魔王再来
「──っ…ここは…」
ぼんやりとした視界の中、無意識に漏れた自分の声。
ゆっくりと状態を起こしたミリンは、窓から差し込む光を手で遮ると、寝ぼけたように周囲を見渡す。
「わたしの部屋…でも、なんで──」
そこまで言葉を言いかけて、飛び上がるようにベッドから飛び降りたミリン。
軋む身体も気に留めず、彼女は部屋を飛び出すと、廊下先にある一室の扉を壊す勢いで開け放つ。
「コウスケっ!」
誰もいない部屋の中で、ただ木霊するミリンの声。
ヨロヨロと、そんな室内へと足を踏み入れた彼女は、立て掛けてある2本の剣に手を添えて、静かにその場で崩れ落ちる。
「ミリンの姐さん」
しばらくの静寂の後、不意に呼び掛けられたそんな声。目元をを拭って、入り口へ振り返ると、何故か武装をしているライムとその視線が交差する。
「ライム、なんでそんな格好…」
「…」
ミリンのその問に対して、ただ無言で、槍を握り締めるライム。
焦りか、それとも安堵か、奥歯を噛み締めた彼女は、無造作に杖と銃をミリンに投げると、そのまま踵を返して足を止める。
「…ミリンの姐さん、アタシは不器用だからさ…あの男について、気の利いた声をかけることはできない」
「ッ…じゃぁ、コウスケは…」
「…」
肯定とも捉えられる、ライムの沈黙。
一縷の望みが潰えたように、ミリンは脱力すると、2本の剣からその手を離す。
「悪いけどミリンの姐さん、アタシ達はこれから、王都の周辺の調査に向かわなくちゃいけないんだ。一月も寝ていたから無理にとは言わない。…でも、できれば来てくれると助かる」
ただただ一方的にそう言って、俯いたミリンの視界から、遠退いていくライムの足。
部屋に一人取り残されたミリンは、再び黒い剣に手を伸ばそうとして、だらりとその腕を地面に垂らした。
ーーー
ミリンが目覚める少し前、アール王国王城内にて。
大穴の開いた天井の下で、大剣を構えた王はガウラと共に、1人の魔人と対峙していた。
「久々だな、小僧30年ぶりか?」
「魔王ルイン…ッ!」
魔人─否、魔王の言葉を前にして、忌々しげに声を荒げるガウラ。
隣に立つ王は、己の大剣を静かに構えると、目前の化物に視線を据える。
「そうか、貴様が魔王に…だが、我が城を破壊し単身ここに乗り込んできたということは、交渉というわけでは無さそうだな」
大剣を強くにぎりしめ、堂々たる声でそう言う王。
そんな彼に続いてギリギリと奥歯を噛み締めたガウラは、静かに地面を踏みしめると、腰のナイフに手を添える。
「フッ…なら話は早いな。想定とは少々違ったが、まぁいい…この俺が直々に、貴様らの息の根を止めてやろう」
不気味な嘲笑と共に、城内に響き渡った魔王の声。
解き放たれた濃密な魔力の波動は、瞬く間に城を丸ごと包み込むと、瓦礫の戦場へとその場を作り変えた。
ーーー
周囲に上がる黒煙に、風に乗って鼻腔をくすぐる焼け焦げた死の匂い。
援軍の要請を受け、他の冒険者と共にユートピアへと向かっていたスズナは、瓦礫まみれの辺りを見渡し、状況を確認する。
「スズナさん、これは一体…」
妙に静かなその中で、冒険者の一人がそんな声を漏らす。
「…何がどうなっているの」
不可解、と。そんな言葉がスズナの頭に反芻する。
彼女の眼に映ったのは、死屍累々の魔物達。
人影は愚か、黒煙を上げた炎すら、不意にそこから消え失せる。
「貴女達が援軍?思ったより早かったわね」
「───ッ!?」
「死神ッ──!?」
突然聞こえたノイズ混じりの低い声に、スズナが、冒険者達が、声を上げ咄嗟に警戒態勢をとる。
彼女達の目前に現れた2つの影は、骸骨の面をした顔をゆっくりと上げると、見定めるように、スズナの方へと視線を向ける。
「っ…」
対峙した二人の威圧感から、苦しい息がスズナの口から漏れる。
生まれつき持っていた、理を映す異能たる魔眼。
経験を積むにつれ、魔法を解析し、魔物を解析し、それらの特徴を、弱点を、見抜くことができるようになった。…だが、眼の前存在は一体何なのだろうか。
──この眼を持っていても、気付かなかった。
その強大すぎる気配も、そこにいた事すらも、声を掛けられたその時まで、ついぞ気付かなかったのだ。
魔眼で2人を見ようとして、本能的にその目を閉じる。
