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4 動きだす



 最後の灯りを消して厨房の戸締まりを終え、調理員達による終礼を終えたレナが更衣室へ行くと、先に終礼を終えていた給仕係のアリスがいた。


 二十歳のアリスは大衆食堂で給仕係として働き始めて二年目の女性だ。


 美しいブロンドの髪と薄い緑色の瞳を持つアリスはとても美人で、しかも前向きで明るい気性の持ち主でもあり、お客からの人気も認知度も飛び抜けて高い。アリス目当てに通うお客がいる程に。そして、アリスが店長ロックの姪である事も広く知られていた。


 レナに気付いたアリスはエプロンを畳んでいた手を止めて、仕事の疲れも見せずにニコッと笑顔を見せた。


「レナさん! お疲れ様です」

「お疲れ様。今日は忙しかったね。大変だったでしょう?」

「そうなんですよ、週の真ん中っていつも落ち着いてるのに。でもお酒を飲む人は少なかったですし週末よりも静かでしたよ」

「そっか。おつまみの注文が多かったからお酒も出たのかと思ってた」

「お酒はあまり。あ、今日のまかない! レナさんの大皿グラタン! すっごく美味しかったです、給仕係のみんな大喜びでしたよ。冷めても美味しくて」

「本当? 良かった」


 アリスと話す時間はいつも楽しい。


 妹のサラサと年齢が一つしか違わず、しかも気性まで似ているせいか、仲の良い同僚であると同時にどうしても心配したり気にかけてしまう妹のような、そんな存在になってしまっている。

 厨房着を脱ぎながらレナがくすくすと笑うと、アリスもけらけらと楽しげ笑っていた。





「勘違いだったらごめんなさい、なんですけど。レナさんって最近いつも誰か探してませんか?」

「え?」


 突然、アリスが不思議そうな表情で尋ねてくる。

 最初こそ何を言われているかが分からず首を傾げかけたが、すぐにその言葉の()()を思い至った。


 レナ同様に、路線は違うがアリスも通勤に乗合馬車を利用している。

 二人の勤務日が一緒の時は、各路線の乗合馬車の始発となる停留所が集まっているペンシャット博物館前広場までは一緒に帰っている。広場に着いたら別れて各々の利用する停留所に向かうのだ。

 アリスの指摘は、まさにその通りだ。

 ティッジにクッキーを渡してもう九日が経つが、あの日以降会うことが出来ていない。いつもは一週間に一度は必ず見かけていたのに。一週間以上も間があいてしまったのは久々で、今日はいるかな? と、広場に着いてすぐにトリテ広場行きの停留所をジッと見つめてしまうようになっていた。

 日頃のレナの行動の些細な変化をアリスは敏感に感じ取っていた。


「今日はいるかな、って早く確認したくて。つい見ちゃってたみたい」

「えー、誰ですか? 私も知ってる人ですか?」

「どうだろう。御者なんだけど」

「御者?」


 まさか御者だとは思ってもいなかったらしく、アリスはきょとんと目を瞬かせている。


「トリテ広場行きの夕便の乗合馬車の御者をしている人なの。他の路線も持ってるのかもしれないから、ちょっと分からないんだけど」

「……え? 御者ですよね。男性ですよね?」

「うん」

「男!?」


 カッと目を見開いて少々高すぎる程の声を上げたアリスに、レナも思わず「えっ」と肩を上げてしまった。


「うそ、うそー! レナさんが! レナさんの口から! 弟さんと食堂と喫茶店の男性陣以外の男性の話題が出るなんて!」

「アリス、声! 抑えて」

「あぁっ、ごめんなさい! つい興奮しちゃって」


 暗闇でも分かる程に瞳を輝かせながらもやっと落ち着いた様子を見せるアリスに、レナは大慌てでアリスの手を掴むと、まばらな通行人の邪魔にならないように博物館裏手の壁際へと移動した。

 ちらりと時計台を見上げる。お互いに利用する馬車の発車まではまだ時間に余裕があることを確認した。この時にちょうど、トリテ広場行きの乗合馬車が停留所に停車した。


「その御者ってどんな人なんですか? かっこいいんですか? いるかなーって確認してるって事は、そこまで親しい間柄ってわけではないですよね? お話はする関係なんですか? 挨拶だけ? わぁっ、ドキドキしちゃう。まさかレナさん、その御者に恋を――」

「違う。違うから」


 はっきりと否定する。

 レナは少々迷ったが、ここでしっかりと説明をしておかなければ大きく誤解をされてしまうと思い、ありのままの事情を説明した。ずっと昔からの顔見知りである事も含めて。これからの関係性をどのようにしていけば良いか少しだけ迷っている事も、正直に打ち明けた。

