第1話「始まりと、事件」
吸血鬼って、何だったっけ?
ああ、そうだ。昔から伝承だったりお伽噺に出てくる、人の血を吸う悪い奴ら。
でも姿形は人間と似ていて、あまり違いは分からなかった気がする。
強いて違いを言えば、マントを付けているとか、燕尾服を常に着ていたり、白い手袋を付けていたり。あと口の中の牙とか。まあ、典型的な吸血鬼イメージが浮かんでくる。僕の頭の中の記憶だから、確証は無いけれど。
今、目の前に広がっているのは深い紅の空。どこまでも続く同じ色は、まるで海の中の景色のよう。そんな海中の奥には、黒い城のシルエットが存在感を放っている。地面を見れば、下もまた紅の海だった。ここに自然の草木は無く、ただ広がるのは城までの小路。
ふと思った。どうして彼らは人の血を吸っていたんだろう。
それが食事だから?そうしないと生きていけないから?
ならそれは、豚や鳥を肉にして食べて、生きている僕達とあまり変わらない気がする・・・
目の前に、文字通り「過去」の濁流が突如流れる。
それは僕の過去では無く、多分この世界の過去。
吸血鬼が人里で狩られ、拷問され、処刑されている景色。
人と幸せに暮らしている奴もいるのに、近隣住民に追い出され灼かれる景色。
吸血鬼の天敵は確か聖職者で、聖なる力の元に殲滅されたような話を聞いた事がある。非常にオーソドックスなイメージ。
なんでそんなに人は吸血鬼を嫌い、恨んで、差別して、追い込んだんだろう。
それは自分達が食べられるかもしれない恐怖から?
自分達も動物を食べているのに?
頭がごちゃごちゃになってきた。
でも一番頭を混乱させる理由は、何故、ふとこんな考えに至ってしまって、こんな場所にいるのかだ。
今日もいつものように、ふと瞬間的に目が覚める。
それは、家族に迷惑をかけないよう身に付いた恐れから。
厳密には家族とではなく親の親戚の家を転々としているが。
母は死に、父は失踪した。
薄暗い階段を降りていく。
一階のリビング部屋の扉に人影が映っている。
幸香おばさん。
今、僕が住まわせてもらっている家主の名前だが、住んで一年半、未だにちゃんと話した事が無い。
扉を開く。
今日は学校だ、制服を取りに入る。
何やらスーツケースに荷物を入れているおばさんと目が合う。
お互い、挨拶はかわせなかった。
それは僕の人見知りもあると思うのだが、移り住んできた数々の家から今までも、寧ろ。
向こうから避けられているのだ。
「じゃあ、ちょっとだけ出る」
とおばさんが気怠そうにスーツケースをガラガラ引きずる。
「どこに?」
「今日中には戻る。あんまり好き勝手しないでよ、色々と」
そう言って、止める間もなく玄関から出ていってしまった。
何を好き勝手なのかは分からない。だが、昔から謂れのない事を僕は言われ続けてきた。理由も知らされずに、ただ、「親の罪を受け継いだ子」だと。
だから、言う事を聞いていろ、と。
一人では何も出来ない人間が誕生したんだ。
そんな事をまた考えても仕方ないので、取り敢えず朝ご飯でも食べようと冷蔵庫を探る。
物の見事に何も無かった。
まあ、珍しい事ではない。そろそろアルバイトも視野に入れないと。
自給自足だ自給自足。
・・・でも、こんな事態になっているのはクラスでは僕だけくらいなんだろうな。
いつも、常に、無意識に。普通に憧れているのかもしれない。
そんな思考が表れるのは学校でもだ。
今日も今日とて自分の机の椅子に座り、適当に過ごす。
皆は誰か、友人らの机の近くに固まって話している人もいるが、僕はそんな人はいない。動く事が出来ない。
額面的には仲の良い人はいる。だがそれまでだ。
でも、それでいい。
次の転校はいつになるか分からないんだから、下手に仲良くなった所で、だ。
そんな事を心の中で思っていれば今日の授業は終わり、僕は少しだけ二度目の睡眠をかます事に決めた。
教室の好きな所、それは終礼後、一気に人の波が引き閑散となる瞬間だ。
僕一人しかいない事に、安心して眠る。
昔いた家では、寝ている時に家主のストレスのはけ口にされる事があったから。
夢を見る。
その夢で、再び赤い景色を幻視する。
朝から一体、これは何なんだ。
「おい」
肩をつつかれる。
赤の夢の世界から、現実の世界に帰ってきた。
今日の信牙市は全面的に雨。
朝から今まで、教室の窓ガラスに滴が滴り続けている。
電気が付いていても外の闇は内側を侵食し、校内を暗くする。
まだ夕方なのに、既に深夜のようだ。心なしか空気も夜気の如く肌寒い。
「おーい」
今は何時?
