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短編:『厭世・もう死にてえ』

作者: ねろ

カタカナ語不使用・表現の練習として書いた話なので、大した意味はないです

僕は自分を失った。

自分を表現する方法を失った。

自分を表明する方法を失った。

自分が自分であることを。

どうにもなく、どうしようもなく証明出来なかった。

自分が存在していることを信じられなかった。

揺らぐ足場。

宙に浮いている自身。

地に叩きつけられた自信。

存在の不確定。

存在の不安定。

僕とは誰で。

誰とは僕だ。

誰とは誰で。

僕とは僕か?

ひどく惨めな気分だった。

それは醜穢な泥地に這いつくばるよりもよっぽど屈辱的で、常日頃から他人からの嘲笑を込めた視線を痛烈に感じた。

悔しくて悔しくて。

虚しくて虚しくて。

たまらない。


或る冬の頃。

肌を包む冷涼な空気が鬱陶しいことこの上ない、陽の眩しい晴空の日。

老朽化した小家屋の隅に(うずくま)り、酒を飲み明かした酩酊の中で、不意に自己嫌悪の衝動に駆られて『くそくらえ』と叫んでみた。

現実を嘆いた。現状を嘆いた。

しかしその声は空を切り、掠れ、震え、やがて何処かに消失した。部屋には広々と空虚さだけが漂い続けただけなのだ。

無意識的ではあるが、冷えたその拳には、ほんの一滴、涙が垂れた。

唇を噛みしめる。

血の味がした。


数時間が経過したその時、僕は駅構内に入ろうとしていた。

停留所にて乗合車からゆっくりと降り、数分ばかり煩雑とした街中を進んだ後のことである。

推し量るに、という程のことでもないけれど、目にはひどい隈が出来ているだろう。

睡眠不足。

精神的疲弊が大きければ、身体的疲労も当然のように大きい。

何より怖いのは、それを拒もうとしていない自身の内心、本音である。体調を崩すことなど、今はもうすっかり慣れてしまった。

外套を纏い、手袋を深く填め直し、首巻きに顔をうずめる。

皮膚が突き刺さるような寒さに悶えているが、全身の震えを堪えて止まることなく歩みを進めた。


歩みを止めることだけは出来ない。

何があろうと。

何も無かろうと。

そうなってしまえばもう、ただの屍なのである。


首巻きを掻い潜り、何とも言えぬ奇妙な匂いが鼻腔を突き抜けた。

目線を向けると、区分された喫煙所にて数人の見窄らしい中年の男どもが(こぞ)って煙草を(ふか)している。

この匂いは嫌いじゃあないと思うが、しかし仕事に向かうでもなく朝からあんなようじゃあ駄目だ、と珍しく真っ当なことを考える。

そして直ぐ、自身も全くの同類であることを自覚してしまったため、失笑を禁じ得なかった。

社会の掃き溜めが。

畜生。


目線をふと別方向へ向けると、派手な服装をした背の高い若者が、手に携帯電話を握りしめながら歩いていた。

彼の視線は、あくまでもその機器の画面にのみ集中し続けている。

その他にも、老若男女を一切問わない幾多もの人間が、己の掌に収まっている機械を凝視していて、外界には目もくれず、足早に過ぎ行く。


その様子を透明硝子張りの壁に(もた)れて茫然と眺めているのである。


やがて、その若者と背の低い老婆が互いに衝突した。

体勢を崩して転んだ老婆を、あくまでも若者は冷酷な視線で一瞥、即座に軽蔑するような態度で顔を背け、我関せずと言ったふうにその場から去った。


地に転がった老婆の木杖を、僕は半ば失望した気分で暫く見つめていた。

胸中に形成した自己の枠組み、とでも言うのだろうか。

己が精神を鎖状の如く雁字搦めに縛り付けた、自分だけの世界中でしか生きていない人間を塵のように多数、本当に数えきれないほどに集めたらこのようになるものなのか、と。

僕は自身の暮らす人間社会を悲観し。

やはり僕もその一部であることを再確認し、その場を去った。


漸く駅構内に入り、白銀色の大型時計塔を見上げる。

未だ正午を迎えるわけでもなく、長針は中途半端な時間を指していた。

成程。

ならばやることは一つ、と思い立った僕は、やはり足早に、雑踏をすり抜けるように書店へと向かった。


思想が売られている。

