ブロークン・ドール
「父上の言う客人とは、一体誰のことなのでしょうか…」
自室へと向かいながら、ポツリと呟くモネフィラ。
そんな彼女に促されるように、開け放たれた扉を潜ったユウは、流れるような動作で大きな貝殻出できたベッドのようなものへと腰掛けた。
「さぁ…?私にはわかりかねますが、彼の予見能力から考えるに、それなりに重要な人物であることは間違いなさそうですけど」
「…確かに、ユウ様の言うとおりですね…」
ユウの言葉に賛同するように、気の抜けた様子で、水中に漂うモネフィラ。
しばらく流れた無言の後、2人はどちらともなく顔を合わせると、そっと微笑みあった。
「しかし、ユウ様は良かったのですか?私からの約束だったとはいえ、何度も、その…」
その頬をほんのりと赤らめながら、恥ずかしそうに口籠らせるモネフィラ。
そんな彼女の仕草を前に、ユウは彼女から目を逸らすと、自身の両手を見ながら呟くように口を開ける。
「別に、貴女達がどう感じるかは知りませんが…少なくとも私は、好意を持っていない相手を簡単に抱けるほど、軽い男じゃありませんよ」
「…!では…!」
「…そのままの意味で捉えてもらって構いませんよ。ただ、貴女のお父上が話したことはともかく、ですが」
そこまで言って、不意にその場で立ち上がったユウ。照れくさそうに自身を抱き締めるモネフィラを余所に、何かを警戒するように周囲を見回す。
…周囲のものとは明らかに違う、感じたことのない膨大な魔力の塊。
上空にゆっくりと近付いてくるその気配に、ユウはそっと彼女を一瞥すると、諦めたように息を吐いた。
「モネフィラ」
「ぁ、はい!?なんでしょうユウ様!?」
「…少し、用事ができました。…くれぐれも、ここから離れないように」
テンパる彼女を横に、そう言い残して影の中へと飛び込むユウ。
1人となった部屋の中、モネフィラはしばらく状況を理解できずに固まっていた。
ーーー
コウスケの展開した〈ゲート〉から出てきたアネモネを含むコウスケ達6人。
女性陣は、水中にも関わらず呼吸のできるこの空間に目を白黒させるさせると、説明を求めるようにコウスケへと視線を向けた。
「コウスケ、ここって一体…」
ミリンの声に反応するように、周囲を見渡すコウスケ。
成功した、という安堵も束の間、目の前に写り込む巨大な塔に、彼のその思考はすぐさま現実へと引き戻された。
「──ここは、本来姫様の護衛として行く予定だった水没都市。…この時間ならまだ、あの大きな塔に、『彼女』がいるはずだ」
塔を指さしながら、何処か自分に言い聞かせるようにそう呟くコウスケ。
アネモネとスミレ、スズナ、ライムの4人は、互いの顔を合わせると、静かに頷く。
作戦通りに、というミリンの一言を皮切りに、コウスケ達は塔の中へ、ミリンは自身の展開した魔法陣の中へと、それぞれ駆け出した。
ーーー
「ユウ様、一体何処に…」
ティーフゼー内にある自室にて、ひとり自問するようにそう呟いたモネフィラ。
落ち着かない気持ちを体現するように、せわしく室内を泳ぎ回った彼女は、不意に扉の前でピタリと止まると、そのノブへと手を伸ばした。
「少しだけなら、いいですよね…」
自分に言い聞かせるように、ポツリと漏れたその声は、頭に過ぎった「ここから離れないように」という言葉をそっとかき消す。
ノブを回し、開かれた扉の隙間から周囲を見渡した彼女は、身体を旋回させるようにして自室から飛び出すと、父親がいるはずの部屋へ向かって泳いでいった。
「父上、モネフィラです。入ってもよろしいでしょうか…?」
とある一室の扉を叩きながら、部屋の中へ向かってそう声を出すモネフィラ。
数秒の間を空けて、まるでそんな声が届いていないかのような、一切物音のしないこの状況に、彼女は一瞬嫌な感覚を覚えると、恐る恐るその手を扉へと当てた。
「開いてる…?」
ポツリと口から漏れたそんな声。
普段から鍵をかけ忘れることなど一度もない父親からすれば明らかに異常な状態とも言えるこの状況。
もはや予感だけでは済まないと結論づけたモネフィラは、それを否定する未来を期待しながら、勢いよく扉を開けた。
