悪魔の契約
ここは神話の時代より続く、わたし達魚人族が暮らす海底の国。
長きにわたって地上との関わりを断っていたこの国は、突如現れた1人の竜によって地上へと引きずり出された。
そんな大きな変化からはや数ヶ月。魚人族のみんなは急激に変わった水圧などにも順応し、再び国としての機能を取り戻している。
「女性…?いや、でも…」
敬愛する父上に呼び出され、流されるように玉座の間へと泳いだわたしは、無意識にそんな声を漏らしていた。
「突然すみません、魚人族の姫様。私は元竜王スカーレット・ドラゴンの息子、ユウと申します。以後、お見知り置きを」
わたしの視界に映った、使用人のようなロングスカートを身に纏った美しい竜人の男性。一目で見ればわかる、その圧倒的なまでの強さ。
…魚人族の次期王として、それなり強いと自負しているけれど、今のわたしではきっと彼の足元にも及ばない。
女性のように美しい彼は、身につけたスカートの裾をそっと摘むと流れる動作で自己紹介をする。
「父上、この御方は一体…」
彼から視線を外し、わたしは父上へと返答を求める。
…何故、存在しないとされていた竜人が目の前にいるのか。
…何故、わたしにそんな彼を引き合わせようとしたのか。
そんな理由も、今となってはもう直接聞くことはできないけれど。
「魚人族の宝石、ですか…?」
「えぇ。…とある文献でによれば、太古の種族はそれを作ることができると」
彼のここに来た目的は、魚人族の王家が代々受け継いできた蒼色の宝石を手に入れること。…それも、ティーフゼーの中枢にあるほどの巨大なものではなく、手のひらに収まる程度の大きさのものだという。
「どうして、わたしなんかにそんな…」
過去に、彼の言っていた宝石を父上が作っていたのを見たことがある。
今のわたしでは、まだ難しいものだということは明らかだけど。
ふと視線を戻すと、彼は確信めいた表情で微笑み返してきた。
…宝石を生成できるようになることはどのみち、王位継承のためにできなければならない道。
彼が何に用いようとしているのかはわからないけれど、わたしは今まで以上に自分を追い込むことにした。
彼と関わってから約1ヶ月。
わたしは遂に、宝石の生成に成功した。…大きさはまだ指先程度のものではあるのだけれど。
最初の印象通り、彼の力はとても膨大で、宝石の生成で最も懸念点であった魔力制御の方法を実践形式で教えてくれたりしていた。
当の本人は忙しいのか、地上にある帝国とやらとここを頻繁に行ったり来たりを繰り返していた。いつか、自分を彼の特別にしてほしいなんてそんな打算もあったけれど。
…そんなわけもあって、わたしは関係を強要した。…彼がただの道具でなく、わたしを見てくれたのを確認できたのだから、結果的には良かったのだと思っている。
それからしばらくの間、わたしは彼の求める大きさのものを作れるよう、日々技術を研いた。…彼の隣に立てる、そんな存在を目指して。
いつしか、経過報告と称して彼と逢引することが楽しみになっていたのはここだけの秘密だけれども。
「私の名前はイヨ。…魔王ルインの娘にして、ユウの幼馴染よ」
彼の警告を無視した罰なのだろうか?
いつの間にか塔内で戦闘が始まって、気が付いたらわたしは真っ暗な空間にいる。
幼馴染?妹?他国の王女?
──眼の前に映る彼女達は、わたしを守るためだと言った。
意味がわからない。
──彼がまた壊れてしまう?
一体どういうことなのだろうか。
彼女達の話を総括すると、彼のためにわたしに死なれては困ると。
…全く、何を言っているのだこの女達は。
──ただ、そんな彼女達の言葉から2つ、わかったこともある。
それは、自分の知らない彼に対する微かな嫉妬。わたしも同じだから、それだは確かに伝わった。
でも、それ以上にわかったことは…彼女達行動そのものが、一番に彼のためを思っている故のものだということも。…王女を名乗った女だけは、自分の本心に気付いていなさそうだけれども。
だからこそ、わたしは眼の前の状況が理解できなかった。
「…貴女には多分、直接見てもらったほうが早いわね。ローズ、アレをお願い」
幼馴染を名乗る女の言葉に、妹を名乗る女が一歩を踏み出す。
彼女は懐から手をいれると、顔くらい程ある大きな水晶珠をわたしの前へと差し出した。
「──ユウ様が、戦って…」
水晶珠に映った、怪物と戦う彼の姿。
女達が言うに、彼と共に怪物と対峙している3人は、彼のかつての仲間だった者達なのだと。…確かに、言われてみればしっかりと連携は取れているし、互いをカバーしあえている。
どうしてだろうか、水晶越しに共闘している3人に対して軽く嫉妬を覚えつつも、わたしはその映像から目を離せないでいる。
そんなわたしを他所に、幼馴染女は不意に「それに…」と言葉を繋げると、意を決したように口を開ける。
「…この怪物は本来、貴女がなるはずだった可能性の1つ。放置しておけば、無差別に周囲の生命体を吸収する厄災となりうる存在よ」
何処か説明口調で呟くような幼馴染女のそんな声。
──わたしが?
あの怪物だったかもしれない?
