3.ストロウの遺言
「こちらは、アイダ・ユウコ。ユウコ、このクソうるさい女は、コリン・エレンという。魔術師だ」
「よろしくねぇ。ユウコちゃん。あは」
コリンは、人なつっこそうな笑みを浮かべて言った。
コリンは赤いくせっ毛を肩甲骨の辺りまでふわふわと伸ばしていた。
カールのかかった前髪は猫のような丸くて大きい瞳に少しかかっていて、時々コリンはそれをかきあげた。小さな鼻と唇は菜の花のような可憐さを帯びていたが、次々と大きくパスタを口に運んでいく大雑把な様子が吹き飛ばしてしまった。くすんだグレーのぶかぶかしたローブにパスタの汁が飛んでいるのを全く気にせず食事に夢中になっている姿は、まるで子供のようだった。
アルザーが、ウェイターを呼んだ。
アルザーは、水を注文した。どうやら、そうとう二日酔いが酷いみたいだ。ずっと頭を押さえている。夕子は、パフェを注文した。夕子は、パフェというものを食べたことがなかった。元の世界で食べられなかったものを、アンラという異世界で初めて食べるというのは何だか不思議だと思った。
しばらくして、夕子の頼んだパフェがきた。
細長いガラスの容器に、クリームの白、チョコレートの黒、フレークの茶色と、甘味のグラデーションが食欲をそそった。ぐるぐるとしたクリームをスプーンですくって口に入れると、濃厚な風味が口の中に広がった。
夕子は、思わず口元が緩んでしまった。
そんな夕子を一瞥し、微笑んでから、アルザーはおもむろに切り出した。
「コリン。ストロウの遺言を覚えているか」
コリンのパスタを食べる手が止まった。
「…それが、どうしたの」
コリンは急に不機嫌になって、呟いた。
夕子は驚いた。コリンが不機嫌になると、まなじりがつり上がって、猫のような目が鋭い光を帯び、その目線が向けられる者を尻込みさせる迫力があった。
「ストロウの遺言。それは、こうだったね。
『いつか君たちの前に、絶対的な勇気を示す者が現れる。その者の勇気はもしかしたら、無謀と隣り合わせかもしれない。その者の力は、腐りかけた木を倒すことも、拳ぐらいの炎を出すこともできないぐらい、弱々しいものかもしれない。それでも、その者が君たちに絶対的な勇気を示したのなら、その人こそが勇者になるべき者であり、君たちが支えるべき者だ』」
「ええ。一言一句違わず、あってる」
「ユウコこそが、その人物だ」
そう言って、アルザーは盗賊の残党との色々を説明した。アルザーたちが盗賊に囚われ、絶体絶命だったこと、そこで夕子に助けられたこと。
夕子が異世界から来たという話はせず、夕子もただ捕まったひとりだという風に話した。それはそうだろう。そんなこと言われたって信じる人の方が稀だ。
「ユウコは、俺たちに勇気を示してくれた。勇気を持って、俺たちを助けてくれた。コリン、旅に出よう。ユウコを、勇者にするための旅に」
コリンは、一口ゴクッと水を飲んでから、言った。
「別に私は、勇気を示されたわけではないし、助けられたわけでもない。
それに、あんたが絶体絶命だったわけでもない。騎士団はあんたの救出作戦を実行しようとしていたし、それがなくともあんたなら一人でなんとかしてた」
「ちょっと待ってくれ。騎士団が俺を救出しようとしてたって?三日前に葬儀をしたって聞いたぞ?」
「あんたって本当にバカね。やっぱあんた一人じゃ駄目だったかも」
コリンは、一息おいて続けた。
「確かに、ユウコはすごい奴だ。分かるよ。普通の年端もいかない女の子じゃあ、そんなうまいこといかない。ユウコがアルザーを助けた。それも事実だ。あんたがユウコのことを気に入るのは大いに同意できるし、私だってその点は感謝してるよ。でもね」
コリンは、椅子の背もたれに大きく寄りかかった。
「勇者ってのは、そんな簡単になれるもんじゃあない。ユウコには、何か特別な力があるの?腕力は?魔力は?」
「…そんなのないよ」
夕子は言った。それが事実だからだ。
コリンはため息をついた。
「今は、勇者戦国時代だ。多くの実力がある冒険者たちが、勇者の地位を求めてひしめき合っている。もしユウコが勇者になるんなら、魔王の前にそいつらとの競争に勝たないといけない。そして、私はそんなにうまくいくとは思えない」
