プロローグ①
「ウィッシュマスター君! 今度の理論もまた素晴らしい! これで我々の進化はさらに加速するだろう。大変な功績だ!」
「ありがとうございます」
「君がこの部署に配属になったときには、こんなに若いのに大丈夫かと思ったものだが、いやはや、私は浅はかだった。まさかこんなに優秀だとは!」
「ありがたいお言葉です」
「そんなウィッシュマスター君には、なにか褒美を与えたい。以前にも、今回も、そして今後も。我々のために働いてくれる偉大なる研究者に、相応の褒美を考えねば!
――どうだろう、私には年頃の子どもがある。君さえ良ければ、もらって――」
「休暇が欲しいです」
「――は?」
「褒美などぼくのような青二才には、全くもったいないものです。ぼくはずっとここで働く所存です。より大きな功績を残したときにこそ、褒美を頂戴したく存じます。なので、いまは僅かばかりの休暇を頂きたいのです」
「それは良いが。君の考えた理論は、おそらく画期的だ。きっと上の連中は、挙って君の元に遣いを送り込んでくる。バタバタが暫くは続くだろう。そうなっては、なかなか休暇を与え難くなる。こちらの勝手で申し訳ないがな」
「はい。それは重々承知しております。なので、そんなに長い期間は要りません。ほんの少し、誰にも邪魔されず、独りきりでのんびりと過ごしたいのです」
「ずっと研究漬けだったのだから、その欲求はよく解る。申し訳なく思っているよ――ちなみに。休暇とはどのくらいだ?」
「はい。ほんの一〇〇年ばかりを考えています」
※
そんなわけで。
やってきましたよ地球!
天河銀河太陽系第三惑星地球!
いやあ、休暇をねだった上司が最初は渋い顔をしていたからね。こりゃ駄目かなと思ったら、『たった100年で良いのか』なんて言って快諾してくれました。
よかったよかった。
『このショッピングセンターは、我らイェニトリ教団が占拠した』
『我々の目的は、この国で不当に拘束されている同志の解放である。また、拘束期間に対する賠償として、米ドルで1000万を要求する』
『12時間以内に要求が飲めない場合には、この人質を射殺する』
ただやっぱり、すぐに地球に来れるわけでなかった。
同族たちの中では、ぼくはかなり小柄な体躯をしているけれど。それでも地球の単位で換算すれば、身長は約8億光年ある。毛穴でさえ遥かに地球より大きい。
そんなんだから、元の姿で観光なんてできやしない。瞬きひとつで太陽系が滅茶苦茶になってしまう。
だから人間の、これから生まれてくる赤ん坊に意識だけをほんの少し植え付けた。
身体を小さくすることもできたけど、見た目が人間と違うしねえ。なにより、結構面倒くさい。一万分の一の誤差でさえ、空を飛び越す超巨人になったり、一寸法師になってしまったりするんだから。
人間の身体を借りるのが、一番手っ取り早かった。
ぼくはこれから、100年間、人間としての人生を旅行するわけなのだ。
――まあ、もう地球に生まれて14年経ったから、あと86年かな。
『お前たちの要求は分かった! 現在、政府高官が大使館を通じ交渉している!
悪いようにはしない! だから、人質だけでも解放してくれ!』
『だめだ。信用ならない。こちらの要求は変わらない。12時間以内に要求が飲まれない場合には、人質を射殺する』
あ。もちろん、意識を植え付ける相手が誰でも良かったわけじゃないよ?
