研究室
5階。西棟。
1歩、廊下を進むたびコツンっと音を立てた足音は、床に敷かれた赤い絨毯へ吸収されていく。
1歩、壁に掛けられた複数の肖像画らしきものは、この屋敷の先代かなんかなのだろうか。
1歩、一定の間隔で吊り上げられたシャンデリアは、窓から入り込む夜風に吹かれ、音を立て揺さぶられている。
突然、両側に立つ石レンガの壁が開けバルコニーが姿を見せた。4本の柱で構成された比較的小さいバルコニーだ。黒ずんだ屋敷側の壁と、蔦が垂れ落ちているソフトクリーム型の屋根が、『幽霊館』の年月を物語っている。
高度な技術で彫り巡らされたであろう手すり部分に手をかける。と同時、横からの微風が髪を遊ばせた。
フクロウが小高く鳴いた。うっすら目を細め景色を噛みしめる。っと、
衝撃。手をかけていた手すりが突如として崩れ落ちた。一瞬のことで、どこかに手で掴み身体を支えようと試みたが、伸ばした手は宙を搔き空振りに終わった。
体が浮く。此処は5階で、このまま落ちると思った。――直後。
「おぉ、危ない」
浮いた体が落ちる直前で何かに支えられる。
「大丈夫、かい?」
後ろから届く声。この人に助けられたのだと、心の中で何度も感謝を呟いた。
後ろに振り返り、改めて口から感謝を述べようと。……だが、支えていたのはヒト、ではなく、屋根から伸びた蔦だった。
その奥に姿を見せているのは、
「はぁ、本当に良かった。手は伸ばしたんだけど、落ちてしまったかと」
何なのだ、この人は。期待していた訳ではないが、こういうのは青年が助けてくれる展開なのでは……?
微かな脱力感を覚えつつ、絡まっている蔦を解く。
「ところで、見ない顔だね。何処から来たのかな?……まぁゆっくりしていってくれ」
にしても、裏が赤いマントをひらひらさせ、薄く微笑むその姿は美丈夫そのものだった。どこからか光が入って美丈夫の周りをキラキラと光らせていた。キラーンという音が聞こえた気がする。本当に何なんだ。
「この屋敷には変わった人が多いからね」美丈夫は視線を逸らす。「きっと、心許せる人がいるはずさ」
変わった人ってあなただと思います。ミイラさん、ゾンビさんこういうことだったんですね。と、そんなことを苦笑いの裏に隠した。
「ちなみに、この後時間――」
美丈夫の言葉を遮り、ごめんなさいと目線を下に落とす。
「……そう、か。屋敷の外に行きたいと。では、またの機会に」美丈夫は片手を屋敷の奥へと向ける。「螺旋階段はすぐそばにあるよ」
後半半分申し訳ない気持ちになってきた。頬を搔き、階段の方に足を運ぼうとする。と、ここでもう1度振り返り、美丈夫の方を見る。
「……」
彼女が見ると今まで抑えていたのか、彼は上げた口角の端から八重歯を見せた。更に唇をつたい、つぅーっと血が固い床に滴り落ちている。目下の隈は一層増し、髪の毛の先端をゆらゆらと泳がせ、大地からマナを吸い取るように風を纏っている。何より、ラベンダー色だった瞳が、濃い、濃い菫色に変貌しているのだ。
それはまるで、――ヴァンパイアのようだった。
背筋が凍り、思わずひッっと声が出てしまった。
「……? あぁ、驚かせてしまったね。何でもないんだ、ふっ」
言うと、何事もなかったかのようにすっと最初の姿に変えた。もうどちらが本当の姿なのか分かる由もない。
最後は堪えきれなくなったとでも言うように鼻を鳴らすが、ここでも微笑みを崩さなかった。
「……では、また」
そう言い、――ヴァンパイアは背を向け、崩れ落ちるように消えていった。更に彼女もまた膝から崩れ落ちた。名のない脱力感が全身を疼く。
こ、怖かったぁと、重い溜息に全てを吐き出した。
♢
4階。西棟。
建付けが悪いのか螺旋階段を降りると1段1段ミシッ、ミシッと音を立てるのに苛立ちを覚えた。だがそれは次の瞬間からどうでもよくなる。暖かいのだ。
