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BB.Front line  作者: 本の魚
第一部「I and airgun」 
10/11

MISSION 8「驚きと肉。そして空。」

 3/10 15:43 東京都 八王子市 織物通り一丁目 『Y.A.P.C BALLET ANT』事務所



 「本当に…シェアハウスなんですか?」


 恐る恐る真偽を確かめる灰色の瞳。不自然に黒い髪が、東京の暖かい風に舞う。


 「そう…だよ?あれ?コウから聞いてなかった?」


 「知らされてすらいなかったです‥‥。」


 「まいったねえ~。相変わらず、仕事ができるんだか抜けてんだかわかんないな~。」


 驚くトオルコを見て、たじたじと頭を掻くシロミネ。雪のように白い髪が手の動きに合わせて動く。


 しかしトオルコよ、これは失敗だ。まず前提条件を履き違えていた。いまさらになって、ノリと勢いで決めた自分の選択に腹が立った。


 「う~ん。まあ、とりあえずさ。中紹介するよ。そのあとコウに散々文句言ってあげて?」


 「そうさせて‥‥いただきます。」


 やり場のない怒りを隊長にずらして保身を図るシロミネ。この人意外とやり手かもしれない。最も、最後に決めたのは自分なので自己責任ではあるのだが。


 「はいはいっと!それじゃあ気を取り直して~中の紹介をするよ。」


 手を二回たたくとシロミネは、一階正面にあるガラス張りの入り口に立った。


 「ここが来客専用入り口ね。基本的に隊員の出入りは、さっきのエレベーター横の入り口に限定してるから気を付けてね。」


 「はい。わかりました。」


 慌ててシロミネの横に立つトオルコ。白いワンピースがひらりと揺れた。ガラス張りの扉を開けると、カランと、来客を告げる備え付けのベルが鳴った。


 「それで…まあ中に入るとこんな感じ」


 室内は壁や床に至るまでコンクリ―ト張りだった。外観とは一変して、冷たい印象を与えられる室内。コンクリート打ち放しの壁は、長方形の集まりとなっており、角の頂点には丸いくぼみがあった。

 しかし、不思議と閉塞感は感じなかった。これは、南向きに設置された二つの大きな窓が太陽の光を十分に取り込んでいるためだろう。


 そんな室内は、中央を仕切りで縦に分割されていた。ドアから室内に入ると、右手側には事務所然としたデスクが五つ、歪な長方形を描くように並んでいた。

 壁際には、ガラス戸の内側にファイリングされた様々な資料が規則的に並べられていた。やはり、かなり几帳面な人がいることは間違いない。


 「一階が僕たちのオフィスだよ。報告書の作成とか、最近起こったバルーン関連の事件の情報とかを調べたりといった、デスクワークは基本ここでやるよ。」


 シロミネは机のあるあたりを指差して教えてくれた。


 「そして、壁を挟んでこちら側が来客室だよ。」


 そう言いながら、左側に足を運ぶシロミネ。目隠し用の仕切りで囲われたスペースは、大きめの窓に隣接して位置していた。そのため、実際のスペースよりは広く感じる。


 木製で楕円形のテーブルと、似た意匠の四つの木製椅子が対面になるように置かれており、窓の外には小高い木が三本植えられていた。

 深い緑の葉は、もうじき日暮となる太陽の光を全身で浴び、中央のテーブルに薄らと影を落としていた。

 

 右と左で雰囲気が全く違う。現代的なオフィスと対照的な西洋風の来客室。


 そして、丸いテーブルの端、上座の方にガラスのショーケースがあることに気がついた。


 トオルコはテーブルの脇を通り、ショーケースの中を覗いた。

 その中には、いくつかの賞の証であろうか、盾やトロフィーが静かに飾られていた。


 「ああ、それね。うちの隊員たちの受賞トロフィーだよ。依頼人に自分たちの実力を示して、安心させるためとかなんとかコウが言ってたっけ。」


 なるほど、つまりこれは依頼人に自分たちの実力を示す名刺みたいなものか。トオルコは納得して、小さく頷いた。


 「ちょ〜っとそうやってまじまじと見られると恥ずかしいからさ。先行こ先!」

 

