9.負傷者状況
炊事担当の兵士達が慌ただしく動き出した頃、ロイヤの500の兵の陣営も整っていた。
罠かもしれないと、精鋭500を連れてきたが、本当にただの危惧でしかなかった。魔女は、トムの埋葬をティンと数名に任せると、急き立てるように物資を要求してきた。
「今夜の食事が、もうないんです」
いっそ清々しい程の勢いで、両手を差し出さんばかりの様子に、誰もが頬を引きつらせた。食料が確保出来ると同時に、医療物資をくれと言う。
「もう三日ほど、新しい包帯に代えてやれてない者がいるんです。このままじゃ、敗血症を起こしてしまいます」
表現するなら、むしり取ると言っても過言ではない勢いだった。
「人手を貸してください!」
そして今、議論する場として設けた幹部のテントへやって来た魔女は、鼻息荒く言い放っていた。
「…」
今後を話し合うために集まっていた側近達は、怒りも忘れて魔女を見上げていた。
「水汲みできるほど動ける人間が、こっちにはいません。あと、医療従事者も貸してください。マリーノの人間を診るのが嫌なら、ロイヤの兵だけで良いですから」
テントを開け放って仁王立ちの彼女の背後から、彼女を呼ぶ罵声が聞こえてきた。
「分かってるよ、ドクター!」
振り返って返事をした魔女は、皇帝の視線がチラリとある人物へ向いたのを見落とさなかった。その人物が呆けているのを良い事に、その襟首をつかむ。
「この人の部隊、お借りします!」
突然の負荷に態勢を崩したバスは、魔女に手を引かれる。決して強い力ではなく、安易に振りほどける力だった。
「治療を辞退してくれたロイヤ兵がいるの。医療品不足を分かってくれるのはありがたいけど、早く手当しないと蛆が湧くわ」
手を振り払われたが、魔女は気にした様子はない。テントの入り口に立って、睨み付けてくるバスへ淡々と告げた。
「負傷者の状況を聞こう」
協力への拒否を言外に示すバスの態度に、皇帝は魔女へ問う。
「ロイヤの最重傷者はトムだったんだけど…。戦闘とその後の負傷で手足を失ったのは13名。骨折は63名。死亡者はトムを入れて3名。ちなみに、エゲート将軍は左足首の複雑骨折、ハイマン准将は腹部裂傷と右大腿骨裂傷、リマイン准将は右肩と肋骨骨折」
側近たちがざわついた。
三人の将は、戦闘で死んだと思われていたからだ。
「可能な限りの環境整備はしてきたけれど、どんどん人手が足りなくなってて、清潔を保つので手一杯が現状です」
「マリーノの状況は?」
そう問われて、魔女は一瞬硬直した。
「動かせない重傷者は12名、手足を失ったのは7名、骨折32名」
なるほど、本当に戦闘要員は五人しか残っていないのだ。
皇帝はバスを見やる。
「行って来い」
一瞬強張ったバスは、しかし皇帝からの命令に腰を上げた。
「魔女よ」
足早に立ち去ろうとしていた背中へ、男は思い出したように声をかけた。首筋でくせ毛が跳ねて振り返る。
「なぜ、バスが医療班だと分かった?」
男の問いに、魔女がわずかにバツの悪そうな顔をした。
「正午の立ち合いの時に目星をつけてました。あとは、貴方が彼を見たのと、ドクターと同じ薬の匂いがしたから」
あの時点で目星を付けられていた事を知って、バスが身震いする。緊迫した中で、周囲を観察できるだけの冷静さを持ち合わせている度胸に、男はふむと顎を撫でた。
「もう良い? 今のドクター、殺気立ってて怖いんだよね」
「いや、待て。エゲートは歩けるか? 可能ならこちらへ寄こして欲しい」
早々に立ち去りたいようだったが、男は言葉を重ねた。魔女はそれを聞いて笑顔になる。
「リハビリ中だよ。複雑骨折だったのに、もう歩いちゃうんだから、すごいよね。歩いて来るのに時間を少しもらう事になるけれど、伝えておくよ」
物言いが随分と砕けた様子の魔女は、今度こそ立ち去ろうとした。その背に再三引き止める。捕虜のくせに許可なく立ち去るとはいい度胸をしている。
「お前と副官を夕餉に招いてやる」
それを聞いた瞬間、今までにない程の勢いで魔女が振り返った。その瞳が大きく見開かれ、興奮したように頬が高揚している。
「ありがとう! 昨日から何も食べてなかったんだ!」
じゃあ!と言って、今度こそ本当に魔女は天幕を揺らして走り去った。
「なんなのだ! あいつは!」
慌ただしく去って行った入り口を、あんぐりと見つめていた面々が我に返ったように声を荒げた。
「自分の立場を分かっているのか! なんだ、あの口のきき方は!!」
普段、声を荒げたりしない面々だけに、それは珍しい光景だった。それに加えて、最後に魔女の見せた喜びに満ちた顔が浮かんで、男は思わず口を押えて笑いを堪える。
「陛下、笑っている場合ではありませんぞ」
それを目聡く見つけたジルドに指摘される。しかし、男は笑いが止まらなかった。
ヨダレこそ垂れていなかったが、そうであってもおかしくはない程の顔をしていた。瞬間に、お互いが敵対していたことも、辛酸を舐めさされてきたことも忘れるほどの、無邪気に喜ぶ顔。
(これが魔女たる所以か?)
内心そんな事を考えて、笑えた。
正午の交渉時の、それなりに丁寧な言葉遣いなど、すっかりどこかに置いてきてしまったような言動。自分が命まで差し出している捕虜である自覚もないのではないかと、疑いたくなる。
「陛下、あのような者に呑まれてはなりませぬぞ」
ジルドにしては珍しく、はっきりと釘を刺してくる。が、皇帝は意味深に笑った。
「さぁ、どうするかな」
ただ殺すのは簡単だ。
辱めも、拷問も、恐らく魔女の魂までは傷つけることはないだろう。
魔女の恐れていることは、兵であろうと自国の民が傷付き死んでいくこと。しかし、それは、魔女を苦しめると同時に、大国ロイヤに泥を塗る行為だ。そんなことをしても、後々の統治に影響が出るだけだ。
側近たちの怒りを含んだやり取りをぼんやりと見つめながら、そんなことを考えていると、天幕の外から入室の許可を求める声が聞こえた。
レアが言ったほど時間を置かずに、エゲート将軍が謁見に来たのだ。
ブログ書いてます。
良かったら、遊びに来てね☆
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