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魔女と王様  作者: 新条れいら
ロイヤ編
98/117

98.ハイドと皇帝

 周囲がざわついている事は分かっていた。


 こうも業務が滞る事も、教会の妨害が強い事も、恐らくあちら側が動き始めているのだろう事は、予測が付いていた。


「予想以上ですね」


 ミヤの呟きに、カイザックはため息を吐いた。


「こうも残業続きだと、他からも苦情が来るから、勘弁してほしいな」


「では、予定の期限を延ばしますか?」


 ジャックの提案に、その場の全員が低く呻いた。国家の威信をかけての河川の整備だ、橋の建設だという事ではないが、遅れればそれだけ市民の生活に支障が出る。


「先に現場の人間の様子を確認してくれ。それから―――」


 てきぱきと支持を出し、あるいは相談を持ちかけてくる皇帝の様子を見ていたミヤは、ジルドと顔を見合わせた。


 このまま、何事もなく、とりあえず忙しい日々が過ぎ去ってくれれば良いと切実に思う。彼女の予測が当たらない事を願うばかりだ。





 内側の扉を強く叩かれた。


「ハイド!」


 強く名前を呼ばれ、肩を強い力で揺さぶられて、彼はようやく我に返った。


「大丈夫? さっきから何度も呼んでるのに」


 我に返ったハイドの視界一杯に、瑠璃色の瞳が飛び込んできて、ハイドは飛びのいた。


「近づくな!」


 そのまま席を立とうとしたのだが、背後に立っていたティンにぶつかる。


「おいおい、なんでそんなに気ぃ立ってんだ?」


 ぶつかられた事など気付きもしない壁の様な体躯に、ハイドの方がよろめいた。その身体をティンが腕をひっつかんで支えた。どうやら、自分の肩を掴んで揺さぶってくれたのも、この男らしい。


「理由なんかない。とにかく、私には近づかないでくれ。気分が悪くなる」


 乱れた制服を整えながら、ハイドは毅然と言い切った。十日前の騒動後から、ハイドは体調を崩していた。特別な症状がないために出勤はしてくるが、ぼんやりしていることが多い。


(自覚はしてるんだ)


 自身がおかしい事には、自覚があった。だが、レアが自分の近くにいるだけで、その瞳で覗き込まれる度に、天を覆った翼が脳裏を過る―――月へ伸ばした腕に応えた少女の指先の感覚まで、鮮明に蘇ってくる。


 決して開けないと決めた扉を、向こう側から誰かが優しく叩く。


「…まぁ、仕方ないよね」


 背を向けてしまったハイドの背後で、少女がため息をついた。


「それだけ強ければ、内側から揺さぶられちゃうもんね」


「なんだ、それ?」


 ティンの疑問にレアの小さく笑うのが聞こえた。


「こっちの話だよ」


 意味深に応える少女の気配が遠のいていき、ハイドは小さく安堵の息を吐いた。自分の席に戻り、目の前に置いてあった書類へ視線を落としたハイドは思わず、げんなりと肩を落とした。


 月締めの報告書が、そこにあった。




「―――以上が、今月の報告になります」


 先ほどのげんなりとした様子など微塵も見せず、ハイドは皇帝の前に立っていた。


「ご苦労。こちらも予想通りだな」


「そうですね」


 軽く息を吐いた皇帝は、椅子にもたれ掛った。宰相である父が、その言葉に同調した。ハイドはすぐにそれが、教会の妨害による遅延の事を指すことが分かった。


「まぁ、教会の懐柔に関しては、後はレアがなんとかするだろう。そのために、わざわざ教会に出向いたのだからな」


「…教会…」


 うっかりと呟いたハイドの言葉に、皇帝は視線を再びハイドへ合わせた。


「そう言えば、お前は身体の方は良いのか?」


 まっすぐに見つめられて、ハイドは内心狼狽した。昔から、この男に見られると、内面まで全部見透かされるようで嫌悪していた。特に、遠征から帰ってからは、その気が強くなっている。


