王女の一歩
肌寒さで目が覚めて、私は確認するように周囲を見渡す。
散乱した服はそのままに、隣にいた彼だけがいなくなっている。
「ユウ…一体何処に…」
脱ぎ捨てられた彼のローブを羽織って、そっとベッドを降りる。
…明らかにおかしい。護衛として私から離れたことのない彼もそうだけど、さっきから声が一切聞こえてこない。
それに──
「甘い匂いがする…?」
部屋に充満する仄かに甘いこの匂い。私も彼も、香は炊いていなかったはずなのに。
私は静かに扉の前へと移動すると、そっとそこへ手を掛ける。
久しく感じた不気味なまでの静寂を前に、私は動機を抑えるように深く息を吐くと、そのまま扉を押し開けた。
ーーー
「帰って来て早々、『真相を掴むため、しばらく旅に出る』か…何を考えてるのだ…」
王城の一角にて。ギルドより提出された報告書を読みながら、その内容に頭を抱える王様。
報告書の中身は、コウスケ達へ依頼した水没都市へ向かう娘の護衛任務の詳細とその調査報告。そして帰還後に王都を飛び出したアネモネについて記載されていた。
「はい…私共が報告を受けたときには既に遅く、護衛につけていた冒険者へそう言って出たそうです」
「はぁ…わかった。もう下がってよいぞ」
ギルドマスターの言葉に、苦笑しながらそう告げる王様。
一人になった彼は、持っている報告書を机へ投げ置くと座っていたソファーへともたれかかった。
「アネモネよ…お前は一体誰に似たのだ…」
誰もいない部屋の中、ひとり呟いた彼は、亡き妻を思い浮かべながら静かに苦笑した。
ーーー
「ありがとうございました、ミリンさん。わざわざ、ここまでゲートを使わせていただいて…」
ヴィエーユ首都の路地にて、町娘のような服装で頭を下げたアネモネ。
魔法陣から出てきたミリンは、滅相もないと手を振り半歩下がる。
しばらくの沈黙の後、2人は動悸を抑えるように息を吐くと、どちらともなく顔を見合わせた。
「──聞かないのですか?」
「えっ…?」
「気になっているのでしょう?私が、訪れたこともないはずのヴィエーユに関する記憶を持っていること」
「それは…」
ミリンとて噂程度には知っていた、さとり姫というアネモネの二つ名。実際に心を読まれていたことに対し、彼女は一瞬動揺する。
「別に、気を遣わなくても良いのですよ。…これでも一応、私は貴女達を信頼して頼み事をしているわけですし」
「でも…」
「目的があるとはいえ、信頼しない相手に記憶の共有なんてしませんよ。…それに、ここは王国での立場なんて関係ありません。今は一人の友人として、貴女と話がしたいのです」
「はぁ…わかりましたよ、姫さ─いや、アネモネさん」
返答に対し、満足気に微笑むアネモネ。
そんな彼女の表情を前に、ミリンは静かに苦笑すると、会話を続けるように口を開けた。
ーーー
魔王城前に広がる庭園にて、規則的に聞こえる空気を切り裂く音。
音の主たる漆黒の鎧を着た男は、不意に振っていた大剣をピタリと止めた。
「今日も素振りですか。相変わらず精がでますね」
「…」
無言で大剣を下ろし、静かに振り返る鎧の男。
音もなく、彼の影から現れたユウは、スカートを翻しながら半歩下がると、踊るようにしてその場で一礼した。
「…それで、要件は?」
鎧越しでくぐもった男の低い声。
口角を上げたユウは、流れるように宝石の剣を生成すると、そっとその刀身に手を添える。
「一人で訓練している貴方に少し興味がありましてね。…丁度次の任務は同伴ですし、軽く手合わせをお願いしようと思いまして」
「手合わせ、だと?…丁度いい、我も戦いたくて仕方がなかったのだ。その剣が折れて戦闘不可能とか言わないでくれよ?」
「えぇ…もちろん」
促されるようにして、鎧の男は突き刺した大剣を構える。
しばらくの沈黙の後、2人は同時に地面を踏み込むと、互いの剣を交差させる。
「なるほど、重いな」
「えぇ…貴方こそ、思った以上に早く動けますね」
短く言葉を交わし、そのまま飛び退くユウ。
一撃、二撃、三撃と──鎧の男は、振り抜いた勢いのまま前に飛び出すと、そんなユウを追撃する。
重さを感じさせない鎧の下で、彼は嬉々として口元を歪めると、後退するユウに肉薄する。
「そうはいきませんよ」
首を捉えたはずの男が振るった大剣は、そんなユウの声と共にそのまま空気を切り裂いていく。
「ッ…!?」
鎧越しに目を見開きながら、大剣を地面に突き刺し、残った勢いを殺す男。
彼が体制を整えた瞬間、不意に正面に現れたユウは、宝石の剣を静かに前へ突き出すと、男の首筋へと据える。
「──俺の負けだ」
観念したように大剣を離し、その両手を上げる男。
ユウは満足気に宝石の剣を消滅させると、無言で彼へと手を伸ばす。
「斬撃速度は申し分ありません。ただ、動きが単純すぎます」
「そう、か…」
ユウの手を掴みながら、何処か納得したように、そんな声を漏らす男。
彼はそのまま、何かを決めたように息を呑むと、静かにその手を離す。
「…できれば今後とも、相手をしてくれると嬉しい」
「相手…問題ありませんよ。私としても、メリットは大きいですしね」
「──では、我はこれで失礼する。…明日に向けて備えておくとしよう」
「えぇ…また」
踵を返し、そう言って立ち去る男。
「──流石、ヘルシャフトですね。…魔剣の名は伊達ではない、と」
彼がいなくなった庭園の中、ユウは考えるようにそっと腕を組むと、その口元を楽しげに歪めるのだった。
ーーー
「──ッ…血なまぐさいッ」
扉を開けた瞬間、先程までの甘さを一瞬でかき消しながら、私の鼻孔に突き刺さった錆びた鉄のような匂い。
開いた隙間から顔を覗くと、美しい装飾のあった廊下は、真っ赤な死屍累々の広がる地獄へと姿を変えていた。
──何が起こっているの…?
立ち止まっていたって始まらない。
私はその場で息を吐くと、廊下へ一歩を踏み出す。
…グチャリ──
足に感じた、生暖かい嫌な感触。
何処か反射的に、私は視線を落とす。
「ぅ…うえぇぇぇぇ──ッ」
その光景に耐えかねて、本能的に胃に入ったものを戻す。
びちゃびちゃと吐瀉物のかかる足元のソレは、きっと誰かの内蔵で。理解すると同時に再び私は嘔吐する。
周囲を改めて確認すると、廊下は何かの破壊跡と、胴体を引き裂かれた死体の山で埋め尽くされている。
「これ…全部、さっきまで生きて…?」
現実を否定したくて、自問するように声を出して。…その言葉すらもまた、紛うことなき現実で。
生を感じられない空間の中、私は彼のローブを握りしめる。
「ユウ…何処にいるの…」




