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1.花畑の中の目覚め

本作品を閲覧していただき、ありがとうございます!

楽しんで頂けたら、作者冥利に尽きます。

どうぞ、よろしくお願いします。

八月。

少女は、校舎の四階の窓の縁に腰をかけている。

少女は、ほんの少しだけ体重を傾けて、両手に力を入れ、窓の縁を押して、空中に飛び出し、落ちていく。

飛び出すのは怖かったけど、少しの勇気があれば十分だ。

こうして、少女は自分を殺す。


少女の名は、噯田夕子という。







夕子は目を閉じて、横たわっていた。

感じるのは、鼻や頬に触れる感触と、花の匂い。

夕子は目を開け、身体を起こし、目を見張った。


一面の花畑だった。

赤や、青や、いろんな色の花が一面に揺れ、絵画のように地面を塗っていた。


「…ここが、死後の世界なの?」

思わず夕子は呟いた。そして、それなら悪くはないかもしれないと思った。


それから夕子は、さらに遠くを見渡してみた。

花畑は遠くまで広がっていたが、牧場の柵のように木々が囲んでいるようだった。

つまり、ここは森の中にある花畑。


「君は…?」

夕子は驚いた。

夕子の背後の方から二人の男が歩いてきた。

「君は、どこの人だい?」

そう言い直した男は、短く刈り上げられた金髪とがっちりした体躯から、何かのアスリートのように見えた。キリッとした大きい目と筋の通った鼻は誠実そうな印象を感じさせるが、口元のひげと縒れたシャツが疲れた雰囲気を与えていた。

「こんな山奥に嬢ちゃんがひとりってのはなんかおかしいな」

そう言ったもう一人の男からは、短髪の男とは対照的な印象を受けた。長く伸びた髪とひげ、深い顔に目尻のしわ、何かの汁がついたシャツのせいで、不潔で強圧的な感じだった。