恐怖か、それとも自己防衛か。スズナにはもはやその区別もつかない。
「…ま、及第点って感じ?」
「力の差がわかるだけマシかも」
「だね」
スズナを筆頭に固まる冒険者を前に、呑気にそんな言葉を交わす骸骨面の2人。
何やら話がまとまったのか、足音も無くスズナに近付いたソレらは、闇色のローブを広げると、踵を返そうとその場に背を向ける。
「──待って!」
振り返った2人を引き止めるように、咄嗟に漏れたスズナの震える声。
足を止めた2人は、見合わせるように顔を動かすと、骸骨面の内から眼光を光らせる。
「…貴方達は一体、何者なの…?どうして、こんなところに──」
「あぁ…」
「それは…」
「「虐殺の女神の関係者、かな」」
「─ッ」
スズナの言葉を遮って、当然のように重なった2つの声。
多量の汗を流し、何度目かの息の漏れたスズナを背に、2人は再び顔を背けると、顔を隠すようにして仮面を少しだけ浮かせて呟く。
「あたし達は、ただ生まれ故郷を守りに来ただけよ」
「──スズナさん、だっけ?彼にあったら伝えて。『私達は、貴方の隣に立てるよう強くなる。だから少し、待っていて欲しい』ってね」
確かに、スズナの鼓膜を震わせた、2人の口から発せられた女の声。
驚きか、はたまた困惑か。彼女が目を見開くと、2人の姿は既にその場から消え失せていた。
「スズナさん、今のは…」
「大丈夫。多分、敵じゃないから…それよりも今はとにかく、私達は私達のできることをしましょう」
心配そうに近付いた冒険者にそう言って、2人がいた場所を再び見つめ直すスズナ。
同伴した冒険者達は即座に周囲に散らばると、いつの間にか降り始めた大雨の中、各々救助作業に入るのだった。
ーーー
復興が進むエルフの街の一角。
魔物の群れ─否、ルインの起こしたスタンピードに対抗する増援としてやって来たスミレは、従魔たるワイバーンを再召喚すると、先陣を切る魔物に己の杖を突き刺し抉る。
「キリがない…クソッ!増援組は前線と交代!下がった者は非戦闘員の避難を優先してッ!」
魔物の断末魔を掻き消すように、そう大声を上げるスミレ。
彼女の召喚したダークスライムを盾に、声を聞いた現地民が後続の冒険者に従って避難を始める中、ひときわ大きな影が、不意に味方を蹂躙しながら声を上げた彼女へ襲いかかる。
「ッ!?しまっ──」
気付いたスミレの声が響くより早く、周囲を赤く染め上げる、夥しい量の血飛沫。
咄嗟に主人を庇うように飛び出した、スミレと共に前線を護っていたワイバーンは、影に貫かれた身体を無理矢理捩って見せると、全身の見えぬソレに向かって渾身の炎を吐き浴びせる。
『──────────────────ッ!』
「…!?なんでコイツが此処にッ──」
ワイバーンの炎に照らし出され、顕になった全容を目に驚いた声を上げるスミレ。
影から現れた模倣機竜は、まるで痛覚があるかのように咆哮を上げると、瀕死のワイバーンを力尽くで引き千切る。
「ッ──すまない、ありがとう…」
従魔らしく光となり、世界に還っていくスミレのワイバーン。
機械仕掛けの竜が周囲に破壊をもたらす中、静かに呟いた彼女は、向かってきた模倣機竜の巨体を睨見つけると、振り回された尾をすんでのところで躱して後退する。
「腐っても古代竜の模倣品…今の僕らじゃ、流石に──」
「そこまで分析ができるなら、ひとまず及第点かな」
ポツリと、不意に血の雨音と共にスミレの鼓膜を震わすノイズがかった低い声。
反射的に、スミレが声のする上空を見上げたその瞬間、目前にあった巨体が、何も無かったかのようにその場から消え失せた。
「アンタがスミレ、ね。ありがとう、おかげで正確な座標を把握することができたよ」
「座標?把握…?何を、話して…」
響いた呟きを復唱するスミレの前に、ゆっくりと降り立った、大鎌を片手に黒いローブを纏った人物。
脅威が移り変わったのか、周囲の魔物が引き始める中、警戒姿勢をとったスミレは、フード下から覗く骸骨面を視界に捉えると、怯える後続を庇うように己の杖を握りしめる。
「死神、じゃあなさそうだね。…なんで、僕の名前を知ってる?」
