魔王城を取り巻くモノ
魔王城、ローズの部屋。
ヨロヨロと影から這い出して、己の頭に手を当てるユウ。
そんな彼の身体には、目立った外傷はない。そう、あくまで外傷はであるが。
「──ッ…どうして、こんな─…ッ」
震える両手を見つめ直して、自衛のように埃まみれの頭を抱え込む。
──あの男を始末した。
これで、ユウの心は乱されることは無くなる…はずだった。
だが、結果はどうだっただろうか…?
手元に残ったのは、ただ何にも得のない虚しさと得体の知れない喪失感だけ。
気持ちが晴れるどころか、かえって思考が乱される。
激しい動悸に咳き込んで、ユウは床に血反吐を吐き捨てる。
「ハハ…笑えません、ね…」
血溜まりに反射する、痩せこけたような自身のひどい顔。
言い聞かせるようにそう言って、口元を拭い無理矢理口角を上げる。
──脳裏に映し出されるのは、2人少女と双頭の竜。
小さき彼女達は何者で、いつ出会っていたのか。
そして、対峙する双頭竜を殺す自分は、何故あんなにも苦しかったのか。
あの男を始末する直前に見た、知っていたはずの光景は、どうしてあの時思い出したのか。
既にいない男との関係がチラついて、ユウは再び頭を抑える。
(誰か、私を────)
「───■■■■」
ーーー
「魔王ルイン、西側の戦況についてご報告が」
魔王城、玉座の間にて、室内に木霊する、くぐもった男の声。
玉座に座り、肘を付く魔王ルインを前に、エボラ・ペストと共に並び立つ鎧の男は、帯刀していた大剣を床に突き刺すと、その片膝を立てる。
「西側諸国の制圧及び支配が完了、残すは大国アール王国とその周辺都市だけになります」
「アール王国、か…」
「はい」
鎧の男の言葉に反応して、その顎に手を当てるルイン。
しばしの沈黙の後、不意に口角を釣り上げた彼は、ピタリ止まる鎧の男を一瞥すると、玉座を下りて立ち上がる。
「おい、貴様はエイズと共にイヨの捜索にまわれ。あの国は放置でいい」
「な──」
ルインの一言を耳に、反射的に声を上げるエボラ。
無言で佇む鎧の男を他所に、エボラ同様に顔を上げたペストは、驚きを隠せぬといった様子で口を大きく開いている。
「お言葉ですがルイン様、何故あの国を放置なのですか!?あそこには、我々の脅威となりそうな存在が集まって──」
「案ずるなエボラ。その心配はいらん」
「──っ」
エボラの言葉を一蹴して、濃密な魔力を周囲に放出したルイン。
魔物を統べる王に相応しく、禍々しいソレにあてられたエボラとペストは、よろけた身体を手で支える。
「アール王国はこの俺が直接潰す。…そう、この俺が、な」
化物のような右手を握りしめ、ルインはそう言って玉座の間を後にする。
「ルイン様…」
残された部屋で佇み、地面に向けて漏れるペストのそんな声。
いつの間にか退室していた鎧の男すら目に留めず、エボラは不意に立ち上がると、ルインの消えた先を一瞥して、その目元を手で覆う。
「はっ…ハハハッ…そういうことか」
「エボラ…?」
唐突に笑い出すその姿に、訝しげに名前を呼ぶペスト。
天を仰いだエボラは、そんな彼女に目もくれずその両腕を広げると、その口元を大きく歪ませる。
「えぇ、任されましたよ。魔王様」
ーーー
とある施設の中に響く、コツコツといった2つの足音。
音の主たるローズとヤナギは、その最深部に映る3つの人影を目にするとその足を止めた。
「義母様、お初にお目にかかります。私ヤナギ、ローズ様の名により只今参上致しました」
人の姿で膝をつき、目前に腰掛ける狐面の女にそう語るヤナギ。
義母様と呼ばれた狐面の女は、隠れていない口元を静かに歪めると、黒い長髪を揺らしながら、仮面を外して立ち上がる。
「ふふっ、はじめまして、ヤナギさん。私はユア。貴女のことはローズから聞いてるわ。無事進化を果たせたようでなによりね」
優しい声音でそう言って、ヤナギの頬に手を添えるユア。
触れられた感触に一瞬狼狽えるヤナギを他所に、ユアの背後に立っていた女が小さく息を吐くと、呆れたように腰に手を当てる。
「…あのさ、ユア?なんで顔割れてるのにわざわざこんな茶番をしてるわけ?」
「はぁ…相変わらずマラリアはわかってないわね。こういうのは雰囲気よ雰囲気、わかった?」
「いや、だからその雰囲気って──あーはいはい、あたしが悪かったから無言で呪術式を組むの止めて」
苦笑いを浮かべる彼女を前に、周囲に放ったモヤのようなものを治めるユア。
呆れ顔のローズと共に、ただその強大な「力」に身をくすめていたヤナギは、逆立つ羽毛を宥めるように腕を組むと、現実を逃避するように、こちらをずっと見つめながら未だに無言を貫くもう一つの影へとその視線を移す。
「あぁ、ごめんねヤナギさん、紹介が遅れたわね。彼女の名はエンゲル。
──神より産まれた『創造』を司る天使その人よ」
ーーー
魔王城の城壁上にて、広大な帝国領を見下ろす1つの影。
下へと繋がる階段から現れた2人のオーガは、大槍を持ったケンタウロスたるその影へと歩み寄ると、その傍で城壁の端に腰掛けてみせる。
「サーズとマーズですか。…私に何か用でも?」
2人のオーガが視界に入るや否や、槍をその場に突き刺して、静かな声音でそう言うケンタウロスの女─ジフテリア。
