴で2回地面を踏み鳴らす。
すると刺さった鎖鎌が赤黒い触手に変わり、彼の体に吸収されていく。
そしてこちらに振り向く。
黒髪に僅かだが銀色の交じる髪。
僕達と何ら変わりない人間の顔。眉毛が少し下がっている為、困っているような顔つきにも見える。
彼が口を開く。
若さのある声だが、そこには内に響くような求心力がある。端的にまとめるなら、上に立つ者、皇的なカリスマ性のような。
「なんなんだよ、って言ってたな。では答えよう、俺達は吸血鬼。俺も、君も、その血を受け継いだ継承者だ」
白い手袋をした手が、無くなった俺の右手へ差し出された。