「嫌なら、答えなくて良い。だが、レアは―――我が妃は、それはお前自身が向き合わなければならないモノだ、と言っていたぞ」


 無意識のうちに、ハイドは喉を上下させた。飲み込みたくても飲み込み切れない何かが、喉につかえる。


「案外、扉は開いてしまった方が楽だったりするぞ。…新たな感覚に戸惑うがな」


 扉、と皇帝は言った。


 自分の唖然とする視線に、皇帝は「皇帝」ではない顔で苦笑した。


「陛下?」


 ミヤの呼びかけに、皇帝は破願する。


「お前の兄はな、レアの同類なんだよ。しかも、ルイーグスに次ぐほど強いらしいぞ」


「えっ!?」


 飛び上がるほど驚いて、ミヤは兄へ視線を向けてきた。その瞳に浮かんでいるのが、真実驚愕の色であることに、ハイドは眉を寄せた。兄の不機嫌な顔に、ミヤは慌てて顔を逸らす。


「え…それって…」


「いやいや、『神に愛されし』って部分だけだぞ。他は違うぞ」


「いや、どの部分が、『神に愛されし』か、分かりませんよ。兄が空飛んでる所なんて…」


「言っておくが、オレもレアも飛べないからな」


 本人を前にして、意味の分からない会話を展開する二人を、ハイドは睨み付けた。


「言ってる意味が、分かりかねますが?」


 額に青筋すら立てていそうなハイドに、ミヤは口を閉じた。皇帝が肩をすくめる。


「ハイドがずっとオレを嫌っていたのは、本能だったわけだ」


「はっ?」


 ミヤが素っ頓狂な声を上げて、幼馴染を見下ろす。


「レア曰く、本能だから仕方がない、らしいぞ。ハイドが扉を閉じてしまっているのも、近くにオレという存在がいたから…と言われてもな」


 正直、困っている。と皇帝はもう一度肩をすくめた。


 そうして、青筋を立てているハイドへ、困っているような憐れんでいるような笑みを向けた。


「お前が頑ななのはオレのせいなんだろう。だが、オレは何もしてやれない」


 扉を叩く音がする。


「それでも、お前に望みがあるのなら、―――それが、本当にお前の望みならば」


 漆黒の世界に一つだけある、美しくも古びた扉。


「叶えるだけの準備がある」


 碧眼の双眸にじっと見つめられ、ハイドは呼吸が詰まるのを感じた。ギリギリと締め付けられるような痛みに、胸を握りしめる。


「やめろ! それ以上、触れるなっ」


 絞り出すように叫ぶと、ハイドは皇帝を睨み付けた。


 その視線に、皇帝は目を丸くし、そして、罰の悪そうな顔をして、そっぽを向いた。


「悪い、無自覚だった」


 そう言って、ため息をついた。


「土足でズカズカ踏み込んでる自覚、ないんだよ。悪かった」


 皇帝は、「皇帝」ではない顔で二度謝った。極力自分と目を合わさないようにするその態度に、ハイドは毒気を抜かれて、ただ彼を見ていた。


 オムツが取れたかどうか―――そんな時から知っている、現在皇帝の青年。


 一目見た瞬間に感じた恐怖にも似た嫌悪。


 それを拭う事も出来ずに、二十年以上を経ていた。思えば、相手からすれば、理不尽な嫌悪を向けられてきたはずだ。自分と同じように、嫌ってくれれば良かった。


「…失礼します」


 別の胸の痛みを感じて、ハイドは頭を下げるとその場を足早に立ち去った。




「あんな事言って、大丈夫なんですか?」


 扉の閉まるのを確認して、ミヤはカイザックを見下ろした。


「あんな事?」


「望みを叶えてやるなんて。皇帝の座を降りろ、なんて願いだったら、どうするんですか」


「あぁ、それか」


 カイザックは立ち去った背中を追うように、視線を扉へ向けた。


「本当の望みは、そんなものじゃないさ」

 


バレンタインですね。

…我が家は段ボールだらけです。

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