本屋を初めて知った時の幼少の僕が抱いた感想は、有り体に言うならばこんなものだ。

無味乾燥と言えば無味乾燥ではあるのだが、しかし当時の僕は甚だ奇妙で気持ち悪いものを感じた。


人が数万文字を綴った言葉が。

人が数千行を連ねた文章が。

人が人に何かを伝えるべく手にしたその覚悟が、現実を剥き出しにした、血反吐を吐くかのように痛々しい必死の叫びが、こうして表紙と裏表紙を与えられ、外面のみを過剰に華やかに着飾り装飾し、わけのわからないくらいに整然と陳列されたその本棚が林立しているのを目の当たりにして、人間の本性を露顕させたかの如き無機質さに泣きそうになった記憶がある。

まだ十にも満たない頃。

世界に希望を見ていた頃。


ではあの頃の僕が何を求めていたかと言えばそれは皆目見当がつかないけれど、多分、言葉に何かを見出していたのだと思う。


自分は言葉によって出来ている。

自分は言葉によって生きている。

自分は言葉によって成り立っている。


世界を飛び交う言葉。

社会を駆け抜ける言葉。

日常における広大な情報網で目にする言葉。耳にする言葉。


常に生き続ける言葉の数々。

親が駄々を捏ねて泣く子を諭す時も。

学生達が笑いながら他愛ない雑談を交わす時も。


言葉は人を傷つける。

言葉は人を悲しませる。

しかし。

言葉は人を喜ばせる。

言葉は人を安堵させる。

ならば言葉こそが。

僕らを此処に在らしめる。

僕らを個々に在らしめる。

僕らは言葉によって変われる。


そう信じていた時代。

脆弱で、軟弱で、貧弱で、薄弱な、自己陶酔と自己逃避に塗れた欺瞞の時代。


本棚から古来哲学者の本を一冊、無造作に手に取る。

古い本の特徴的な紙の質感が心地好かった。

内容は難解であるものの、しかし遥かなる過去を生きた彼ら哲学者とて、こうした厭世感や虚無的な思想の延長線上を駆けたのではないだろうか。

そう思う。

だがどうでもいい。戯言だ。


暫くして、腹が空腹を訴えていたのに気がついた。

懐から黒い懐中時計を取り出し、改めて現在時刻を確認する。

正午はとうに過ぎているらしい。

ならば食べるものを探そうと、一度、というよりは再度、駅構内を出ることにした。


双肩に伸し掛る倦怠感に耐えきれず、一つ咳をしてから、僕は嫌味なくらいに温い空気の流れを払うように身を捩る。

やがて僕の歩みは大型の横断歩道の前に差し掛かり、そこで一度停止した。

信号の青い点灯を視界の端に見据えつつも、思わず足を止めてしまった。


人集りの先、大型自動車が不規則に蛇行しているのが見える。

歯止めの効かなくなった暴牛のように、それは道路の中心にいる一人の幼い少年を巻き込むように動いていた。

少年は眼前で何が起こっているか分かっていないようで、まだ純真無垢な瞳を煌々と輝かせているだけだ。逃げようとはしていない。

更に遠くには、横断歩道の対岸、少年の母親らしき若い女性が失意の表情を浮かべていた。

あれを単に絶望、と呼ぶには言葉が些か不足しすぎている。


そうか。

あれは──────僕だ。

何も分かっていなかった頃の僕。

生きていた頃の僕。

存在していた頃の。

僕。


一瞬後に、人混みを掻き分け爆音が響いた。

乾いた悲鳴は。

かき消された。











気づくと、僕は奇妙な景色を目にした。

先程まで目の当たりにした光景とは打って変わって、町全体が眩しい白色を放つような、小さな路地である。

ただ目の前には、一件の喫茶店が在るべくして在るように建っているだけだ。


僕がかつていたはずの。

腐敗しきった、喘息のように軋む世界は何処だろう。

或いは本当に、僕は元からいなかったのかもしれない──もしそうであるならば単純明快で、夢のような話だ。

夢のように。

淡く儚い、希望の物語だ。


僕は言葉がほしい。

僕は言葉がほしい。

僕は言葉がほしい。

自分を表す言葉がほしい。

自己証明の手立てが。

ほしい。


世界の果てにいるかのような気分で、ゆっくりと一歩、また一歩と踏み出す。

『OPEN』の看板を手で除けながら、その扉に手を触れた。



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