87.レアとアルファ
彼が再び自分の前に立った時、レアは奇妙な感覚に首を捻った。
「義姉上と話がしたいのです」
にっこりと笑って言うアルファをまじまじと見つめている間に、彼はレアの周囲に集まっていた女性達を追い払ってしまっていた。
(手際よく追い払ったなぁ…)
気付けば、自分と侍女達だけになっていることに、レアは内心で感心した。目に入る範囲の顔と名前は覚えたし、そろそろお腹も減ってきていたタイミングだった。
「リズ、フレア、何か口に入れられる物をお願い」
二人にそう願って、レアは近場のソファへ腰を下ろした。慣れない言葉遣いのお陰で、疲れもあった。
人払いをして振り返ったアルファは、ソファに腰かけたレアが小さく欠伸をしていることに驚いた。自分と二人きりになるというのに、欠伸をするような女は今までに見たこともない。
「座らないの? 主役は引っ張りだこで疲れてるでしょう?」
アルファの視線に気付いた少女が、自らの隣を叩きながら示す。にっこりと笑むその表に、裏もなければ表もなかった。自分の正体を知っても、図書館で出会ったままの態度が変わらない事に、アルファは驚きと共に胸に吹く、胸をすくような風に肺が膨らんだ。
「せっかく、ご馳走が並んでるのに、食べなきゃ、もったいないよね」
座ったと同時に、侍女の運んで来た食事を渡された。こちらの意見など聞こうとはしないレアに、しかしアルファは嫌な気分にはならなかった。正直、本当に腹も減っていた。
「カイザック―――お兄さんに、何か言われた?」
口に含んだ物を噴き出しそうになって、アルファは慌てて口元を押えた。さっきから自分の疲れや空腹に気付く聡さを感じていたが、そこまで踏み込まれるとは夢にも思っていなかった。
むせ込むアルファの背中を軽く叩きながら、少女の軽い笑い声が耳に響く。
「変な顔してるから、そんな事だと思ったよ」
優しく触れられる背中が熱を持つ感覚を、アルファは無視出来なかった。
「何を言われたのか分からないけど、本気にしない方が良いよ。きっと、からかってるだけだから」
にっこりと笑うレアの、自分の背をさする腕を掴んだ。力のまま引き寄せると、すぐ近くに瑠璃色の瞳が近づく。長く美しい睫が触れそうだと感じるほどの距離。
「貴女を奪っても良いと言いましたよ、兄上は」
アルファの睨み付けるほどに力強い視線を間近に、レアは目を瞬かせた。と、その瑠璃色の瞳が反れる。握られていない腕を、アルファの傍らに置かれた料理の皿へ伸ばす。
頬にレアの髪が触れる。
アルファの皿から一つ摘まむと、レアはソファの後ろに控えていた侍女の一人にそれを示した。主の意図を理解したらしい侍女が、無言で布にそれを受け取るのを、アルファは呆然と見つめていた。
「奪うも何も、奪われちゃったら、カイザックも生きていけないのにねぇ」
何事もなかったようにレアは苦笑した。侍女に無言で渡されたハンカチで、手を拭こうとして、アルファに片腕を掴まれていることに気付く。
「手を拭きたいから、放してくれる?」
自分のぶつけた感情を、なんと軽く払うのだろうか。
「兄上は、貴女の事は所詮その程度だと言っているのですよ。弟に奪われても良い程度だと」
離れたレアを再び力で引き寄せ、アルファは押し殺した声を放った。皇帝の寵妃だと言われていても、所詮はその程度なのだと落ち込めばいい―――そう思った。
再び近づいたアルファの双眸を見つめ、レアは今度こそ彼へ向けて苦笑する。
「アルファは、本当にそう思ってるの?」
「!」
「奪われて良いなんて、カイザックが思ってると思う?」
お前には奪えないと暗に言った兄の双眸が過った。緩んだ力の隙間を、レアの手はすり抜け、ハンカチで丁寧に指先を拭く。
「わたしもカイザックも、お互いがいなきゃ、今頃死んでた。神さまがわたし達をそう造った」
拭き終った布を侍女へ渡して、レアはアルファへ笑顔を向けた。
「って、言ったら信じる?」
夢見がちな少女の戯言でも聞かされているのだろうか。しかし、自分を見つめる少女にからかうような色は伺えずにいた。
「その原理でいくと、義姉上は兄上の弱点という事になりますね」
遠征で何があったか知らない。お互いがいなければ命を落とすような状況に遭遇したという事で、敵対していたにもかかわらず絆を結ぶことになったのだろうか。いくら考えたところで真実は分からないし、分かる必要はないように感じた。
必要なのは、現在の状況だった。
「普通に考えたら、そうなるねぇ…」
レアは指を顎に当てて首を捻り、そう言った。だが、すぐに何を思ったのか笑う。