 催促するように早口で話すシロミネ。あまり恥ずかしがるものではないのにとトオルコは疑問に思う。

彼のトロフィーはあそこにはないのだろうか。だから周りと比べられたくなくて…。

 といった詮索をしてみたが、二階に続く階段を上に登るにつれて野暮な考えは霧散していった。


 コンクリートでできた無機質な階段を登りきり、二階に辿り着く頃には、頭の思考が霧散し切っていた。


 「はい、ここが二階ね。左手側が男性用ロッカールームで、隣が女性用ロッカールーム。さらにその隣が共用トイレ。あ、女性限定トイレは五階にあるから、慣れるまではそっちを使うといいよ。」


 一階と同じくコンクリートが廊下を覆っていた。階段の目の前には、二つの部屋がある。それぞれスライド式のドアには「男のロッカー」と「女子のロッカー」と書かれた木の板が立てかけられていた。

 女性限定トイレがあるあたり、共同生活でも気配りが効いてると感じたトオルコ。


 「そして共用トイレの隣は…これは見た方が早いかもね。」


 説明しようとしたシロミネが、ロッカールームと共用トイレを通過し、一番右奥の部屋の前に立った。

 両開きの大きなドアだ。スペースもかなり広く取られてることから、この部屋の異質さが滲み出ている。


 そしてシロミネは色白の手で三回ノックし、


 「キーちゃん?入るよー。」


 両開きのドアを開けると、そこは機械の中だった。


 「す…すごい…。」


 フロアの半分を占拠するほど巨大で暗い室内は、液晶モニターの光で青く照らされていた。奥側の壁に取り付けられた、人間の横幅ほどはある大型液晶モニター。それを半分にしたサイズの液晶モニターが左右に二台取り付けられていた。


 中央にはテーブルが置かれていた。一階で見たオフィスの机を、そのまま一つにしたような大きなテーブル。黒一色のそのテーブルには、薄く黒い線で方眼の線が引かれていた。


 両側には、どこかの研究室じみたガラスの壁。その内側にはスーパーコンピューターを彷彿とさせる黒い筐体が、壁いっぱいを埋め尽くすように鎮座していた。

 ガラスの向こうでは、筐体に描かれた幾何学的な青い六角形の集合体。その頂点に、それぞれ緑色の小さいLEDランプが点滅を繰り返していた。さらに目を凝らせば、青い六角形を描いているのは水冷式のパイプだとわかった。


 この部屋だけ、世界観が反転しているように錯覚させるほどの異彩を放つ。科学力の結晶ともいえる部屋だった。


 視線を中央に戻す。大型液晶モニターの下には、黒地に青い縁取りのデスクチェアと、大型のキーボードを備えたデスク。


 デスクチェアにかけられた黒いマフラー。デスクチェアはくるりと回転し、部屋の主が姿を見せた。


 「あっシロミネ〜!どうしたの〜?」


 そこには、もう聞き慣れたテクノボイスを奏でるアンドロイドが座っていた。キーは、オーバーサイズの赤いトレーナーに紺色のジョガーパンツを着て、頭にヘッドホンをつけていた。


 「カッキ―に事務所の案内をしていたんだよ。返事を聞かずに入っちゃってごめんね。」


 「全然!!気にしないから平気だよ~!」


 部屋の主であるキーは、部屋のイメージとは対照的にいつもの明るいテンションで話してくれた。黄色の眼が、暗い室内でほんのり光を放っている。


 「そ・れ・よ・り・も!!」


 その眼がトオルコを捉える。キーはすっと立ち上がり、両手を目いっぱいに広げた。


 「ようこそ!!トオルコちゃん!!!あなたがいるこの部屋こそ!ワタシ達のブレーンにして作戦会議室!」


 「最高峰のスパコン『ケイ壱型』と同性能の筐体を四基並列化したパーフェクト・サイバー・ルーム!!その名も『High(高度) Intellig(知的)ent Verify(立証) Engine(機構)』!」


 「略して『H.I.V.E』!!!どうどう!?トオルコちゃん!!『バレット・アント』にあってると思うんだけど!?ぴったりだよね???」


 怒涛の口上が終わり、キーがトオルコに近づいて食い入るように見つめてくる。その黄眼には、目を丸くした私が写っていた。


 「うん…トオルコちゃんらしくて…いいと思うよ?」


 ふわっと語尾を滲ませる。高度知的までは私のボキャブラリーで追えたが、それ以降は置き去りになった。『H.I.V.E』の呼び方だけ覚えていれば良いだろう。


 「でしょでしょ!?トオルコちゃんに分かって貰えるなんて嬉しいよ~!!」


 天真爛漫な笑顔を見せるキー。それにしても、『H.I.V.E』か。確かに、六角形を描くように光るLEDを見れば『蜂の巣(hive)』に見えないこともない。見えなくもないが、あの当て字はやや強引に感じる。あとで辞書を引いてみよう。