先ほどまで震えていた指先が突然、ピタリと止まる。
何事かと、急いで螺旋階段を駆け下りると、小さな暖炉が熱気を放っていた。
近寄り、手を翳すと自然と唇が綻びた。
そういえば、先ほどは駆け下りたせいで、次の下の階に行く階段がないことを気に留めていなかったが、どうやら此処は各フロアに螺旋階段は東棟、西棟のどちらかで、1階ずつしか降りれないらしい。
つまり、この次は東棟に行って螺旋階段を探さなければならない。
暖かすぎてそろそろ涎を垂らしだすと、回れ右し東棟に向かって歩き出した。
♢
暖炉の暖かさが裏目に出て、先ほどよりも1層指の震えが大きかった。
頻繁に息で手を温めていると、何か気配を直感した。
息を詰め、ゆっくり後ろを振り返る。と、
「「う、うわあぁああああ!!」」
そこに居たのは、扉に顔だけ透かせ浮いている白い物体。突然のことに、驚きを隠せず尻もちをつくが、どうやら相手の方がビックリしているようだった。
そのまま白い物体はクルクルと回転し、複数の燐光を漂わせて散った。
何だったんだと、目を白黒させていると、扉がキーッと音を立て開いた。
「あぁ、もう行っちゃダメって言ってるじゃないですか。……だからこんな事になるんですよ、全然研究ができないじゃないですか。君らが居ることでやっと結果という成果を得られるというのに、何を仕出かしてくれてるんです、大体……(以下省略)」
中から顔を出したのは、10歳くらいの少年だった。腕を組み扉に凭れかかり、長々と言葉を展開した後は、短い上背の割に長い白衣で隠れた指をひらひらさせ、どういう原理か先程の白い物体を陽炎のように出現させた。
彼女が啞然としているとどうやらこちらに気付いたようだ。
「ん? どちらさんですか? もしかして、僕の研究に興味があるとか⁉」
子供のように、いや実際子供なのだろうが、喜ぶ姿は一層少年さを際立てている。
「ねぇ、折角来たんだから見っててもいいんだよ? で、ですよ? ……ん、いやもう見るしかないですよね。ほらこっちです。こっっち」
半場強制的に背中を押され研究室なる場所に連れていかれた。
月光照らされる薄暗い部屋、かと思うとそうではなく、天井に吊らされた球体が淡い光を放ち室内を柔らかい光で包んでいる。
目線を下に下げるとそこには研究室と呼ぶに相応しい量の発明器具がわんさか並べられている。
「これは、『ひきにーと? のための猫の手三昧』こっちは『疲れて帰ってくると裏がない優しい笑みを振りまくメイドのめいちゃん』」
めいちゃん? とやらのおでこを子供は軽く指で弾いた。と、
「お帰りなさいませ、ご主人様。……どうしていつも構ってくれないのです? そんなに私のことがお気に召しませんか、いやそんなはずないですよね。誰からも愛されるお姉さま系極上レベルですよね。おおご主人様はそれを分かっておいでなのですね、嬉しい限りですよもう」
「ぁ……」
子供が指ではじいた衝撃で何かのスイッチが作動し『疲れて帰ってくると裏がない優しい笑みを振りまくメイドのめいちゃん』が起動したらしい。子供はしまったとでも言いたげに、声にならない声を漏らす。
「……言い忘れていたけど、めいちゃんはまだ改造中でほんの少しいや大分、ネジが外れちゃって――」
「おや? ご主人様無視ですか⁇ この可愛い可愛い私に無視とは――」シューッ
めいちゃんとやらが言い終える前に子供は容赦なく頭から水をぶっかける。めいちゃんは火の粉を散らせながら呻き声を上げているのか。ん、なんだ、唇が……ご主人様ドSぅ~って、は?
あまりのネジの外れ方にあんぐりと開いた口が塞がらない。子供もこれには正直引き気味のようだった。恐るべし破壊力。
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