「わたしを捕まえて殺したり、脅したりしたら、自分が死んだ方が良かったと思うような目に合うよ、たぶん」
「え…?」
レアの微かな笑い声に、冷たいモノを感じたアルファは、美しい少女を覗き込んだ。
長い睫の下の瑠璃色が、微かに面白がるように揺れて、アルファを見返した。
「何の根拠もなく、武神だとか魔女だとか呼ばれてるわけじゃないんだよ?」
意味深な物言いに、アルファは口の中の渇きを感じた。意味もなく唾を飲み込むように喉が上下する。
「…確かに、義姉上は一軍の将だったと聞いていますが…」
弓ひとつ引けぬ、短剣ひとつまともに扱えぬのだと聞いた。実際、ロイヤに来てからも、武器を扱っているところを誰も見ていないし、それどころか荷物を持っているところすら見た者はいない。
「二つ名なんて、どれも不本意なものだけど、タダの小娘に付くようなもんじゃないでしょって事だよ」
彼女の物言いはどこか遠まわしだ。でも、だからこそ、彼女の持つ底知れなさが漂う。
レアの大きな双眸が、アルファをまっすぐに見つめると、嬉しそうに笑んだ。
「アルファは、皇帝になりたい?」
ギョッとするほど、ストレートな問い。
誤魔化すこともできないほどに、まっすぐに自分を見つめる瞳が、硬直するアルファを安心させるように笑った。
「そのために、ずっと勉強してるんじゃないの?」
「…」
それは裏も表もない、取引も謀略も存在しない、幼い子どもの様な問いかけだった。
「図書館で見かけた時、そうじゃないかなって思ったんだよね」
アルファの無言を肯定と受け取ったのか、少女は返事を待たずに話を続けた。
「カイザックは王座に執着はないけど、引きずり降ろすなら、実力でね」
唇に指を立て、小さな声でレアは言った。
「そのためには、卓上だけじゃなくて、いろんなところに飛び出すんだよ!」
そう言って、レアは両手を広げた。微かに光が弧を描くような錯覚を覚える。キラキラと彼女の言葉を受けて、輝く。
「せっかく頑張っているんだから、使ってみなくちゃ!」
きらきらと輝く。
「…僕に、王宮で働け、と?」
「その方が、実力もつくし、民草の求める物も理解できるし、なにより、挫折出来る!」
「…ざ…?」
少女の瞳はどこまでもキラキラと輝いて自分を見つめた。
「そう、挫折! 時々は失敗しないと、強い大人にはなれないからね!」
「…」
アルファは完全に目が点になった。
目の前の少女は、目を輝かせて一体何を言っているのだろうと思った。同世代においては誰にも負けてこなかった。負けるわけにはいかなかった。
それが例え、年の離れた兄であろうと、負けるわけにはいかない―――周囲からの期待に応えるために、剣を握り、勉学に励んできた。
なのに、挫折しろと、少女は言う。
「貴女は、僕に負けろと言うんですか!?」
咄嗟に出た声は驚くほど大きく、周囲の注目を一手に集めることとなった。
が、肩で息をするアルファにそれを気にする余裕はなかった。
突然、席を立って自分を睨み付けるように見下ろしたアルファを、レアはまっすぐに見上げた。荒い息遣いが頬にかかるほどに近い。
「挫折と、負ける事は違うよ」
静かな声音は、荒れたアルファの表を優しく撫でるように滑った。
瑠璃色の瞳が一瞬の憂いを浮かべて、伏せる。
「アルファは負けないよ。貴方は強いもの」
評価してくれたり、ブックマークしてくれたりしてくださってる皆さま、ありがとうございます。
励みなります。
転生ものが受けてる昨今、安定のマイワールドな事を確認してしまった作者は、苦笑しかありません。読んでくれて、ありがとう!
生きるに少し息苦しかったりするので、たぶん転生して無双とか、すごい強いとか、ハーレムとか…そんな話を読んで、スカッとしたい現代人の真理なのかなぁ…なんて分析したりして(笑)
物語の中まで、苦しい思いはしたくないですよね。
少女漫画をはじめ、恋愛ものは両想いになったあたりとかで、必ず第三者が介入してきて、かき回されるじゃないですか。
わたし、この展開、分かってるけど、嫌なんです。
雨降って地固まる…分かるよ。分かるけど、うっとうしいからやめて。
くっついたんだから、やめて。
そんな気分になります。
起承転結でいうところの、「転」に入ったって分かりやすくて良いんですけどね!
良いんですけどね~
差し込んでくるキャラがうっとうしいと、もう嫌です。
差し込んでくるなら、「過去」とかさ、「事件」とかにしといて。
そんなわけで、わたしの作品は、「事件」が入ります。
今、やっとこさ、その辺のフラグが立ってる感じです。