 「じゃあ、ひとまず紹介はキーちゃんがしてくれたし、次行こうか。」

 

タイミングを見計らっていたのだろう、シロミネは次の部屋に向かうよう催促した。

 

 「わかりました。じゃあまたね、キーちゃん。」


 「うん!いつでもおいで!!充電の時以外は大体ここにいるから!!」


 そういうとキーは自分のしたいことを成し遂げたように、にこやかに笑って二人を送り出した。大きなドアをゆっくりと閉めながら、部屋を後にした。


 「ここが事務所のハイライトかな。あとここより上の階は、居住スペース…シェアハウスだね。」


 「う…はい、一応…聞かせていただきます。」


 「はいはいっと、じゃあ行こうか。次は三階だよ。」


 にんまりと半端な笑顔を見せ、シロミネは階段に足を向けた。


 二人は三階に到着した。目の前には、四つの部屋が並んでおり、二階のロッカールームと同じスライド式のドアで統一されていた。


 「ここから居住フロアだよ。階段の目の前がキーちゃん、隣が僕で、次がクロイ。」


 廊下を歩きながら、それぞれの隊員の部屋を教えるシロミネ。ドアには木の板に名前が彫られたプレートが立てかけられている。キーだけは金属板にボルトやら針金を折り曲げて作った機械的なものが立てかけられていた。


 そして、廊下の突き当りの部屋、段ボール箱が山積みされている部屋が見えてきた。


 「ここがカッキーの部屋。鍵は後でコウから渡されると思うから。あとで聞いてみて。」


 はい、と小さく答えるトオルコ。目の前には隊員がもってきてくれたのだろう、私の荷物が山済みされていた。


 「じゃあ先に上の階を紹介しちゃおうか。荷解きは少し後回しにしてね。」


 シロミネはそういうと、また階段に向けて歩き出した。


 荷物の山を見送り、二人は四階にたどり着いた。前の階と同じような造りのトキワとコウの部屋を通過する。廊下の突き当りに、すりガラスでできたスライドドア。


 シロミネは、ゆっくりドアを開けた。


 「え…?」


 着くとと同時に、トオルコは思わず声を漏らす。目の前には、明るい照明で照らされた広い空間が広がっていた。


 右手側には、三口のコンロと大型のシンク。それに二人で調理してもゆとりのある調理スペースがあった。コンロの向かいには、壁と一体型の食器棚。扉のない段には、電子レンジや炊飯器が置かれていた。角にはこれまた大型の冷蔵庫。


 さらにシステムキッチンと向かい合う形で、5人の椅子が用意された木製のテーブルが用意されていた。テーブルは暗い色のニスで仕上げられたもので、不規則な木目がシックで素敵だった。

 

 「馬鹿広いでしょ?コウの意向で広めにキッチンスペースを作らせたらしいよ。まあこれだけあれば、6人が飢え死にすることはないよね。」


 たしかに、これだけの設備があれば問題ないだろう。

 

 「左にあるのが、リビング。そうそう、ここから土足禁止ね。そこで脱いでおいで。」


 シロミネは私の足元を指さした。乳白色のタイルが一面に敷き詰められ、ドアのところから段差になっていた。なるほど、玄関ということか。


 「まあ説明はいらないね。見ての通り、ここがリビングだよ。」


 トオルコはスニーカーを脱ぎ、フローリングの床を踏みしめた。整理整頓されたシステムキッチンを進むと、大きめのソファーと小ぶりなラウンドテーブル。

 その周囲には雑誌でしか読んだことのなかった『人をダメにするビーズクッション』が二つ置いてあり、床には芝生を思わせる緑色のカーペットが敷かれていた。

 

 しかし、トオルコの視線はその先にあるテレビに惹かれた。


 「おっきいテレビ…。」


 『H.I.V.E』にあるものと変わらない大型の液晶テレビ。木製のビデオデッキに置かれたそれは、リビングの中央に鎮座していた。

 