「だが、そいつらとは決定的に違う点がある。ユウコは、ストロウの遺言にぴったりだ」
アルザーははっきりと言った。その言葉には、自信すら含まれているように感じた。
コリンは、口をつぐんだ。それを見て、もしかしたら、ストロウの遺言はコリンにとっても大きなものなのかもしれないと夕子は思った。
それから、三人は口を閉ざした。コリンは山盛りのパスタを食べ、アルザーは水を飲み、夕子はパフェを食べた。
隣の席の談笑や厨房の調理の音がかすかに聞こえてきた。
突然、コリンは切り出した。
「ユウコは、どう思ってるの?」
「わ、私?」
夕子は急な問いかけに少し驚いてから、答えた。
「…どっちでもいい」
「どっちでもいいぃ!?」
今度はコリンが驚いた。アルザーも意外だという風にこちらを向いた。
…変なことを言っている自覚はある。それでも本当にそうなのだ。
夕子は続けた。
「実は私、異世界から来たの」
夕子は、事の経緯を正直に説明することにした。それを説明しないと、自分の心の内をちゃんと説明できない気がしたからだ。
「…こんな感じなんだけど、信じてもらえる?」
「いや、信じられない」
コリンは即答した。
「別にユウコが嘘つきだって言いたいんじゃない。ただ、心情的にも、理屈的にも、あまりにも受け入れがたい。分かるでしょ?」
「うん。分かる。大丈夫だよ」
「異世界転移…マジか…」
「説明したように、私は自殺をした。今のこの世界も、その延長線上にある。だからなのか分からないけど、なんだか夢を見ているみたいなの。もしかしたら、私は今まさに校舎の四階から落ちている真っ只中で、その間に走馬灯のように見ている夢なのかもしれないって」
夕子の見る世界は、まるでテレビの向こう側の出来事のように思えた。さも臨場感を帯びて劇的に伝えられるが、それは液晶を隔てた世界のことで、自分はその観客に過ぎない。そんな感じだ。
「アルザーが私を勇者にしたいなら、それでもいい。コリンが私を勇者にしたくないなら、それでもいい。本当に、それだけなの。それ以上のことを深く考えられないの。今の私は」
「…そっか」
コリンは、深く何かを考えながらうなずいた。アルザーも目を伏せて考え込んでいるようだ。
それでも、夕子は自分の胸の内を正直に話せたことで、いくぶんか心がすっきりした。
パフェを口に運ぶ。うん、美味しい。
コリンは再び切り出した。
「やっぱり、ユウコは勇者になるべきじゃないよ。ユウコは、こうしてパフェを食べているのが一番って感じがする」
アルザーは、それに答えた。
「…コリンの言うことも分かる。確かに、勇者になるとなれば危険も伴う。それに、ユウコを巻き込みたくないという気持ちだってもちろんある。それでも」
アルザーは水を一口飲んでから、続けた。
「魔王を倒さないと、その平穏だってありえない。そのためには、勇者が必要だ。そして、それはユウコ以外あり得ないと、やっぱり思うんだ」
二人は、それからも言葉を交わした。しかし、それは平行線のように思えた。
夕子も、半分ほど減ったパフェを眺めながら考えてみる。
…私が、勇者になる。
反復してみても、やっぱりしっくりとこなかった。
…というか、勇者ってどうやってなるんだろう。肝心の方法についてはまるで話してくれないんだ。
当然の疑問だった。
それをアルザーに聞いてみようとした瞬間、
「ああああああああ!!!忘れてたぁ!!!!」
急にコリンが叫んで、立ち上がった。
「おい!どうしたんだ。急に大声を出して」
「いやぁ。用事を忘れててさ。あは」
それから、コリンは大急ぎで残りのパスタを口にかきこみはじめた。
アルザーが尋ねる。
「用事って何なんだ?」
「ううえああお」
「おいおい。口をパンパンにして言われても分かんねえよ」
「ごくん。クーデター。ブェッフェーレのね」
――次の瞬間、外の通りから悲鳴が上がった。
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明日も、全部で三話投稿する予定です。
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