「────ッ!?」
扉が開いた瞬間、真っ暗な部屋の中から、目の前に飛び込んできた一本のダガー。
声を出すまもなく、真っ直ぐにモネフィラの首を狙ったソレは、不意に背後から飛び出した別の何かに勢いよく弾かれた。
「チッ…」
確かな舌打ちと共に、部屋の中央へと退いたダガーを持った影。
唐突の出来事にモネフィラが目を白黒させていると、その影と対峙するように一人の人族が背後から飛び出した。
「悪いが、彼女を今ここで殺させる訳にはいかない」
漆黒の竜剣を構えた人族──否、コウスケは、差し込む光によって段々と明るくなる室内に向かってそう言い放つ。
「…まさか、あなた達が私の邪魔をするとは、ね」
ゆっくりとその姿を露呈させながら、何処かおかしな調子で呟く影。
顕になったそこには、かつてコウスケを暗殺しようとした女が不敵な笑みを浮かべていた。
「サルモネラ…ッ」
女と対峙しながら、絞り出すように声を上げるコウスケ。
目の前の状況を理解できず、その場に固まっていたモネフィラがピクリと動いたのを皮切りに、2人は同時に地面を蹴ると、一瞬にして互いの距離を殺す。
「何が、どうなって…」
揺れ動く周囲の水を感じながら、後ずさるように扉へと手をつくモネフィラ。
そんな彼女を他所に、女──サルモネラと刃を交えたコウスケは、高速で繰り出されるダガーのその一撃一撃を漆黒の竜剣で的確に受け止めると、いつの間にか取り出した銀色の竜剣を左手にして、大きく弾き返してみせた。
「──ッ…」
小さく息を吐きながら、軽い身のこなしで勢いを殺すサルモネラ。
再び距離を取った2人は、両手の武器を握り締めながら体制を整えると、向かい合うようにそれを構える。
「冒険者コウスケ…あなたがここまで私の速さに付いてくるとは、驚きですね」
「ハッ…もうその台詞も…聞き飽きた、ね…ッ!」
互いに声を吐き捨てながら、三度衝突する2人。
もはや水中であることも感じさせないような、俊敏なその動きを前に、モネフィラは普段からこの空間に慣れているにも関わらず追うことができず、ただただ傍観するしかなかった。
「いい加減、退却してもらおうか─ッ!」
2本の剣を振るいながら、再び距離を殺すコウスケ。
互角─とまではいかずとも、的確にサルモネラの攻撃を受け流していた彼が一歩踏み込んだ瞬間、不意にサルモネラが口を歪めながらこちらへと向き直ると、振り抜かれたその剣は虚空を切り裂いた。
「──ッ!」
漏れた息と共に、咄嗟に全身を旋回させて壁へと両足を着けるコウスケ。
振り返った彼のその視線に、モネフィラが反射的に首を捻ったその瞬間、死角から現れた、何処か禍々しい注射器のような鈍器が、彼女をめがけて振り下ろされた。
ーーー
「ユウ…さ、ま…」
腹部から大量の血を吹き出しながら、事切れそうな声でそう呟くモネフィラ。
禍々しく変貌した彼女の身体から、そっと手袋をしていない右腕を引き抜いたユウは、海面に顔を出した、倒壊しかけているティーフゼーの外壁にもたれ掛かる。
「…ごめんなさい、モネフィラ」
血の滴る腕をぶら下げながら、彼女の亡骸を自らの影に沈める。
何処か脱力しながら、朧な瞳で空を見上げる彼のその姿を前に、モネフィラを追うように海面に上がってきたコウスケは、ただただ立ち尽くしていた。
「ユウさん…」
ポツリと口から漏れたコウスケのその声。
それに反応したのか、ゆっくりと光のない瞳をこちらへ向けたユウは、コウスケの姿を視界に捉えると、真っ赤な右手でその頭を掻き毟る。
「偶然、ではありませんよね。…貴方、私のストーカーか何かですか?」
「…ッ」
ゆらりと海面を歩きながら、静かにそう言うユウ。
反射的に息をつまらせたコウスケは、ゆっくりと近付いてくる彼にそっと身構えると、絞り出すように口を開ける。
「ユウさん…ッ!アンタは、その娘が大切じゃなかったのかよッ!?…なんで…なんでそんな簡単に殺せるんだよッ!」
潮風に乗りながら、ユウの鼓膜を刺激したその声。
ほんの一瞬だけ、その瞳に光の戻ったユウは、すぐさま海面を踏み込むと、立ち尽くしていたコウスケの胸倉を掴む。