 「でかいよねこれ。でもこれ使ってやるゲームとか、スポーツ観戦も最高だし。何よりスピーカーと接続すればサラウンドで映画を楽しめるよ!これは最高だよね!」


 このとき、トオルコはシロミネの眼に光沢が走ったのを見た。気がした。


 「特にこれで見る『ジュラシック・パーク』のスコールのシーンなんか、本当に空から雨が降るみたいで最高でさ。T-REXの咆哮なんてもう体が震えるよ!他の映画で言ったら『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のデロリアンが発進するシーンの臨場感は筆舌に尽くしがたい!それからそれから‥‥!』


 興奮気味に話すシロミネ。トオルコはぽかんとそれを見ていた。それに気がついた白髪の男。するとバツが悪そうに顔を背けると、


 「あっと…‥‥ごめんごめん。らしく無かったよね…?」


 色白の顔を薄く紅潮させて、頬を掻いた。その様子を見たトオルコは小さく笑い、


 「いえ…素敵だと思います。それにしても意外でした。映画が好きなんですね。」


 「そうそう‥‥昔はいろいろと多趣味だったんだけど、今の今まで続いているのは映画とバイクかな?」


 なんとまた素敵な趣味を。詳しく聞こうとしたとき、シロミネのスマホが鳴った。


 「おっと‥‥ちょっとごめんね‥‥はい。シロミネです。」


 電話に応じるシロミネは、トオルコに背を向け通話を開始した。


 「ええ…いまリビングを…もうすぐ?‥‥はい‥‥了解です。じゃあすぐ向かいますね。では。」


 短く応答すると、シロミネは通話を終了させた。


 「準備ができたらしいから先にいこう。五階はお風呂と洗濯機、それと洗面所があるよ。誰かに聞けば教えてくれると思う。じゃあ最後に屋上に行こう。」


 五階の存在も気になったが、それ以上に準備ができたという言葉に引っ掛かりを覚えた。何の準備だ?


 階段をのぼる二人。五階を傍目に頭を働かせるトオルコ、思い当たる節がない。時同じくして、その少し先で階段をのぼるシロミネの顔が、したり顔で笑っていることに気づくことはなかった。


 そして階段は終わり、屋上のドアがある踊り場に到着した。


 「さあ到着しました。ここが今日のクライマックスですよ!」


 シロミネは勢いよくドアを開けた。


 その刹那、穏やかな北風が私の髪をなでた。この季節には不釣り合いに感じる、焼け付くような赤い夕陽が瞳を照らした。


 それと同時に鳴り響くクラッカーの音、風船を割ったような破裂音が心地よい。そして、ドアの周囲にいた四人は、ドンキのパーティーグッズでよく見るカラフルな三角帽をかぶっていた。