「ここは、死後の世界ですか?」

率直な疑問を夕子はぶつけた。

「なあに言ってんだこの嬢ちゃんは??」

ひげの男は、大きく顔をゆがませて首をかしげる。

短髪の男が言った。

「…少なくともここは死後の世界ではない。アンラと呼ばれる世界だ。

今は王歴890年。ここはフェリオ山の中腹の森の中にある花畑で、とても素敵なことは確かだが、少女がひとりで立ち入れる場所ではない。ここまでは分かるかな?」

「…分かった」

「よろしい。それでは尋ねたいのだが、なぜ君はこんなところに?」

「…分からない」

「…おいおい」

「何かがあって、一時的な混乱状態にあるようだ」


男たちは声を交わした。

そして、不意に、短髪の男は眉を寄せ、低い声で呟いた。

「…この子は、救ってもらえないだろうか」

「もちろんだぜ?あんたの態度次第だがな」

夕子は、そのやりとりに少しの違和感を感じた。







夕子は、二人の男に連れられて、彼らの家に招かれることになった。

花畑を囲む森から細く伸びる小道を、彼らの後をついて行った。

時折短髪の男はこちらを振り返り、眉を寄せて、目を伏せ、また前を向いた。


「どうしておじさんたちは花畑に来ていたの?」

「あの花の中にはな、ユウレギといって薬効がある花が生えてるんだぜ。それを取りに行ってたってわけ」

ひげの男は答えた。

確かに短髪の男は小さな麻袋を持っていた。


「ついたぜ」

ひげの男が宣言したそこは、暗くて深い洞窟の前だった。

「ここに住んでいるの?」

「そうだ。ああ、同居人たちを紹介しないとな。おおい!!出てこい!!」


すると、中から複数人の男がぞろぞろと現れ、そして、

――縄で、短髪の男を縛り始めた。


「え?」

夕子が戸惑っている間に、短髪の男は後ろ手にきつく縛り上げられてしまった。

短髪の男が浮かべる苦しそうな表情を見て、夕子は脇の下に冷や汗をかくのを感じた。

男たちがこちらに目線を向けた。

「この女はなんですかい?」

「拾いもんだ。縛っとけ」







ひげの男を中心に、洞窟の中の松明で照らされた広い部分で宴が繰り広げられていた。

男たちはたき火を囲み、酒瓶を振り回しながら聞き取れない大声を上げていた。

たき火の煙と男たちのむっとした体臭が空気を支配していた。


その脇に、縛り上げられた夕子と短髪の男が肩を寄せ合っていた。

「どうして、こんなことに?」

小声で夕子が尋ねると、短髪の男は低い声で答えた。

「…人質を取られている」


「おいおいお二人でなぁに話してんだぁ?」

「そらナニの話だろ?がははは」

二人の男がアルコールの匂いを振りまきながら、二人に近づいてきた。


「嬢ちゃん、教えてやるけどよぉ、この男はすげぇ奴なんだぜ?」

一人が言った。

「この男は、アルザー・バハリといって、王国騎士団で隊を持ってるほどの実力者。王令で、とある盗賊団を壊滅にまで追い込んだ。だが!その残党はこの男のフィアンセをさらっちまった!!!残党どもは男の身柄を求めた。そして…」

