1.『勇者紀行』
「ユウコ、まだ遅い。もっと早く」
「…はあ、はあ、分かった」
ここは、ティエ平原。王都ティアレミロドの周囲に広がる平原で、所々に木が生えていたり、大きな岩があったりするほかは、遠くにあるフェリオ山やその他の山脈だって見えるほどに平坦で広がっている。まるで緑の絨毯みたいだ、と夕子は思った。
そこに、舗装された道が伸びている。王都の城門から、しばらく大通りよりも広く作られていて、あるところから十字に分かれている。夕子たちは、そこを右に曲がった。そこからは、道幅こそ狭まったものの、道は相変わらず舗装されており、旅というよりかは旅行の途中という雰囲気だった。
その道には、等間隔に宿屋が建っている。今、夕子たちは十字路から三番目の宿屋で休憩している。
空の頂点に、昼の太陽がさんさんと輝いている。
その下で、夕子は剣の訓練を受けていた。
*
王都から出発する二日前、アルザーは武具屋に夕子を連れて行った。
大通りから一つはずれた細い裏路地の一角にそれはあった。
遠くから見てもただの家にしか見えなくて、近くに行って『武具屋』と書かれた粗末な看板を見なければ、そこが目的の場所だと言うことには気づけないぐらいだった。
中に入ると、そこは別世界だった。
剣や、槍や、盾や、鎧なんかが小さな空間を埋め尽くしていた。
奥には小さな机があって、そこに老人が突っ伏していた。
「おい、起きろよタンゴリ。客が来たんだぞ」
アルザーがタンゴリと呼んだその老人は、その声にのっそりと起き上がった。
「うるさい。こっちは酒が足りんで体中の皮膚がひっくり返りそうなんじゃ」
「その酒を持ってきたといったら?」
「アルザー。欲しいものがあれば何でも言え。このワシがすぐに用意しちゃる」
夕子は唖然とした。
アルザーは言った。
「この子に合う武具を用意してくれ。金に糸目はつけない。酒だってつけてやる」
「…なるほどのぅ。よっぽどこの娘を気に入っとるようじゃな」
「うるせえ。さっさと選んでくれ」
それから、タンゴリはじっと夕子の方を見た。
だいたい一分ぐらいそうしてから、言った。
「必要な筋肉はまるで付いとらん。素人じゃな。見た感じ、武の才能も感じられんな。今から大通りへ行って探してもこんな感じの女は腐るほどいる、ってところじゃ。こんなおなごに武具を選べと?なぁに考え取るんじゃアルザー」
「筋肉も技能もこれから身につけさせる。それも、あくまで自衛のための力が身についてくれればそれでいいと思っている。別にこの子を、将来の隊長に育てたいというわけではないんだよ」
「…でも、将来の勇者には育てたいんじゃな?」
「え!?なぜそのことを知っているんだ?」
「顔を見りゃ分かる。りゃはははは」
それから、タンゴリは武具の山に向かっていって、しばらくしてから戻ってきた。
その手には、一本の短剣と革で出来た鎧を持っていた。
タンゴリは、短剣を鞘から抜いて見せてくれた。
刀身は前腕ほどの短さで、幅は広く両刃のようだった。特徴的な点として、鍔の部分が大きな籠状になっていて、持ち手を覆うようになっている。
「これはマインゴーシュと呼ばれる短剣じゃ。用途は、相手の攻撃を受け流すこと。広い刀身と籠状の鍔が盾代わりになるんじゃな。本来は、利き手の反対で持って、相手の攻撃を受け流す盾のようにして扱う。じゃが、筋肉もろくに付いとらん娘じゃあ長剣なんぞ扱えるわけないし、マインゴーシュのような短剣を利き手で持つぐらいがちょうどいいじゃろ。それに、自衛を目的とするなら、この武器は最適じゃ」
「最高だぜ。やっぱタンゴリに頼んで正解だった」
「りゃはははは。防具の方は、まあ革の鎧でいいじゃろ。軽いし、丈夫じゃし、手入れも簡単。まあ、武器にしても防具にしてもこれ以上のものを扱いたかったらまずは身体作りからじゃろうて」
夕子は、礼を言った。
「…分かりました。ありがとうございます」
「うむ。良い子じゃ。頑張るんじゃぞ」
夕子は、マインゴーシュと革の鎧を受け取った。
それらは、ずしりと重かった。とても長くは持っていられないほどだった。
*
「もっとだ。大分良くなったがな」
「ちょーっとアルザー。もう随分長くやってるわよ。いい加減休憩を取ってあげなさいよ」
「おっと、そうだな。すまん、ユウコ。ついいつものノリでな」