 「ようこそトオルコ!『バレット・アント』へ!!」


 上機嫌に頬を緩ませて、クラッカーから飛び出たリボンをひらひらと振るコウ。


 「これからもよろしくね!カミキさん!」


 西日を受けて輝く翡翠の眼で、トオルコに微笑むトキワ。


 「よろしくなカミキぃ!へへっ!バシバシしごいてやるからな?」


 三角帽をかぶり、ヒトにしては鋭い犬歯をみせるクロイ。


 「さっきぶりだねトオルコちゃん!!なんでも手伝うから困ったら教えてね!?」


 コウと同じ色の三角帽をかぶり、クラッカーの殻を振り回すキー。


 彼らからの祝福を、ともに見届けたシロミネは不敵に笑い、


 「まあそういうことだよ、僕からも改めて。今後ともよろしくね。カッキー!」


 鉄の瞳を細め、笑顔の花を咲かせるシロミネ。色白の肌は太陽に照らされ、肌の透明感をより際立たせていた。


 私は胸の前で手を握り、それぞれの思いを確かに受け止めた。そして自分に言い聞かせる。


 私は間違っていなかったと。間違っていたのなら、これを正解にしてしまうのだと、強く強く自分に語りかけた。


 そうしてトオルコは、灰色の生え際の或る黒髪をなでおろし、返礼の言葉を紡ぐ。


 「ありがとうございます!これから…よろしくお願いします!!!」


 頭を下げ、全身で感謝と意気込みを示すトオルコ。それを決意の表れであると受け取った五人は、拍手をもって少女を受け入れた。


 「さて、それじゃあお腹すいたろ?お肉、焼こうか。」


 コウは手を叩き、後ろの円形テーブルにあった牛カルビのパックを取り出した。右手に握ったトングをカチカチを鳴らしている。


 「いいねえ!始めるかぁ!」


 クロイはガッツポーズをとり、コウから肉とトングを受け取ると石造りのBBQスタンドに向かった。それを追うように歩き始める隊員たち。


 「食べ過ぎて太るんじゃないの~?」


 「はあ!?その分働けばいいんだよ!おちょくるなシロミネ!」


 「脳筋ってやつですね…まあ実際そうなんですが…。」


 「そうそうカミキ。これ被りなよ。」


 思い出したように話すコウ。そして、頭の三角帽に手を伸ばし帽子をとった。すると、その下から新しい三角帽。マトリョーシカか。いや。マトリョーシカかよ。


 「えっと…これは今日考えたんですか?」


 頬を緩ませながら、三角帽を受け取るトオルコ。銀の髪留めが、引っ掛からないように気を付けながら被る。少しオーバーサイズだったので、おでこまで隠す不格好な形になってしまった。


 「驚いた?まあこういうアイスブレイクも大事だろ?腐っても隊長だからな。」


 そういうとコウは、トオルコの背中を押した。その様子を見ていたキーが、


 「ねえねえ~!早く食べようよ!!いこいこ!!!」


 手を引かれて、皆のもとへ向かうトオルコとキー。熱々の金網の上では、香ばしい木炭の香りと、蠱惑的にすら感じるほど艶やかな脂肪を垂らすカルビ肉。

 その横にある鉄板の上では、シロミネが塩焼きそばを作っていた。もやしとキャベツ、豚バラ肉が鉄板の上で丹念に炒め、塩コショウをまんべんなく振りかける。横ではクロイが麺をポリ袋から取り出しているところだった。


 その輪に加わり、何気ない会話に参加するトオルコ。そしてまた思い返す。思えば、誰かと夕飯を食べることもかなり久しぶりだった。


 いつまでこうして笑えるのか。またいなくなったりしないだろうかと、複雑な思いがよぎる。それでも、トオルコはいつまでもこうして誰かと笑っていたいと、小さく祈った。


 そうこう考えているうちに、いつの間にか焼けた肉がお皿に盛られていた。油滴るカルビで口を満たし、塩焼きそばが胃袋を満たすころには、夜が帳を下ろし、陽は落ち切っていた。


 




 3/10 23:21  『Y.A.P.C BALLET ANT』事務所 3F


 一通り荷解きを終え、ベットの設置が終わった。


 部屋は意外と広く、収納棚も大きかったため暮らしには事足りるだろう。乱雑に積まれた段ボールの山が視界の端に移る。


 風呂は済ませ、歯磨きも済ませたのだが、どうも寝付けない。高校のジャージをパジャマとし、布団に入ったのはいいが、雑念が迫るように沸き上がる。


 その雑念がとりとめもなく、答えの出ない類のものと割り切れる。しかし、トオルコの睡眠を妨害するには十分足るものだった。


 寝返りを打ち、ベットの横のサイドテーブルを見る。そこにはアパートから持ってきたデジタル時計とスマホ。


 そして、カーテンから漏れた月明かりを受けて淡い光を放つ、銀の髪留め‥‥『銀鍵』があった。銀鍵は持ち手にあたる四角形の頂点を煌めかせ、トオルコの瞳を優しく照らす。まるで、鍵も私を見ているかのように。


 ぼんやりとそんなことを考えながら、トオルコは昨今の出来事を振り返る。


 今日も今日とて、長い一日だった。何となく、カーテンレールにかけた制服を見る。あちこちがほつれ、小さく引き裂かれたYシャツ。ところどころに、うっすらと血が滲んでいた。


 つい昨日まで、宮城の高校で卒業式だったなんて信じられない。ましてや、バルーンに襲われた記憶なんて遠い過去の出来事にすら感じる。


 「まあ、切り替えが早いってことなんだろうけど…。」


 ぼんやりとした思考が口から出る。切り替えが早いのか、おめでたい頭のつくりというか。靄がかかったような邪念に、やだやだと呟くと布団を被り、固く目をつむった。




 ‥‥5分後



 「寝れない。」


 どうしようもない現状を憂いて、口に出す。


 時刻は間もなく、日付が変わる頃合いだ。別に寝れないからどうってことはないが。初日から朝寝坊は良くないだろう。さっきトキワさんに言われた、朝食が出る8時には起きれるようにしたい。