もう一人が酒瓶を振りかぶり、アルザーの頭に振り下ろした。

「こうやっていじめてる!ぎゃははははは」

酒瓶の破片が辺りに散らばった。アルザーは顔を伏せ、したたる酒に顔をゆがませた。

そして、気づいたように一筋の血が髪のわき目から流れてきた。


「俺たちゃこいつの身柄を盾に騎士団と交渉をしようとした。

だが、相手は全く取り合わない!仲間からも見捨てられちまったのさ!!」

二人の男は下卑た笑いを何度かあげると、またむさ苦しい集団に戻っていった。


「大丈夫?」

夕子が尋ねると、

「すまない…」

という力の無い返事が返ってきた。







夕子は夢を見た。いつもの悪夢だ。彼女の過去を鮮明に写し、突きつけ、傷つけるいつもの悪夢だ。


夕子の父は死んだ。自殺だった。

五歳だった夕子の記憶には、夕日の影しか残っていない。

天井から吊された身体が作り出す、夕日の影。

不気味に揺れる、夕日の影だ。


夕子の母は死んだ。夕子の心の中で死んだ。

母は、父が死んでから代わる代わる色々な男を家に連れ込んだ。そして、行為の音と嬌声を家中に響かせた。

およそ母親がするべきことは何もしなかった。

朝に起きたり、給食費を払ったり、夕食を作ったり、そういったことはしなかった。

ある日、母は夕子に言った。

「私はお前のことが大嫌いだ。生まなければ良かった」

台所の隅には、山のように積まれたインスタントラーメンが入った段ボールがあった。

一週間に一度、母はそれらのものを大量に買い込み、段ボールの中へ放った。

それが夕子の食事だった。それだけが夕子と母を結びつけていた。

しかし、ある日段ボールの中身が補充されなくなった。母は、もはや母ではなくなった。


夕子の友達は死ぬことすらなかった。最初からそんな人間はいなかったからだ。

いじめを受けるようなことはなかった。ただ、空白があるだけだ。

夕子は教室の隅で、いつも一人だった。一人で、本だけに目を向けていた。

夕子の周りには数十センチの空白があって、誰もそこには立ち入らなかった。

授業で隣の席の人と話すことはあったけど、その人とは知り合いにもなれなかった。

陰口を叩かれることすらなかった。ただ、楽しげな会話が空白を通して漂ってくるだけだった。

夕子は、他の人から見て、ただの空白だった。夕子から見て、他の人がそうだったように。


――こうして、夕子の世界に夕子の居場所は無くなった。だから。


八月。

夕子は、校舎の四階の窓の縁に腰をかけていた。

夕子は、ほんの少しだけ体重を傾けて、両手に力を入れ、窓の縁を押して、空中に飛び出し、落ちていった。

飛び出すのは怖かったけど、少しの勇気があれば十分だった。

段々と灰色が迫ってきた。コンクリートの灰色だ。

灰色が、迫って、迫って、迫って、



「!」

夕子は、はっと目を覚ます。

背中にびっしょりと汗をかいているのを感じる。


ふうと一度息をつき、辺りを見渡した。

壁のいくつかの松明に薄暗く照らされ、たき火の燃えさしを中心に男たちは眠っていた。

中には酒瓶を抱いているものもいる。全員が酒に酔っているのだろうと簡単に分かった。

横にいるアルザーを見た。


顔の血の筋は乾いている。首から下は血まみれで、シャツは白いところの方が少ないぐらいだった。顔は青白く、息は荒い。


あの男たち、盗賊の残党はアルザーのフィアンセをさらい、それを人質にアルザーの身柄を奪った。

アルザーを盾に騎士団と何か交渉をしようとしたが、騎士団は取り合わなかった。

騎士団全体を危険に晒すぐらいなら、アルザー一人を犠牲にしようということだろう。

そして、残党たちは徹底的にアルザーを虐げた。

花摘みのような雑用をさせ、縄で縛り、酒瓶で殴りつけた。そうやってアルザーの身体と心をむしばみ、完全に手の内にしようとしているのだろう。


きっと最後には、彼も彼のフィアンセも殺されてしまう。そして、彼はそれを分かっている。分かっていて、それでもフィアンセを守る限りなく少ない可能性のために、彼らに隷属しているのだ。


