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丹波路を行く

 東は豊川、西は広島、南は徳島と月日が流るるに一人旅としてあらゆる所へ行った。次は北へ。丹後の海をまだ見ぬ絶景へ憧れた。天と地を結びし天の浮橋だとされる天橋立へ。天高く舞う竜の姿を見せる天橋立へ。天橋立を思いただそこへの憧れのみが膨らみ天橋立を単なる絶景ではなく我が国の聖地に思えてきたのである。それでも何か月も漂泊の思いに耐えて憧れを押し殺した。しかし、どの文字を見てもいつも待ち焦がれている天橋立が頭をよぎる。そして彼岸の中日、即ち秋分の日。一年で最も常世と極楽が近くなる日にこの旅をすることになった。天に座す祖父や妹、ご先祖様を頼りて先日御霊舎にお供えしたおはぎをお下がりしてカバンに詰め壮大な丹後への旅が始まった。

 駅は大阪。梅田の繁華街よりこれより福知山まで行く列車が来た。福知山線の普通福知山行きである。これに乗り込み尼崎、伊丹、川西、中山と何駅も過ぎ去りてみれば宝塚駅についていた。反対に見える阪急宝塚駅は洋風の感じがして宝塚大劇場の風が電車の中からも伝わる。しばし止まるとまた動き始めた。ここから先は福知山線は最早全く違った風景を我らに与えてくれよう。山の中へ電車が入り武庫の流れを遡る愉快さを歌うは川の流れのみ。そして生瀬に着けば武庫の流れを右に見ていつしか闇の中へ行く。世界は夜のごとく暗く果てしなかった。そろそろ闇を抜ければ散田の街に着いた。町をさらに進めば生瀬にて別れた武庫川がまた横になって走ることになった。田畑には曼珠沙華が天上の紺に少しでも近づこうと血の色をした花を花火のように咲かせていた。もう秋になったとふと気付かされたものである。そして三田駅に着くとかなりの数が降りていった。そして新三田に着いたら残りの人も電車から降りて行った。そして気づけば人はほとんどおらず朝食のおはぎを食べるのは今の内と思った。しかも福知山へ行く列車は基本的にはオールガチガチロングシートの207系や321系ではなくクロスシートの223系や225系。そして今回は勿論223系である。ならばとおはぎを頂いた。車窓の曼珠沙華とともに秋を演出してくれてとても良い。甘い味のおはぎはかなり乙なものである。その後は丹波の山も何のそのという勢いで走り気付けばいつの間にか丹波が追加された篠山の玄関口たる篠山口駅に着いた。此処より北は秘境の地。丹波の街を後ろに見て単線の区間へと入っていく。そこはいつも見ていた福知山線と違い山岳を登らんとする列車の雰囲気を感じていた。そして篠山口をでて初めの駅丹波大山に到着。一人の青年のみが駅に降りて行った。その青年の影が田んぼの青々しさとあっていてよい。そして単線区間を突っ走ると徐々に雲が厚くなり文字通り五里霧中となってしまった。五里も霧に覆われていそうであった。これを見た私はこの旅を憂いていた。神秘的かつ重圧的な霧はまさしく絶景と呼ぶべきものだがまるでこの旅の中で五里霧中の時が訪れるという警告かのように思える。その後もあたりは暗いまま谷川の駅に着いた。向かい側には加古川線125系が停車していた。私は取り合えず来たからその記念にと125系を写真に撮り列車に戻った。列車に戻ると車掌さんが検札に来た。ただ私は検札は特急ぐらいでしかされないものと思っていたため気が動転してしまった。ただ何とか車掌さんにICOCAを見せて何とかなった。この時普通車にも検札が来ることがあると知った。その後は丹波路をさらに北へ進むと明らかに雰囲気が変わり丹波であるものの但馬のような北国さを出しており先ほど申した絶景もまた色が白くなったように感じられる。その後も駆け巡るのも心地よくうっとりとしていたら早福知山に着きにけり。丹波路を最後まで走り抜けた感覚は一つ何か大きなものを達成した気持ちになった。