本能的に感じる、自分よりも格上か、少なくとも幹部クラス以上はある強者のオーラ。目の前に立つそんな存在のプレッシャーに、声を絞り出したスミレは己の本能に抗い地面をしっかり踏み締める。
「んー…それはウチ─じゃなかった、俺達がアンタの味方だから?」
「…どうして、その言葉を鵜呑みにしろと?」
「あーん…こっちもやっぱ無理かぁ…」
何処か気の抜けた声音のまま、残念といったように大鎌を撫でる死神。
より警戒を強めるスミレの姿を他所に、死神はその大鎌で地面をコン、と叩くと、よく似た服装の存在を2つ、その背後に出現させた。
「な──!?」
予備動作も無く突然現れた存在を前に、驚愕の声を上げるスミレ。
そんな一瞬を待っていたかのように、不意にスミレの真横に立った死神は、彼女の肩に手を置くと、固まる彼女の耳に骸骨面越しの顔を近づける。
「今から彼のところにアンタを送る。きっと、助けてあげて」
「─!?なn──」
囁かれたその言葉に、声を上げる間もなく、その場から消えたスミレの姿。
一連の異常事態に、周囲の冒険者達が未だに固まる中、死神は満足気に腰に手を当てると、呆れ顔で立つ2人の魔人に視線を向ける。
「ウチはまだやることあるから、ね。──護る力、手に入れたんでしょ?…後はアンタ達に任せるわ」
コクリ、と。死神の言葉に頷いて、冒険者達に背を向ける魔人の2人。
仮面の下で微笑んだ死神は、残る魔物と相対するその姿を見届けると、予備動作も無くその姿を消した。
ーーー
「城が、どうして…」
気力無く身体を動かして、宿の外へと身を投じたミリン。
遅れて音を響かせながら、遠くに映る城だったものを目にそんな声を漏らす。
「ミリンおねぇちゃんも出ていっちゃうの?」
通りに脚を踏み入れようとして、背後からの弱々しい声に、咄嗟にその動きを止める。
「ハルナちゃん…」
大丈夫、必ず帰ってくる、と。少女にそう語りかけようとして、目の前で消えた愛する男の姿が脳裏にチラつく。
ミリンとて、状況を把握できているわけではない。ただ、ライムや周囲の状況からして、自身が寝ていた一月の間に、随分状況が悪くなった、ということだけは己の肌で感じている。
2人の─否、王都中を流れる、苦しく重い沈黙。
そんな状態を打破するように、ミリンの前に立つ少女は大きく息を吸い込むと、背中に隠していた籠を彼女に向かって差し出した。
「ハルナちゃん、これって──」
「お弁当、です」
「でも、なんで──」
「ミリンおねぇちゃんはきっと、すぐ出るってアネモネ様が言ってた、から…」
「──姫様が?」
「…うん。はるには、これくらいしかできない、けど…」
おずおずと、しかし願いの籠もった瞳で差し出される布を被った籠。
その隙間から覗く弁当と思しきものを目に、ミリンは耳の垂れた彼女の頭にそっと右手を置くと、左手で籠を持ち上げる。
「ありがとう、ハルナちゃん」
ピンと耳を立て、静かに頷く目の前の少女は、まるで勇者のように見えて。右手を離したミリンは、立て掛けていた杖を手に強く握りしめる。
「はる、ごはん作って待ってるから。…だから、ミリンおねぇちゃんも、みんなと一緒に、絶対、帰ってきて…!」
震えながらに放つ、小さな勇者のささやかな願い。
みんなと一緒に、と。耳に残ったその言葉に、ミリンは深く息を吸い込むと、精一杯の笑顔を彼女におくって宣言をする。
「約束するよ、ハルナちゃん。スミレやスズナ、ライムだけじゃない。コウスケも、それにユウ達も連れて、またここに戻って来るって」
「…!おねぇちゃん、それって」
「──そう、だから…美味しいごはん、楽しみにしてるね」
「うん、うん!はる、みんなの好きな料理、いっぱい用意しておくから!」
「ふふっ…楽しみにしてるね」
それじゃあ、と小さな勇者に背を向けて、純白の翼を広げて空を見上げる。
彼女が放ったのは、己に対する使命と宣言。
理屈なんてものはなく、ただの妄想かもしれない。…だだ、己の勘が、本能が、また彼らへの道を示している気がして、彼女の身体を、意思を、突き動かしていく。
「いってきます」
一瞬陽を遮った、城に向かう竜の影を合図に、自らの勘に従うまま、空へと飛び出したミリン。
いってらっしゃーい、と。何気なくも強い言葉に見送られて、彼女は己の戦場へと赴くのだった。