 それゆえに、早めの就寝をと布団に入ったのはいいが、こうも寝付けないのは考え物だ。


 ふと、視線を窓に移す。カーテンの隙間から、丸い月が見えた。トオルコは思い立ったように、布団から出た。

 机の椅子に立てかけていたダッフルコートに身を包み、下駄箱でスニーカーに履き替える。つま先をトントンと叩き、ドアノブを握った。


 周りを起こさないように、静かにドアを開ける。人一人分の隙間を開けたドアから、滑るように廊下に出る。廊下は暗く、コンクリートの冷たさが身に染みる。足元を照らす、白い補助灯が点々としていたため、階段までの道のりを迷うことはなかった。


 忍び足で、トオルコは階段をのぼる。足を運びながら、トオルコは食事中の話を反芻させた。


―――ここの屋上は基本自由に使っていいよ。昼の陽気にうたた寝しても良し、エアガンの外装を塗装しても良し、読書してもいいかもね。戻るときだけ、鍵を閉めてくれれば何をしても大丈夫。


 焼きそばを食べながら、隣で話してくれた白髪の言葉を思い出す。近くで見ても美形で、鉄のような瞳が印象的だったと、トオルコは思い出す。


 トオルコは階段の頂上にたどり着き、踊り場の先にあるドアに手をかけた。ドアの鍵に手をかけた時、違和感を感じた。


 「鍵が開いてる。」


 誰か閉め忘れたのだろうか。ツマミが縦に開けられていた。いや、一般家屋ではこれが開いている状態のものだとしても、この鍵だけは違うかもしれない。


 そういった根拠のない理論は、ドアノブを捻ると同時に開放されたドアによって瓦解した。


 開いちゃった。何とも言えないもどかしさを抱えて、トオルコはアイボリーのタイルが敷き詰められた屋上に足を踏み入れた。

 少し寒い、夜風にあたりたいからここまで来たとはいえ、やや寒さが身に染みる。トオルコはダッフルコートのボタンを閉じる。鳥肌の立つ二の腕をさすり、タイルに沿うように歩き出した。



 そしてトオルコは気づいた。奥の手すりに誰かが立っていることに。軽く心臓が跳ねたが、たぶんお化けの類じゃないと、不思議な確信をもってトオルコは歩き出す。


 シルエットの大きさは男、ややガタイの良い腕と、その腕の先にある手には橙色の光。頭髪は短く刈り上げられていた。月明かりに照らされたその髪は、夜に溶けだしそうなほどに暗い、鉄紺色の髪だった。

 もはや見慣れた黒いミリタリージャケットを羽織り、煙草を嗜む男が一人。


 「ん…カミキか?寝れなかったのか?」


 何食わぬ顔で、煙草を咥え振り返るコウ。夜空と同じ色の瞳が私を捉えた。コウは手すりによりかかるように佇み、煙草の灰を脇にある灰皿に落とした。


 「う…はい、ちょっと慣れなくて…。」


 「まあ、昨日の今日じゃあ無理ない‥‥か。」


 小さく答えたコウの声が、夜の闇に消える。開いた口に煙草を滑り込ませ、煙を吐き出す。


 「風上はこっちだ。」


 煙の流れる方向を確かめ、右手に持った煙草で隣を指さした。コウから見ての右側面だった。言われるままに、隣に立つトオルコ。それを見納めたコウは、改めて肺を煙で満たす。


 深夜に差し掛かった屋上は、思いのほか様々な音で溢れていた。たばこ葉が焼ける音と、どこかで遠くで鳴り響くサイレン。裏山の木々のざわめきには心を洗われるようで心地よい。