それを思うと、夕子の心臓はぎゅっとつかまれたように苦しくなった。

顔に血が登り、歯を噛みしめずにはいられなかった。

その後、自分にそんな激しい感情が残っていることに少し驚いた。


そして、

――地面に散らばっている酒瓶の破片が目に入った。鋭く尖った光が。


…酒瓶の破片は後ろ手に取れる位置にある。そして、あれほど鋭利ならば、縄を切れるかもしれない。


夕子は辺りを見渡す。

ここは洞窟の中の少し開けたところだ。

この空間から、左右に二本の細い洞窟が伸びている。左の方は入口から伸びている洞窟だ。そこから夕子たちは連れられてきた。


…おそらく右の方の洞窟の先に、アルザーのフィアンセが囚われている。


男たちの方をじっと観察した。

フィアンセはただ縛られているだけなのか、それとも牢のようになっていて、その中に閉じ込められているのか。もしそうなら誰かが牢の鍵を持っているはずだ。


…すぐに見つかった。たき火の燃えさしの横に、鈍く光る鍵の束があった。


つまり、こうだ。

…酒瓶の破片で縄を切り、あの鍵の束を持って右手の洞窟の先にいるであろうフィアンセを助ける。そして、三人でここを脱出する。


上手くいくかは分からない。もしかしたら途中であの残党たちの誰かが目を覚ますかもしれない。

そしたら、私は殺されるだろう。そう考えて、心臓に冷たい鉄の棒が差し込まれたような感覚を感じた後、思った。


「そうだ、私はもう死んでるんだった」

そう呟くと、一気に恐怖や緊張がほどけた。それどころか、ふっと笑みさえ浮かんできた。







やはり転がっていた短剣を使って、アルザーの縄を切り落とした。そして、アルザーの身体を揺らして起こそうとする。しかし、アルザーは反応を示さなかった。

もしかしたら、彼は思った以上に危険な状況なのかもしれない。

だとするなら、彼を連れ出すのにも労力がいる。いずれにせよ、フィアンセの解放が必要だ。


夕子はアルザーをおいて、右の洞窟に入っていった。

両手も広げられないほど細く頼りない道だった。

壁に転々と松明が掛けられているほかに明かりはなく、薄暗かった。

先ほどのたき火の煙がまだ籠っていて、鼻の奥を不快に刺激した。

夕子には、この道のりが永遠に続くのではないかとさえ思えた。

しかし、ほんのすぐに行き当たった。


洞窟は行き止まりになっていて、そこに木の棒を縦に十数本差し込んで作った牢があった。

そして、中には一人の女性が横たわって眠っていた。

夕子は、牢の鍵を開けた。


「起きてください、助けに来ました」

牢へ入り、中の女性に近づき、身体を揺すった。すると、アルザーとは対照的にすぐに女性は起きた。


「…なんなの?あなたは」

「助けに来ました。脱出しましょう」

もう一度夕子が繰り返すと、すぐに女性は状況を飲み込んだようだった。


「…ありがとう。名前は?」

「噯田夕子です」

「アイダ・ユウコ…不思議な名前ね。私はエンヂ・クレンサー」


エンヂはグレーの髪を肩まで伸ばしていた。しばらく洗っていないのだろう、ゴワゴワと膨れてはいたが、それでもかすかな松明の光をキラキラと反射させていてきれいだった。


夕子とエンヂは低い牢の入口をくぐって、先ほどの広間に戻ろうとした。

戻ろうとしたときだ。


「おい、何をやっている」


ひげの男―おそらくは残党の頭領―が細い洞窟を塞ぐように立っていた。

頭領は腰に下げた長剣の柄に手を置きながら、続けた。


「…そうか、お嬢ちゃんがどうにかして縄をほどき、助けたんだな。なるほど」

夕子は顔から血の気が引くのを感じながら、それでもほとんど無意識にエンヂを後ろ手にかばった。


「嬢ちゃん、あんたには勇気があるんだな。尊敬するよ。だけどな」

頭領は長剣を鞘から抜いた。恐ろしげな金属音を立てながら。


「こんなことをされて、生かしておくわけにはいかねえな」

頭領は剣を振り上げた。夕子は目を閉じ、やがて訪れるだろう鋭い痛みに構えた。


…構えたが、しかし、その時はなかなか来ない。


夕子はゆっくりと目を開けた。そして、目撃した。


頭領は剣を振りかぶったまま固まっていた。首に短剣が当てられていた。

そして、頭領の後ろにはアルザーの影があった。


「エンヂ、彼女の目を塞げ」

柔らかい感触と共に、夕子の目の前が真っ暗になった。

うっという呻き声と、何かがどさっと崩れ落ちる音が聞こえた。







「殺したの?」

「ああ、全員。寝込みだったから簡単だったよ」

エンヂが聞くと、アルザーはまるで道ばたに見かけたタンポポの話をするみたいに答えた。


三人は洞窟の外に出ていた。外は、夜が明け始めていた。

アルザーはひとり洞窟の中に引き返し、しばらくするといくつかの荷物を抱えて戻ってきた。

エンヂはその中から包帯と薬瓶のようなものを取り出して、アルザーの頭の傷口に軟膏を塗り、包帯を巻いた。

「ありがとう、ユウコ」

包帯を巻かれながら、アルザーは言った。どうも、と夕子は答えた。


それから、三人は話をした。

夕子は自殺をしたら、花畑の中にいたということをそのまま話した。あまりにも突拍子もないことだったが、二人は信じると言ってくれた。

そして、夕子とアルザーが出会った話をすると、不意にエンヂはアルザーの頬をひっぱたいた。

「あなたはユウコを見殺しにしようとしたのよ。あなたはユウコに出会った時点で、あの頭領をぶっ倒して二人で逃げるべきだった。私を置き去りにして。あなたは、私のためなんかに一人の少女を危険に巻き込んだのよ」

「…ああ」

「バカ」

それから二人は抱き合った。


夜が明けた。朝日が辺りを暖かな黄色に塗り替えていった。

眼下には森と草原が広がっていた。

朝日を反射して、夕子の眼と心が温かく光った。


それから、おもむろにアルザーが口を開いた。

「…この世界には、魔王がいた。そして、勇者がいた。魔王とは、人類を滅ぼすものであり、勇者とは魔王を滅ぼすものだ。魔王は預言により、今から五年後の冬に復活するといわれ、そしてその魔王を打ち倒すと目された勇者がいた。しかし」

しばらく口をつぐんでから、続けた。


「その勇者が先日、亡くなってしまった。使命を果たす前に。そして、この世から勇者はいなくなったんだ」



これは、居場所を無くした少女が、仲間を見つけ、生きがいを見つけ、やがて勇者になる物語だ。

あなたには、どうか見守っていて欲しい。


最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました!

本日中に、あと二話投稿する予定です。

ぜひそちらもご覧ください。

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