昼ご飯は食べたっけ?
突然腹部に衝撃が走る。体の中からの物と、体の外からの物。二重の衝撃。
見れば僕の腹には、学校既定の黒い革靴を履いた足が乗せられていた。
「下校の時間でーす朝霧誠君、鍵閉めらんないから早く起きて出てけ」
靴がググッと押し付けられる。
腹内部からの空腹感という名の反発、そして靴。
胃の中の水が揺れ始める。
これは、まずい!
強くえずく。
「うわ!」
彼女、九条彩は逃げるように足を引っ込める。
「勘弁しろよ、そういう汚れって洗っても取れないから」
そう言い、足を覆う黒いタイツを擦る。
「過去形って事は、あった?」
「血で真っ赤なベトベトになった、とか?黒だから染みて分かんないけど」
「・・・」
なんと言葉を返せばいいか分からない。
毎度、予想の斜め上の返答を行く人だ。
「・・・まあいいや。じゃあさっさと帰れ」
僕は促され、席を立つ。
九条は落ち着きが無いのか、教室に並ぶ机の合間合間を迷路をまわるように歩く。
机通りの交差点を左に右に曲がる度に、結んでおらず雑に伸ばされた長い黒髪が揺れる。
今は9月下旬、季節は秋。ブレザーを着ている生徒が少し増え始めて、彼女もその一人だ。髪の毛、黒。ブレザー、黒。スカート、タイツ、革靴も黒。
黒まみれの人間が学校には多い。
「落ち着き無いね」
建付けの悪い教室のドアを開きながら、僕は言う。
「いや、これは落ち着きたいからすんの」
踊っているかの如くクルリと回転する九条。
彼女の世界とペースは以前からよく理解できない。去年、高校1年生の時も同じクラスだったが、完全に自分の世界を生きている。
クラスにはそんな九条を嫌いな人もいて、同時に一部のファン層も発生している。アニメ的なキャラ、ぽいからだとか。
僕はどちらでも無いが。いや、どちらにもなれないが正しいか。
その程度の関係性しか、僕は作れないのだから。
「な、最近殺される事件が多いから気を付けなよ」
物騒な単語が突如として差し込まれる。
「急に物騒だね」
「吸血鬼騒ぎ、知らない?」
吸血鬼。さっき見た夢と、ふと現実が繋がる。
「何それ?」
「一週間で9人くらい、この街で食われてんだって」
「食われてる・・・?」
日常で聞き馴染みの無い言葉。
それって、さらっと言う事ではない、とんでもない事ではないか?
「そ。千切られたような体の部位が、食べ物を食べた皿に残った粕のように散乱していたり。全身の血が抜かれて、萎びた着ぐるみのようになってたり。だから吸血鬼」
そう饒舌に、悍ましい事を口にされ少し背筋がヒヤリとする。
校内放送が鳴る。
「現在、信牙市内にて犯人不明の殺人事件が続いています。身の安全の為、18時に校内が完全に閉鎖されます。なるべく速い帰宅を心がけましょう」
タイミングが良い。どうやら本当のようだ。というか、知らぬ間にそんな事態になっていたとは。自分の周囲への興味の無さに、今日ばかりは呆れた。
「警察とかはどうしてるんだろう」
「いや、こういうのは警察じゃ無くて聖職者、エクソシストの対処案件かもな〜。じゃね」
そう言い、彼女は僕の肩を押して教室の外へ追いやる。そのとき何故か、僕はこのまま会話を続けていたいと思った。
「その吸血鬼っての、夢で見た気がする」
すると、その言葉に彼女は静止する。
「ねえ、誠君は信じる?吸血鬼」
まさか、御伽話の存在が?
だが夢で見たあの光景は妙に現実感があった。
夢だからと言われればそれまでだが、否定はできない気がする。
「半々かな」
「そう。それはすぐ100:0になるかも」
そう言い、扉は閉められた。
九条ともう少し話したい気もしたが、ここで打ち止めだ。
彼女だって、今はこんな風に普通に話しているが、いつかは別れる時が来るんだ。僕が一箇所に長く定住した事は一度も無い。だから、額面より先に踏み入らない。