 これでなんでもない事なのだと納得してくれるだろう、と思ったのだが、レナの予想とは裏腹にアリスは両手で自分の頬を包むように置くと、とても嬉しそうに笑顔を浮かべた。


「その御者、絶対にレナさんの事好きじゃないですか!」

「確かに、嫌いなお客さんにわざわざ自己紹介はしないと思うけど。何か事情があったのかもしれないでしょう?」

「そうですよ! 乗合馬車の御者がわざわざたった一人の乗客に名刺まで渡して丁寧に自己紹介をするって、あり得ないんですよ! よっぽどの女タラシだったら違いますけど。その厳つい御者はどんなお客さん相手にも一貫してお客さん対応なんですよね? だったら尚更、その自己紹介には深い意味があるに決まってます。レナさんとお近づきになりたいからこその行動ですよ!?」

「アリス、落ち着いて」

「落ち着いてなんていられませんから! いいですか、レナさん」


 迫力ある表情で真っ直ぐに見つめられ、その気迫に押されたレナはぐっと言葉を詰まらせてしまった。


「私はその御者の顔も人柄も全然知らないんで、無責任にくっついて欲しいとかそんな事を言う気は全然ありません。レナさんが変なトラブルに巻き込まれたりもしてほしくないんです。だから、もし万が一、その御者が危険そうな人物だったら、すぐに私とか店長とか、それこそ弟さんのいる警邏隊に相談して下さいね?」

「それは。ええ、もちろん」

「約束ですよ? ――でも! もしその御者がとっても誠実な人だったら、の場合なんですけど!」

「!?」


 アリスはレナの両手を自身の両手でぎゅっと握りしめた、きらきらと少女のように瞳を輝かせた。


「これは、レナさんにとってすっごく良い出会いだと思うんです」

「良い出会い?」

「はい。だってレナさんが自分からクッキーをおすそ分けしても良いかなって思えるくらいには、その御者はレナさんにとっては優しくて安全そうな人なんですよね?」

「安全そう、って」


 ちょっとその言葉はどうなんだろう、と、思わずレナが微妙な表情になってしまうと、アリスはますますにっこりと笑顔を深めた。しかしすぐに真剣な表情になり、ちらちらとレナの背後を気にしている。

 トリテ広場行きの乗合馬車を見ていた。


「ちなみに今日の御者はその人ですか?」

「えっと……うーん、どうだろう。ここだと見えないね」


 レナも振り返って確認してみる。しかし自分達の立っている場所がよくなかった。御者の立ち位置は反対側で、馬車の窓越しに御者らしき人が立っている事は分かるのだが、ティッジかどうかは分からなかった。


「話し込んじゃったわ。アリスの乗る馬車はあと五分で出発よ。そろそろ解散しないと」

「えーっ。あぁもう、気になって今夜は眠れないですよ!」

「疲れてるから眠れるはずよ。気をつけて帰ってね」

「もー! レナさん、逃げる事が出来たって安心しても無駄ですからね? 話の続きは明日ですよ!」

「うん、分かったから。ほら早く」


 表情は不満そうなのに、明らかに興奮して楽しそうな様子は全く隠していない。アリスはトリテ広場行きの停留所とは反対側にある停留所へと急ぎ足で向かいながら、レナに手を振って別れを告げた。


 レナもアリスに手を振り返す。

 小さく息を吐いた。


 二十歳のアリスには一年後に結婚する約束をした婚約者がいる。

 無事に両家の親への紹介も済んでいて、皆に祝福されての恋愛結婚だ。

 ちょうどアリスの年頃でこの国の大半の女性達が結婚していく。貴族女性はまた事情が違うらしく庶民のレナには分からないのだが、平民女性は十八歳から二十三歳までの五年間がとても大切な時期であることは重々分かっている。


 恋愛も真剣そのもので、会話の話題の中心は恋愛と結婚という、そういう時期なのだ。


 レナにとっては『あまり関わりのない異性との人付き合いの始まりと、今後の関係性の築き方の悩み』のつもりで話したのだが、アリスは異性というだけで、恋愛の方面に全ての解釈を持っていってしまっていた。けれど、アリスの年齢や性格を考慮しても、そのように捉えられても仕方がなかったとレナも納得していた。


 レナが二十歳の時、マークは十四歳、サラサは十三歳。


 弟妹の暮らしと健康、お金、今後の将来の事で頭がいっぱいだった。仕事と家族。昔も今もそれが全て。そういえば恋愛や結婚の話を同僚の女性達として盛り上がったりもしなかったな、と、思い出してレナは小さく苦笑する。当時同僚だった女性達は皆結婚し子を授かり、ほとんどが退職している。