「貴方にッ…貴方に何がわかるというのですかッ!?…心を許した相手をまた殺すしかなかった、この行き場のない私の気持ちがッ!!」
瞼に溜まった涙をこぼしながら、感情のままに叫び散らすユウ。
彼に突き飛ばされたコウスケは、今までに見たことのないその変貌ぶりに唇を噛みしめると、海水でしみる瞳を開けて彼を捉える。
「また…ッ?私は、モネフィラ以外にも殺して…ッ!?」
自分の言葉から生まれた記憶の矛盾に耐えかねて、血の付いた手で額を抑えるユウ。
撹乱するように、千鳥足で後退する彼の姿を前に、コウスケは〈イメージの具現化〉によって海面を地面と同じようにして踏み込むと、《アベンジャー》を杖にして立ち上がる。
(ユウさんのこの反応…今までとは、また──)
コウスケがそんな思考を巡らせようとしたその時、不意に何かがプツリと途切れたかのようにピタリと動きを止めるユウ。
何処か壊れた玩具のような、そんな彼の口から抜け出る、微かな笑い声。
狂気に満ちたその姿を目に、コウスケが背筋の凍るような感覚に襲われていると、彼は座った瞳をゆっくりとこちらへ向けた。
「あはっ…」
焦点の合っていない表情のまま放たれた、空虚な一言。
ゆっくりと身体を揺らし、コウスケの視界からブレた彼の姿は、一瞬にしてその距離を殺す。
「ッ…!」
反射的に、《アベンジャー》を突き出し、後方へ退くコウスケ。
(ユウさん…)
爪を弾いた反動により、ビリビリと痺れるその右手。コウスケは、ずり落ちそうになる《アベンジャー》を強く握り直す。
(俺のせい、か…俺が、余計なことをしたせいで、ユウさんは…ッ)
唇を噛みしめながら、次々と襲い来るその爪をかわすコウスケ。
今までの暴れ方とは明らかに訳の違う、ユウの動き。
「貴方さえ…貴方さえいなければッ!モネフィラは苦しむことなんてなかったのに…ッ!」
自分がここに介入したばかりに生まれた、新たな惨劇という事実を前に、口を紡ぐしかないコウスケ。
目の前で叫ぶユウのどの言葉よりも、その事実が自分のせいであるということは、自分の記憶が否応なしに証明している。
…もはや、コウスケに弁解の余地もない。
「モネフィラは貴方なんかとは違うッ!エイズの玩具にされたら最後ッ!もう二度と、元の姿に戻ることもない…ッ!一度変貌したら…殺すしか…殺すしか救う方法なんて存在しないッ!」
不意に胸元からペンデュラムを引き抜き、薙ぎ払うように振り回すユウ。
その勢いに飛ばされながら、海面へと叩き付けられたコウスケは、口の中へ入った海水を血とともに吐き出す。
(なんで、気付かなかったんだ。…モネフィラという存在は、ユウさんにとって大切だったということは嫌というくらいにわかっていたはずなのに。
今までだって、それが原因で俺達は殺されてきたのに。
…俺のした行為は、その大切な存在を、自らの手で殺すように仕向けたようなもの。
俺が、ただ一人…下手に手を出したりしたせいで、ユウさんは──)
声も出せず、ただ脳内で言葉を並べるコウスケ。
無神経にも彼を煽り、殺されてきた今までの自分も、それを庇おうとして殺されてきたミリンや仲間たちの姿も、ただ何度も何度もこの記憶に焼き付いている。
(大切な人を殺されたらどうなるか、俺は知ってるはずなのに…これじゃあ、まるで──)
「──悪魔、だな」
何処か客観的に、海面にぼんやりと写った自分を見ながら、ユウに聞こえないほどの声でそう呟くコウスケ。
いつの間にか胸に突き刺さっていたペンデュラムは、ポタポタと赤い液体を垂らすと、そんなコウスケの鏡像を静かにかき消す。
「さようなら…私達の心を乱す、異世界からやってきた害虫さん」
蔑むような視線を向けながら、吐き捨てるようにそう言うユウ。
ズルリ、とユウが引き抜いたペンデュラムは、コウスケの胸にぽっかりと大穴を開けると、大量の血を撒き散らしながら、光の粒子のように消滅した。
「ユウ…さ…ん…」
足元に広がる海水が血潮に染まる中、反射的に漏れたコウスケの掠れた声。
ぼやけた視界の中、コウスケは目の前に映る人影を見つめながら、沈み始めた自身の身体と共に、その意識をゆっくりと手放した。