サーズ、マーズはそれぞれ、互いに顔を見合わせると、その上体を地面に付け、仰向けとなって空を見上げる。
「ジフテリア、あんたは最近のローズ様について、何をしてるのか知っているか?」
「ローズ様について、ですか?」
「そ、ローズ様について。…最近、護衛であるあたし達を伴って出ることがめっきり減ったからねぇ…?」
「サーズの言う通り、護衛として最後に一緒について行ったあんたならなんか知ってるんじゃないかと思ってな」
一通り語り終え、上を見上げたまま視線だけをジフテリアに向ける2人。
しばらくの間を空けて、4本の足を動かして、2人の間へと座り込んだジフテリアは、突き刺した槍にそっと手を添えると、帝都を見下ろしながら静かに口を開く。
「心当たりがあるとすれば、私がエボラ様と共に同伴したあの日しか無いのですけどね…」
「心当たり?」
「えぇ…あの日は、スキルスやあの女と対峙したことのほうが印象強く、言われるまで考えもしなかったんですけどね。貴女達の言う通り、ローズ様はアレ以降、私達を伴わずに外出することが多くなりました」
ただ淡々と、帝都に住まう傀儡のような人々を遠目に言葉を紡いでいくジフテリア。
上体を起こした2人は、そんな彼女の顔を一瞥すると静まり返った帝都へと視線を落とす。
「表情も、ねぇ…」
「えぇ…以前のローズ様は、あの傀儡のような仏頂面でしたからね」
「確実に、何かあったのは確かだろうな…」
どこからともなく漏れた、3人の深い溜息。
3人の頭に思い浮かんだ、メイド姿のようなエプロンドレスを身にまとった「兄様」とローズに慕われる男。
出自や経緯こそ違えど、同じ主に仕えた3人は、少なからず変化の起きていた彼との関わりを原因と結論づけると、今は見えぬ主の動向をその脳内に思い浮かべる。
「いずれにせよ、この変化は喜ばしいことね」
2人の耳に聞こえぬ声で、ボソリと呟くジフテリア。
脳裏に焼き付いた、主の部屋にて助けを求めるその男の姿を振り払うように、彼女は不意に立ち上がると、呆ける2人を他所に踵を返そうとして足を止める。
「…サーズ、マーズ」
「んあ?」
「はい?」
「…もしも──そう、もしの話ですが、魔王様がローズ様を見捨てるような命令をしたとして、貴女達はそれに従いますか?」
ジフテリアが言い追えると同時に一陣の風がそれぞれの間をすり抜ける。
「愚問だな」
「愚問ねぇ」
迷うまでもなく、見事に声の重なるような即答。
そんな返答までの僅かな間を永遠かのように錯覚したジフテリアは、己の額にその手を当てると、愚かな質問をした自分を心底呪った。
「あたし達の雇用主はたしかに魔王様だ。だけど、魔王様は雇用主であってあたし達の主じゃない」
「そんな命令を出されたとして、私達がどう動くかなんて考えるまでもないわよねぇ…?」
「──ふふっ…そう、ね。ごめんなさい、野暮なことを聞いたわ」
言外に、主に付くと語った2人の返事を耳に、後ろを向いたまま笑みをこぼすジフテリア。
言葉の意図を図りかねたオーガ達を背に、彼女は突き刺していた己の槍を引き抜くと、いつからか展開していた防音結界を解除して静かにその場を後にした。
ーーー
「天使…」
ユアの紹介を耳にして、ヤナギの口から溢れた声がしんとした施設内に木霊する。
天使と紹介された目前の少女は、あいも変わらずヤナギの姿をまじまじと見回すと、その首にかかったペンダントを目にすると同時にその顔を見上げる。
「はじめまして、ハーピィ─いや、竜装ハーピィのお姉さん、といったほうがいいのかな?まぁいいや、ボクはエンゲル。彼女の紹介してくれたとおり、こう見えて天使なんだ」
金色の髪を揺らし、背後のデスクに飛び乗り座った少女は、足をプラプラと揺らしながら屈託の無い笑みを浮かべながらそう語る。
「竜装ハーピィ…?」
「うん、竜装ハーピィ。その魔導具のせいで一瞬人間に見えたけど、その気配は隠しきれなかったからね。…にしてもキミ、中々面白い進化を遂げたみたいだね」
聞き慣れない言葉に首を傾げるヤナギを他所に、ウンウンと頷き腕を組む少女。
飄々とした彼女の態度を横目に、また始まったと言わんばかりに溜息を吐いたマラリアは、ヤナギにそっと歩み寄ると、その肩に軽く手を添える。
「ユア、エンゲル、いい加減さっさと話をしてあげな」
呆れたような声音で、そう言ってヤナギを立たせるマラリア。
立ち上がった彼女の姿を見届けたユアは、隣で人形のように立ち尽くすローズを一瞥すると、一息吐いてから口を開ける。
「ヤナギさん、息子の従者たる貴女には、知ってもらわなきゃいけない話があるの」
「知らなければならないこと…?」
「えぇ…もう、貴女も無関係では無くなってしまったからね。もちろん他言は許されないわ。ね、エンゲル?」
先程までとは打って変わり、淡々と話すユアの言葉に首を縦に振るエンゲル。
羽毛の生えた純白の翼を広げた彼女は、デスクから舞うようにヤナギの前に飛び降りると、1冊の古びた本を手元に出現させる。
「ま、そういうことだから悪いけど巻き込まれてもらうよ。この世界の崩壊と──
──ボクの書いた神話に、ね?」