 カンカン、と時計台の鐘の音が鳴って、物思いに(ふけ)っていたレナはハッと顔を上げた。

 トリテ広場行きの馬車も後五分で出発となる時刻になっている。いけない、遅れてしまう。レナは慌てて鞄からお金を取り出しながら停留所へと駆け出していた。



「こんばんは、トリテ広場まで……お願いします」

「こんばんは」


 御者は、ティッジだった。

 乗り遅れを一番に心配して駆け寄ってしまったせいで、レナは会いたかったはずなのにビックリしてしまった。思わず言葉に詰まらせてしまい、しかし右手は習慣のせいか自然にお金を彼に差し出している。

 ティッジも、まさかレナがいつもの道ではなく反対側から現われるとは思っていかったらしい。驚いた様子で振り返っていたが、すぐに冷静な表情と態度でお金を受け取って確認を済ませていた。


「確認しました。どうぞ」

「はい。ありがとう」


 もう発車まであと数分しかない。

 馬車に乗車しながら、クッキーの感想を聞くのはトリテ広場に到着してからにしよう、と決めた。


 椅子に座るとティッジが扉を閉めてくれる。

 窓越しに目が合い、曖昧に微笑んで浅く頭を下げると、ティッジはわずかに躊躇ったように視線を下に向けたがすぐにまた目が合い、同じようにほんのわずかに頭を下げた。そしてすぐに御者台へと向かっていく。


 今日の乗客はレナ一人。

 こんな日は月に一度あるか、ないかだ。特別に珍しい事ではない。けれど今日は乗客が自分一人で良かった、となんとなくそう思った。心が少しだけいつもより落ち着きを無くしている。一人きりで冷静になる時間が確保できる事に、ちょっどだけ安心した。

 トリテ広場行きの乗合馬車は定刻通りに発車した。




「少々お時間をいただいてもよろしいですか?」

「はい」


 トリテ広場に到着して馬車から降りてすぐ。

 声をかける前にティッジから話しかけられて、レナは振り向いて返事をした。御者台から身軽に降り立ったティッジは馬車止めに馬車を固定して馬を一撫ですると、手袋を脱いで上着のポケットにしまいながら足早にレナの元へとやって来る。

 ティッジの表情は相変わらず笑顔がなく険しさに満ちているが、レナは最初の頃のように後退る事はなかった。


「先日はクッキーをありがとうございました。美味しくいただきました」

「良かった。実は今日、感想を聞けたら良いなと思っていたんです。美味しく召し上がって頂けて嬉しいです。てん……作って下さった方にも、伝えておきます。どの味が一番お好みでしたか?」

「チーズ入りが。初めて食べました」

「チーズクッキーですか?」


 レナは聞きながら少々意外に思った。

 ティッジは甘い物が好きと言っていたから、砂糖を多めに使用したシンプルなクッキーが一番好みかも知れないと思っていた。まさかチーズクッキーが好きだと言われるとは思わなかった。

 少し驚いていると、ティッジは腰に下げている黒革の鞄を開けた。中から取り出したのは茶色の封筒。レナの手のひらよりも縦も横も少しだけ大きさがある。ティッジはそのままレナに差し出した。


「これを。受け取って下さい」

「これは?」

「クッキーのお礼です」

「お礼……えっ!?」

「変な物ではないですから」


 怪しい物なのではと疑って驚いた訳ではなく、気を遣わせてしまったことが申し訳なかっただけなのだ。しかしせっかく用意してくれたお礼を断る事も失礼だと思い、レナは恐縮しながら封筒を受け取った。


「あの……ありがとうございます」

「いいえ。こちらこそ」


 シン、とわずかに二人の間が沈黙に包まれた。

 ここで封筒の中を開けて見るべきか迷いながら視線を封筒に固定したままでいた時。


「ご都合が良い時に、お食事をご一緒に、いかがですか。……()()()


 とても驚いて顔を上げると、緊張した様子で眉間の皺をさらに深くして、威嚇するかのごとく恐ろしい表情を浮かべたティッジが睨むようにレナを見つめていた。表情だけを見てしまうと、憎まれている、あるいは恨まれているのだろうかと不安になってしまいそうになる。けれど。


 二人きりの食事に誘われた? ……私が?


 言葉を失っていると、ティッジは少々慌てた様子で「いや、」と言いながら右手を胸の前で軽く左右に振る仕草を見せた。


「もちろん無理にとは言いませんので」

「いいえ。ぜひ。ご一緒させてください」


 どきどきと胸の鼓動が早まっている事には知らないフリをしてレナが返事をすると、ティッジは大きく濃い金色の瞳を見開いた。信じられない、というように。


「よろしいのですか?」

「はい。お誘い、ありがとうございます」


 自分の緊張を悟られないように。笑顔を浮かべていうと、ティッジは口元を隠すように大きな右手を被せてしまう。

 目元も頬も、耳まで全て真っ赤に染めて、瞳を小さく揺らがせていた。



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