それなりに文化文明が発達した場所で、それなりに裕福な家庭で、というのは前提条件。
折角の余暇なのだから、ある程度好きなものを飲み食いしたいし、遊び回っていたいから。
あと重要なこととして、難産死産が予想される子どもを選んだ。
地球に顕現するために身体を借りるんだけど、生まれる前の子どもだって、ある程度の意識はある。それを乗っ取る、なんてのは、ちょっと避けたかった。だから、元々は死産になるだろう子どもの身体を借りることで、両親は喜ぶ。ぼくも後ろめたい気持ちなしで嬉しい。
案の定、無事に生れたたぼくは、両親から溺愛されることになりました。
『繰り返す。こちらの要求は変わらない。求めるのは、不当に拘束されている同志の解放と、1000万ドルだ。あと11時間42分。
迂闊なことは考えるな。我らは121名でここを占拠した。全員武装している。諸君ら平和な国の兵隊では我らに敵わない。おかしな真似をしてみろ。この人質のみならず、何十人と死ぬことになる。政府高官とやらには、そう伝えろ。あと11時間41分だ』
ただいくつか問題があったんだよね、この人間の身体。
まず、うまーく調整したつもりだったけど、元の身体の影響を受けたのか、生まれてみたら髪は銀。瞳は赤。白すぎる肌。両親は生粋の日本人だったから、かなり異常だ。小学生の時分、うさぎさんみたい、と散々にからかわれたよ。
まあ、元々は医者からも【死産の可能性が高い。生まれても先天的な遺伝子の異常があり、長くは生きられない】的なことを言われていたらしい。
両親にとってみれば、元気に過ごしてさえいれば、見た目の違いなんて些末な問題だったみたいだけど。
『分かった! だが、その人質になっている子どもに、食事を提供することだけは許可して欲しい!』
『だめだ。許可しない。人間は12時間程度で餓死しない』
『こちらもこれだけは譲れない! 諸君らに危害は加えないと約束する! ホールの中央に、ちょうど諸君らから10メートル離れた場所に武装解除した調理人を寄越すから、食事の提供だけは許して欲しい!』
『――分かった、良いだろう。だが、食事は二人分を用意しろ。こちらで検食させてもらう。変な小細工があった場合には、人質のこの少女の命はないものと思え』
――あともうひとつの問題。なんでか知らないけど、よくトラブルに巻き込まれるんだよね、この人間。
そりゃぼくだって、地球旅行を満喫するためには、多少の刺激は欲しいと思ったさ。でも考えてみれば、これまでに何度となく観察してきた人間の人生とは、出生に始り、就学、就職、恋愛、結婚、出産に育児、介護まで、元の場所では経験しないことばかり。
地球の人間なら一度は夢見るような冒険活劇や波瀾万丈な人生は、今回はなし。また次の機会にしよう。
そう、思っていたはずなんだけどなあ。
「さて。日本人たちが要求を飲むかどうか」
「へへへ。心配するな、同志よ。あいつらだって解っている。こちらはこの人数だ。人質はこの少女だけじゃなく、居合わせた全員が人質になるんだからな」
「そうだぜ? 人質が殺されたとしても、迂闊に攻めてこられん。この国は平和ボケしているんだろ? そんなところの警察や軍隊じゃあ、俺らと真正面からどんぱちやって、何人死ぬか解らんでもないだろ」
「――それはそうか」
あ。終わったのかな、口上。
それまで拡声器で警察? みたいな人たちと交渉していた男が、小さく仲間に話し掛けている。
ぼくはその数メートル後で座らされて、機関銃の先端をこめかみに当てられているけど、聴いちゃうよねえ。この身体の身体能力は、並の人間の数十倍はある。ちっさいけど。
もしものときを考えて、若干身体を強くしておいたんだ。
生まれてまもなく、交通事故で不慮の死。なんて、望むところじゃないから。
「ただ、油断はするな。日本は狡猾だと聞く。マメリカの後ろ楯を使ってくるかもしれん。奴らの基地からはだいぶ離れているが、出張ってくる可能性はある」
「へいへい。同志よ、解っているさ」
――彼らの言葉は、日本語でない。英語でもない。トルカ語だ。
さっき【イェニトリ教団】て言っていたっけ。たしかイェニトリ教団といえば、ここ十数年で中東を拠点とし勃興してきた新興宗教だ。
なんでも、この世界の創造主(笑)を崇め、その力を借りて、来る最終戦争に備えるというもの。
世界の色んな宗教の教典から、自分たちに都合のいいところばかりを抜き出して好き勝手やっている、邪教の一種だ。
なんで知っているか? そもそもなんでトルカ語なんて解るのか?
そりゃもちろん、ぼくがこの世界の創造主だからだよ?
「――お嬢さん。恐ろしいかもしれないが、暫く我慢してくれ。日本人は利口だ。無論我々も愚かではない。きっと要求は叶えられて、無事に帰れるだろう。悪いがそれまでの辛抱だ」
ひそひそ話をしていたリーダー格の男が、こちらに歩み寄って言う。ちょっと拙い部分はあるけれど、かなり流暢な日本語だ。
「わかりました」
ぼくはひとつだけ頷いて、大人しく座って待つことにする。
その落ち着いた様子に、リーダー格の男は目を丸くし驚いているようだ。
そりゃそうか。どう見たって、自分の半分しか生きていないような子どもが、生き死にのかかった大事なこの場で、泣きも喚きもせず正座しているのだから。
「その歳の割には、肝が座っているな。殺すには、惜しいな」
それだけまたトルカ語でぼそっと呟いて、彼はまた最前線に戻っていった。
話している言葉、全部解ってるんですけど?
結局ぼくを殺す気なんじゃないか!
それにしても。どうしてこうなった。
ぼくはただ、このショッピングセンターに独りで本を買いに来ただけなのに。
――あとさ。この人間の身体の名誉のために言っておくよ。
ぼくは男だ。