 自然と文明の音が、静かに反響する屋上。それにもどかしさを感じたトオルコは、重い口を開いた。


 「たばこ…吸うんですね。」


 「意外か?」


 「まあ…それなりには。」


 煙草を嗜んでいるせいだろうか。年も変わらないはずなのに、10年以上は長生きしているような不思議な雰囲気を醸し出している。


 「煙草は嫌いか?」


 コウは唇から煙を漏らしながら、トオルコに問いかける。


 「好きではないですが‥‥ポイ捨てするヒトは嫌いです。」


 「そうさなあ、あれは‥‥よくないよな。」


 ぼんやりと同意するコウ。遠くを見るように目を細め、ただ前を見つめている。


 数秒の沈黙ののち、トオルコは口を開いた。


 「シェアハウスだったなんて、聞いてませんでした。」


 コウと同じように目を細め、手すりに頬杖をして投げやりに質問をぶつけた。


 「ん‥‥そういえばそうかもな。」


 ますます目を細め、ぼんやりと答えるコウ。その様子を傍目に見ていたトオルコは、大きくため息をついた。

 わずかに息が白み、東京の空に消えていく。


 「ここ二日間で気づいたんですが‥‥説明が少なすぎますよ…ホントに。」


 「はは、よく言われるかもな。」


 にやりと唇を歪ませるコウ。そんな彼を見て、また溜め息をつくトオルコ。わずかに変わった風向きが煙の流れる方向を歪めた。流れる煙がトオルコの顔に当たった。


 「‥‥いつから煙草吸ってるんですか?」


 ふと疑問に思ったトオルコが正直に問いかける。


 「最初に吸ったのは、キーを拾った時だから5年前かな。雨の日だったよ。」


 過去の記憶を思い出すように、コウは煙草のフィルターを眺めた。


 「へえ‥‥…え?」


 妙な突っかかりを覚えて、まさかの疑問を投げつける。


 「コウさん‥‥今いくつでしたっけ。」


 「・‥‥戸籍上は‥‥20だね。」


 「はあ!?未成年から吸っていたってことですか?!いくらなんでもそれは‥‥・!」


 柄にもなく、大声を出すトオルコ。


 「う…うるさいっ!俺はいいんだよ俺は!!」


 「なんでそうなるんですか!?まったくもう‥‥。」


 トキワさんが普段から頭を抱えている理由がなんとなくわかった気がする。三度目の溜め息をもって、この話題を終了させた。


 沈黙が二人の間を流れる。コウはゆっくり煙を吸い、トオルコは虚ろ気に遠くを見つめた。視界の果てに、航空障害灯の赤い光が点滅していた。


 「・‥‥これから、不安か?」


 「それはもう……不安です。私はそんなに…強い人間ではありませんし‥‥」


 トオルコは消え入るような声で、力なく弱音を吐いた。確かに、いくらか齟齬があったとはいえここに立つ現状は自分で選択し、決意した上だった。

 それでも、考えずにはいられなかった。本当に自分の力を生かせるのかを。期待に応えうること実力を身につけることができるのかを。


 本当に、あの『選択』は間違っていなかったのを。


 「最初から強い人間なんていないさ‥‥。」


 俯くトオルコを傍目に、コウは唇から吸殻を離し、ぽとんと灰皿に落とした。


 「お前ならきっと強くなれる‥‥だから俺は、お前を入隊させたんだ。」

 

 「‥‥何を根拠に…?」


 「昨日の体育館‥‥お前。自分が大変だってのに、男女二人組を助けただろ?」


 トオルコに聞きながら、コウは手すりに背を向け、寄りかかるように立った。


 「ええ…そうですね。」

 

 「なぜ助けた?」


 「私が…『やりたい』と思ったからです。」


 その回答を聞き届けたコウは、背中を手すりに預け、空を仰いだ。数瞬の沈黙、満月の光をまぶしそうに見つめながら、コウは口を開いた。


 「・‥‥窮地に陥った時、ヒトの対応は正直だ。」


 「我先にと逃げ出すもの、誰かの手に縋ろうと藻掻くもの。もしくはヒトを踏み越えてまで逃げ出すようなヒトもいる。」


 「‥‥‥確かに・‥‥そうでした。」


 「お前はその誰とも違うヒトだったからだ。」


 「それは‥‥どんな…?」


 「助けを()()()()()()人に、手を伸ばしたヒトだったからだ。」


 「・‥‥え?」


 あっけにとられるトオルコ。どこか、ちぐはぐに感じる理屈に呆然とコウを見た。煙草を吸い終えたコウは、ジャケットのポケットを漁った。


 「館内の状況見聞で大体わかったよ。二人の状況はそれぞれバラバラだったが、共通していたのは、お前に助けを求めなかったことだった。」


 コウは、ジャケットから煙草の箱と、ジッポライターを取り出した。箱から一本の煙草を取り出し、口にくわえた。トオルコはコウの言葉を聞きながら、ただその様子を見つめていた。