 この先へと行く前に時間がまだあるから福知山の街を見んと思い街を少し見るも退屈に思え京都丹後鉄道の改札へと向かった。京都丹後鉄道は第三セクターのもので歴史は福知山と宮津を鉄道で結ぶという計画から始まったものの当時の国鉄は周知のとおり経営悪化の一途を辿っており運営できないということで三セクになったらしい。知らんけど。ただ三セクに乗るのは人生で初めてだからかどのような列車なのかと期待に胸を膨らましていたのである。そして京都丹後鉄道の改札に行き駅員さんに緊張しながら天橋立までのたんごリレー号の切符が欲しいとの旨を言うと駅員は日帰りかどうかを尋ね日帰りであるというと京都丹後鉄道の乗り放題切符をセールスし始めた。どうやら旅の計画通りに進めば100円お得になるらしい。そして更には駅員の饒舌な口調に首を横には振れなかった。2250円ほど支払い手に入れたこの切符はデザインにも長けており丹後の海の波まで描かれており切符を買っただけなのに旅行の始まりを噛みしめていた。そして長い間福知山の街をボーっと見ていたらようやくKTR8000が到着した。福知山の駅のホームなのに北国の海に来たみたいな気持ちに陥っていた。中に入ると木の床に海を連想させる席、上には優しく明るい木の色。これを見るにこれをたった数百かで乗れて今回乗り放題チケットを持っているがため無料で乗れるのだ。嗚呼何ともいい気分か・・・そしてとても心を震わせながら我が汽車は進みゆく。福知山をでると前に見えるは大江山。鬼の話や雲海で名を得たるらしい。この緑の山々は何と美しかろう。濃緑色から秋への朱色に変わろうとする様には季節の節目を感じる。この小山を横には峠が走っている。そのアスファルトの峠も一生忘れないものになるだろう。またいつしか闇となる。そこはトンネルである。トンネルの前は峠しかし過ぐれば川が下に流れていた。その様も壮大なものだった。その後すぐに平地になり田んぼのみが広がっていた。しかし走っていったら高速道路が堂々と立ち尽くしていた。高速の陸橋を通り過ぎてみたらとうとう宮津へと到着した。お隣にはあおまつが停車しておりあおまつになりたいと思うようになったものの丹後の海を最後まで楽しみたいと思いあおまつに乗るのは諦めてせめてと思い写真に収めてスカスカと列車内に戻ってきた。そして席に座ろうと思ったらふと思った。宮津からスイッチバックすることを。即ちこれのさすところは反対方向に向かい出発するということだった。なら席の向きを変えればよいと思う人もいるかもしれないがみんな反転していなかったしなにより先日の大回りでこうのとりに乗った際にアナウンスで席を反転しないでくださいと言っていたからである。しかしそれはとある感冒が蔓延しており席を反転して大宴会されるとこのご時世的にどうかという話なわけでと思っていたらある一人の男の方が反転してもいいのかということを悩んでいる人の真横で何の躊躇もせずに反転したのであった。これはいいのかな?という後押しを貰い大丈夫だと思いながら反転した。そして汽車は時間となり駅を離れた。ただスイッチバックしているだけのため最初のうちはさっき見た密な住宅街を走っているだけなのである。しかし少し出るとお目当ての丹後の海はほど近く濃紺の海は奥底の見えないものの何か覗いたら行けなさそうな深淵を見ている感覚に陥る。一方陽は出た時と違い上へ上へと上り詰めていた。そしてボーっとしていたらすぐだった。天橋立駅に着いたのである。技術の進歩とはホントに恐ろしい。鳥肌が立った。

 そして少し古めかしい感慨深い駅舎を出るとあいにくの曇天であった。しかしそれも旅の一興。まだまだ旅は始まったばかり。疲れたがまだまだ楽しいこともあるだろう。それが起こることを丹後の海に祈る。

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