「はあ、はあ。大丈夫…じゃないかも」
夕子は剣の訓練を受けていた。といっても、その内容は夕子が想像していたものとはかけ離れていた。
ただひたすら、鞘に収まっているマインゴーシュを抜き、構える動作を繰り返させられているのだ。
マインゴーシュを鞘から抜き、構えて、また鞘に収める。これをもう一時間近くやっている。
アルザーは言った。
「構えというのは、剣術において最も重要な要素だ。構えは、全ての剣技の始点。そこがしっかりしていないと、全てが崩れる。逆に、構えがしっかりしていると、それだけである種の時間稼ぎになるんだ。構えは、最も攻撃の隙が少ない体勢だ。その体勢を完璧にとることが出来れば、それだけで攻め手は一度立ち止まらざるを得なくなる。つまり、構えを完璧にとれるようになることは、最大の防御手段を身につけることに他ならないんだ」
「だからってちょっと飛ばしすぎよ。あんたがユウコを訓練するって言いだしたときから嫌な予感はあったけど」
「私は大丈夫だよ、コリン。必要なことだし、それに…」
夕子は、この一時間で芽生え始めた感情を言葉に出した。
「剣の訓練って、楽しいかも」
「はあ!?」
「おお!ユウコ!!流石だぜ!!その感情こそが、武の才能に他ならないんだ!!安心しろユウコ。この訓練を毎日繰り返せば、筋肉も剣の基礎も身につく。一緒に最強の剣士を目指そう!!!」
「…そこまでではないかも」
「ユウコ!?」
「ぎゃはははは」
結局、そこでさらに一時間を潰し、そこから一つ先の宿屋でこの日は宿泊することになった。
*
「ユウコ、これが『勇者紀行』よ」
「へえ。随分分厚いね」
風呂上がり、夕子とコリンは同じ宿屋の一室のベットの上で肩を寄せ合いながら一つの本に目を落としていた。
『勇者紀行』。初代勇者オウトリ・ケイスケとその旅路が記された紀行本だ。執筆者は、勇者一行のひとり、遊び人ヨロイオ。
「ユウコ、あんたもこの本に目を通しときなさい。これからのことが書いてあるからね」
「うん。それに、面白そう」
「面白いわよ。ってかあれね。ユウコってさ、結構好奇心旺盛?剣の訓練だってあんなに楽しそうにやってたしさ」
「…そうなのかな」
「あは。まあ、簡単にだけど、これからの旅路を説明するわね」
コリンは、本のあるページを開いた。
「そうそう。ここに書いてあるのよ。読んだげるわね」
『第一章として、まず簡単にだが、俺たちの旅路の概略を記そうと思う。まあ、この本のあらすじって奴だぜ。まず、俺たちパーティの構成から。勇者ケイスケ、戦士ブレ、魔術師アンダーカイン、盗賊メメンデラガ、僧侶ラフナ、そしてこの俺様、森羅万象あらゆる事に精通する表通りの支配者ヨロイオ様だ。世間じゃあ俺のことを遊び人だっていうやつが多いが、あれは一種の照れ隠しだろう。あまりに俺がまぶしすぎて、直視出来ないのさ』
夕子は笑ってしまった。ヨロイオの語り口から、彼がいかに素敵で面白い人間かが分かる。彼のこの文章があってこそ、『勇者紀行』という本は長く読み継がれてきたのだろうと思った。
『そして、主に俺たちが旅してきた場所。そりゃあ山ほど手に汗握る冒険をしてきた訳だが、強いてここで上げるとするなら七つに絞られるだろうな。それは、①聖水の都市アルカーレの教会、②ドゥデーニ香草のとれるドゥデーニ地底湖、③ガンゼルの布が奥に眠る迷宮タタラ、④赤竜のすみかである赤い水晶の森、⑤魔法剣製造工房ドラァア、⑥僧侶の住む村レイン、⑦オローン魔鉱石を採集できるオローン山の頂上付近の洞窟、以上だ。どうだ?こう列挙されるだけでワクワクしてくるだろ?安心しろ。ぜーんぶ懇切丁寧に説明してやるからさ』
「ここに書かれてる七つの場所。それがアタシたちの目的地よ。最初に行くのは、今から向かう聖水の都市アルカーレね」
「へえ」
「まあ、今読むのはここまで。明日も早いからね。アンタの分も王都で買っておいたから、時間があるときに読みなさい」
「はーい」
コリンは、鞄からもう一冊の『勇者紀行』を取り出して、夕子に手渡した。それを、夕子は自分の鞄にしまった。
ヨロイオは言った。
『俺たちの最高の旅を、どうか楽しんでくれ。それが俺たちの願いだ。それじゃあ、早速始めようか。』
第二部もよろしくお願いします。