 「ヒトは『助けて』と言われたことに対しては、即座に行動に移せる者は多い‥‥だが、助けを求めない相手を救おうとするヒトはそう多くない。」


 加えた煙草を上下に揺らし、器用に喋るコウ。


 「そりゃあそうさ。ただでさえ自分も大変で、生き残りたいってのに『助けて』を言わないヒトに手を伸ばしてなんていられないのさ。」


 ジッポライターの蓋を開ける。澄んだ金属音が鳴り、コウは火打石をはじき、火を灯した。掌で小さく光る橙色の炎。そこに煙草を近づけ、数回ほどふかした後、煙を大きく吸い込んだ。


 吸った量に比例して吐き出される大量の煙。吐き出された煙はコウの周囲を漂い、ゆっくりと霧散しっていった。


 「俺たち…まあ人命救助にかかわる全般の職業に言えることだが。人命救助の本質は『助けてを言えない人々を救うこと』だからな。」


 トオルコとコウが目を合わせた。男は夜の闇を内包した蒼い瞳を、少女は曇り空を閉じ込めた灰の瞳を。二人はただ、お互いの瞳を見つめ続けていた。

 その眼は、体育館で見た時と同じだった。コウの心からの信頼を示しているように、月明かりが青い瞳を照らした。


 コウは煙草を口から離すと、優しく笑った。慈しむような思いを瞳に宿らせて。


 「だから俺は、お前を採用しようと決めたんだ。おまけに度胸もあるときた。これはヘッドハントすべきだって確信したってわけ!」


 急にひょうきんな態度をとるコウ。それに驚いたトオルコは、僅かに肩を震わせた。


 「理由としては‥‥少し不十分に感じます。」


 頬をむっと膨らませ、ささやかな反論をみせるトオルコ。


 「まあいいんじゃない?残りの要素は、これからの成長に期待したってことにしとけ。」


 やや強引に話題を終わらせるコウ。そして、煙草の灰を灰皿に落とし、また口に咥える。


 「カミキ。ちょっと手を貸しな。」


 「はい…?」


 頃合いを見計らっていたように左手を差し出すコウ。それに答えるかのように手を握るトオルコ。男の手は大きく、やや骨ばっていたが、温かい手だった。


 「‥‥‥うん。温かい。少しは眠くなったんじゃないか?」


 「あ…いわれてみれば‥‥」


 眠気の存在を意識始めた途端、まぶたが僅かに重くなっていることに気がついた。今布団に入れば、気持ちよく寝れるだろう。


 コウは静かに手を下ろすと、


 「色々話して楽になったんだろう。体が冷えないうちにお戻り。俺はこれ吸い終わるまで少し残るよ。」


 「はい。‥‥いろいろと、ありがとうございました。」


 手すりから体を離し、頭を下げるトオルコ。その表情は、屋上に来た時のものより、清々しい顔になっていた。それを見て満足したコウは、


 「そ・れ・と、呼び捨てでいいよ。敬語も無理して使わなくていいしな。」


 「分かりま‥‥うん、それじゃあ。おやすみ、コウ。」


 「おやすみ、カミキ。」


 挨拶を言い直したトオルコを見て、頬を緩ませるコウ。挨拶を終えたトオルコは、階段に続くドアを開けた。踊り場に出ようとした時に、男のいる方に体を向けた。

 

 「最後に‥‥二つだけ言わせ‥‥て。」 

 

 「ん‥‥?」


 煙草を咥え、空を仰いでいた顔がこちらを向く。


 「人前でいきなり頭を撫でるのはちょっと‥‥。照れるので、やめてくれると嬉しい・‥‥それと!煙草は体に毒!禁煙の努力はしてよね!?」


 頬が紅潮する感覚をよそに、畳みかけるように言葉を並べ、コウに投げつけた。それを見て、クスクスと笑うコウは煙草を持った右手を大きく振り、


 「善処しまーす。」


 気が抜けるほどひょうひょうとした態度で答えた。トオルコは、やれやれと小さく笑いながらドアを閉め、自室へと向かった。


 コウはその小さな背中を、今は小さな背中を静かに見送った。



―――そうして屋上には男が一人、取り残された。


 最後の一服を、肺全体にいきわたらせる様に吸い込み、男は夜空を仰いだ。東京の空は大気で汚れ、まともに見える星は数少ない。

 それでも、燦然と輝く一つの天体。月だけは今でも綺麗に見えていた。


 そして男は小さく、誰にも聞かれないように小さく呟いた。


 「あの子が本当にアイツなら‥‥どれだけ嬉しいことなんだろうね。」


 せめてもの願望を漏らし、フィルターまで焦げた吸殻を灰皿に押し付け、コウはその場を後にした。

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