同意を求めようとして、女達は目を逸らす。
「では、ユウ様が戦っているのは──」
「魔王軍の1人、サルモネラよ。大方、貴女へ向けていた薬物が使えなくなったから自分で…って感じでしょうけどね」
「どうしてそんな…」
「さぁ…?私もそこまではわからないわ」
気が抜けるような声音で、幼馴染女は淡々とそう言い放つ。
──ふと、水晶珠に映る彼が、男を庇う姿が目に入った。
わたしは自らの懐に手を入れると、彼から貰った紅色の宝石を握り締める。
『私は今、貴女と生きるこの関係を守るために戦っています。…いつか、私達全員が笑って過ごせるその日を願って。──これは、その御守りです。…できれば、ずっと持っていてくれたら嬉しいです』
共に夜を明かしたあの日、彼が言っていたこの言葉。
もしかしたら、彼はずっと守り続けていたのかもしれない。…そう、きっとそれはわたしだけでなく、彼と関わったその全て。
水晶の中の彼らは、今もずっと戦闘を続けている。
──わたしは、果たして守られるだけでいいの?
いつか隣に立とうとしたわたしの覚悟は、本当にその程度のものだったの…?
答えは──否。
なら、わたしは今──
「私は──貴女達の知っていることが知りたい。…そう、私の知らないユウ様のことを」
ーーー
「ぇ────」
頭で理解するよりも早く、口から漏れたそんな声。
コウスケの元へと駆けたユウは、眼の前に倒れ込んだ上半身だけのソレをそっと抱き上げる。
「モネフィラ…なんで…」
カラカラの喉から出した、精一杯のそんな言葉。
腕に収まった彼女は、血を吐きながら視線を動かすと、絶望の表情をしたユウへと手をのばした。
「ユウ様…泣かないで…」
彼の頬に手を触れながら、掠れる声でそう言うモネフィラ。
そんな彼女の身体は、ユウがありったけの治癒魔法を使っても尚、おびただしい量の血を流す。
「どうして…!?どうして治らないの!?」
「ユウ様…」
「このままじゃ…モネフィラの命だって…」
「いいんです、ユウ様…」
「でも…!」
「──ねえユウ様。…私は、ユウ様にとってどんな存在だったの…?」
「ぇ…」
彼女のその言葉に、ユウは一瞬声を失った。
ミリンの言葉を借りるならば、ユウにとってモネフィラは愛する女だ。今だって失いたくないから必死になっている。…それを理解しても尚──いや、それを理解したからこそ、ユウは彼女だけにソレを言うことができなかった。
「…ッ」
永遠とも思える、一瞬の沈黙。
モネフィラはまるでわかりきっていたかのように口角を上げる。
「ユウ様が、これだけ私を心配してくれるのは嬉しいです。それだけ…私のことを想っていると伝わってくるから…」
「モネフィラ…」
「──ですがユウ様。たとえ貴方が覚えていなくとも、貴方が守ろうとした人達はたくさんいます。だから私は、自分の意思でここに来たのです。
…貴方には、後悔してほしくないから」
瞳に涙を浮かべながら、ニコリと微笑むモネフィラ。
ユウの腕に抱かれた彼女は、力無く伸ばしていた腕を下ろすと氷面を漂う泡となって静かに消滅した。
ーーー
「ぅ…うああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ──!!」
戦火に響く、ユウのうめき声。
泡となる彼女の下半身を前に、コウスケは事態を察して拳を握る。
結局何も変わっていないのだと、そう悟った。
「ユウさん…」
奥歯を噛み締めながら、吐き出すように漏れた声。
視界の端で戦うミリンとスミレは、既に回復した怪物の触手の対応をしている。
「───ッ!」
不意に飛んできた複数の触手を目に、コウスケは咄嗟に防御姿勢をとる。
──死を予見した瞬間の思考に、ついてこれない自分の身体。
何度も体感した時間が引き伸ばされるような、そんな感覚。
そう、コウスケの反応は一瞬遅れたのだ。
ここが戦場であることを、ついぞ忘れたわけではなかったのに。それ以上に気を取られていたのだ。
『死ネェぇぇェぇェぇぇぇェェェェェ────っ!』
永遠に響くと思われた、怪物の咆哮。
引き伸ばされた時間の中、触手がコウスケに触れようとしたその瞬間──
突如として世界が止まった。
「これは…」
止まった時間の中で、そんな声が漏れる。
まるで自分が世界から隔離されたような、そんな感覚がコウスケを襲った。
『──事態は変わった。また新しい分岐点が訪れる』
「…ッ!?」
突然背後から聞こえた声に、慌てて尻餅をつくコウスケ。
いつからいたのだろうか、彼が振り返ると、そこには少女が立っていた。
『ねぇ──貴方、悪魔と契約してみない?』
「ぇ──?」
少女から発せられた言葉に、コウスケは素っ頓狂な声を上げる。
そんなことは気にも止めず、彼女は話を続けた。
『この状況を打破しつつ、誰も失わない為の力…貴方が望むなら、私はソレを与えましょう』
「…それは、本当なのか?」
『えぇ…とは言っても、契約の代償として、貴方が人でいられる保証はないけれど』
何処か脅すように、淡々と言い放つ少女。
そんな彼女を目に、立ち上がったコウスケは一瞬俯くと、最初から決まっていたように口を開ける。
「そんなことなら、関係ないね…!人で無くなる?上等だ、そんなのどんと来い!ミリンだってそうだったように…例え俺が何者であろうと、俺は他の誰でもない…俺だ!その事実が変わるわけじゃない。…そうだろ?」
『──えぇ…確かにそう、ね』
「その力で…本当にみんなを──ユウさんを助けられるなら!俺に拒否する選択肢は端っから存在しない!」
覚悟と共に拳を握り、宣言するように叫ぶコウスケ。
迷いの消えた、その純粋な瞳を前に、少女は見た目相応の笑みを浮かべると、静かにその口を開いた。
『──契約成立、ね』




