第10話 「仮面の下」
校内から五分ほど移動した所に、高い木々が乱立する雑木林に守られるような形でひっそりと旧校舎が佇んでいる。
木造の支柱、木造の階段、廊下の隅を這う蜘蛛の巣。
部活の合宿くらいしか使われないこの建物は、ひょっとすると社会に隠れた吸血鬼とほぼ同じくらい存在の薄い物ではないか。
なら、奴らの狩り場となる可能性もある。
「レイジ、場所は?」
「一つ上の階だ」
「パッと狩るぞ」
「海斗。お前がそんな事言うの珍しいな」
「ここにいるのは悪くないからな」
「簡単な奴だな、お前は。まあ無理も無い、これまで俺とずっといてて飽きただろうからな」
「うるせえよ」
走りながら、自身を覆う仮面を剥がす海斗。
その仮面の下には。
本来右眼がある場所に眼は無く。
その暗い空洞に青い炎が灯っていた。
その影響か、眼の周囲は黒く、赤く爛れている。
「久しぶりに使うぜ」
青い炎が、彼の顔半分を覆っていく。
それと同時に、右手の裾を拭う。そしてそこにある火傷痕から蒼白の色が広がり、彼の手は文字通り、透明となった。
だが姿は見える。その蒼白が、腕の形をかたどっている。
その様は、言うなれば蒼い影絵。
僕もまた、自分の右手を眺める。
僕はレイジに協力すると言った。ならいずれまた、彼らと対峙する時が来る。
その時に備えて力を慣らしておくべきか。
何故かもう怖くないんだ、前襲われた時は真黒の恐怖に塗られていたのに。
・・・それが、僕を進ませてくれた要因で、僕と彼らの繋がりだからだろうか。
僕の心を僅かに埋めてくれた。
そんな風に思いながら僕も右手の裾をめくろうとすると、目の前を蒼の閃光が通り過ぎる。上の階へ。
残光が、蒼のエフェクトが、粒子のように小さな粒となり走跡を描いていた。
「今の・・・」
「あいつの力だ。何かを失う事で身体を身体の域を越えられるよう設計し直す。家族を失って、手に入れた力だ」
家族を失って。
そうか。海斗も僕と、ある意味一緒だったんだ。
「僕も行くよ」
「え、来てくれないつもりだったか?」
「いや、そんなつもりは・・・」
覚悟的な意味だったが、文字通り受け取られた。
階段を登る。
いた、吸血鬼。
人型の少女。身なりはごく普通の白いワンピース。然しまるで植物の根のように爪が長く、そして生気の無い目を振りかざしてきた。
彼女はまるで血を求めるのみの装置のように、こちらに跳んでくる。
一方海斗は、廊下の奥で何やら倒れた人を抱えていた。
って、奥を見ている場合じゃない。これは生きるか死ぬかなんだ!
自信は無いけど、もう一回あの時のように行けば・・・!
でもどうやってあの腕を出すんだ!?
「誠!体内の血を腕に集中させるんだ!!」
血を集中。そんな概念、人間には理解できない!
左腕に空を切られたような感触が僅かに当たる。
「吸血鬼にされた人間・・・ 御免!!」
それと同時にレイジの触手が空を切り少女に突撃した。対抗するかの如く向けられる爪。
「爪は付いてるだけだ、対戦じゃ小回りは効かない」
そうは言いつつも、広がるのは真っ向の戦い。
爪で抉られ切られた触手が、切られた瞬間再生する。
そしてそのまま少女の体の中央を貫いていった。至って単純な力の押し合い。
その反動で少女の体は吹き飛ばされ、僕の背後に光る非常口のガラス窓に叩きつけられた。ガラスが割れ、少女に刺さる。
・・・間一髪。いやしまった、遅かった。
僕の左腕は千切れていた。
だがその瞬間、かつての右腕と同じく黒い鬼腕が生えてくる。自分が半鬼である事の証。もしかすれば、切られない限り腕を変える事が出来ない?
もしそうならば、僕はあと何回あの痛みに耐えなければ?
想像しただけで恐ろしいを超越する。
まあ、生きているだけありがたいと思うか。
海斗の方へ駆け寄る。見れば抱えられていた人間は宏斗だった。
「コイツ、マジでこんな所で何してたんだ・・・」
海斗の呆れた声。だが自分が呆れられる事に安堵しているような、そんな雰囲気。
「良かったね」
僕は呟く。
すると非常口から物音が聞こえる。
かの少女が、復活していた。
「誠、お前かって吸血鬼のサンドバッグにされたままは嫌だろ?協力しろ」
僕の前に立つ海斗。彼の体の蒼炎と夕陽が混ざり、より一層炎が輝いている。
「ありがとう」
「あ?何がだ?」
「なんか、そう言いたい気がした」
僕の気持ちのざわめき。多分、それはきっと僕に境遇が近しい人が、僕と一緒にいる事を望んでくれたから。
「調子狂うぜ」
二人で並び立つ。
「俺の力は光速移動だ。こんな風に」
足を踏み鳴らす。すると周囲に蒼い粒子が展開される。ふわふわと、宙空に浮くホコリのような。
海斗の姿が消える。
すると目の前の粒子が揺れ、少女の方へ線のような軌跡が描かれる。
そして彼の眼の炎が、残像として残り二重の煌めきを描く。
瞬きをすると彼は彼方遠くに。
一瞬の出来事。少女は蒼炎に包まれていた。
左手で、右眼の炎を掬い纏っている海斗。
廊下内に散る粒子は消えて、代わりに灰が降ってきた。
「すまねえ、チュートリアル失敗だ」
「いいよ、平和に越した事は無いから」
そう、レイジが言う平和な未来。目指す物はそこだから。
「神みてえな事言ってんな」
「そうかな・・・?」
その言葉に惑いつつ、僕は倒れている宏斗に駆け寄り、体をわしゃわしゃ揺らす。
「恐らくビビって気絶でもしたんだろうな」
「海斗、仮面付けなくても良いの?」
「ああ、コイツ俺の友達だからな。どちらにしろいつかは秘密をバラす事になったろう。それが今って事だ」
彼が目を薄っすらと開ける。
そして瞳孔が、海斗の方へ固定される。
「あ、あ、あ」
宏斗の口から、空気のような声が漏れていく。
「うわあああああああああ!!!!」
姿勢を直ぐ様立てて、海斗の眼の前から外へ逃げていった。
その、眼の中の炎に怯えるように。
外見。
結局の所、人にとっての指標は。
でも僕も、あの時レイジの前から逃げようとした。人の事は言えない。
咳払いする海斗。
「まあ、こんな事は慣れてるさ。それに、認識の改竄なんてハリボテでしかないからな」
妙に達観したかのような、そして必死に自分から目を逸らしているような態度。
僕は何も言葉をかけられなかった。