83.アルファ・スズリムガート(1)
空気が変わった。
それまで自分に向かっていたモノが、その一瞬で風が変わった事が理解できた。
(…来たか)
こんなことが出来るのは、自分以外には一人しかいない。
来なくて良いと願っているが、世間体を考えるなら招待せざる負えない相手―――この国の皇帝。腹違いの兄。
八つ年上の、中流地方貴族の母の腹から生まれた腹違い。十年前に勃発した時期皇帝争いで、なぜか軍部トップのジルドと、宰相が後継人となり、五年前に即位した男。
(何の取り柄もないくせに…)
即位式に参列しながら、彼は皇帝となる青年を睨み付けていた。
自分がなぜもっと早くに生まれなかったのかと、運命を呪った。幼い頃から、お前が皇帝になるのだと言われてきた。そのために、子どもらしい時間を過ごす事も惜しんで勉学に励んできた。なのに、周囲の大人が言うように、王座は自分の前にはなかった。
大人たちは言う―――アレはお前が成人するまでの噛ませでしかないのだと。だから、いつ、その時が来ても良いように、準備をしておきなさいと。
年を追う毎に、大人たちの言う意味を理解した。
王座は何もしないで手に入るものではない―――そう、そこに座る者を引きずり降ろさなければ、手に入らないのだ。
(僕は、十六になった)
この日をどれほど待っただろう。
(もう、陰に隠れているだけの子どもじゃない…っ!)
奥歯を噛みしめる。ロイヤ皇位継承権第一、アルファ・スズリムガートは、自分から注目を奪った風を睨むように視線を向けた。
そして、驚愕に目を見開く。
そこにいたのは、アルファの脳裏に描いた人物とは違った。
風に微かに髪がなびく。
空を想起させる透き通るような青のドレスに身を包み、肩で滑って流れていく短い髪に、白いリボンが揺れていた。
肩からするすると滑り落ちていく茶色い髪と、伏し目がちだったその瞳が気だるげに上げられるのを、アルファは呆然と見つめていた。
もう一度、逢ってみたいと、ずっと思っていた。
ロイヤに来てから、カイザックの雑務が落ち着かなかった事を理由に、祝賀会だとかそう言うモノは開かれていなかった。唯一、多くの関係者が集まったのが、初日の会だけだ。
「出ない訳にもいかなくてな」
本当は行きたくないと、言わなくても分かるような態度で、彼は頭を掻きながら言った。
「弟の誕生会だ」
「なぁんだ。だったら、仲良くなるチャンスじゃない」
気楽に言ったレアの言葉に、部屋の空気は重くなった。
「ロイヤで唯一皇位継承権を保っている、アルファ様のお誕生をお祝いする会なの」
カイザックの言葉に補足するルイスも、困惑したような諦めた様な顔をしている。そこには、弟の誕生日を祝いたいと言う気持ちは読み取れなかった。
「…つまり、権力闘争真っただ中、なんだね」
「そうだな」
レアの遠慮のない言い様に、カイザックは軽く笑いながら同意した。
「オレを抹消したい第一勢力だな。まぁ、会場で何か仕掛けてくることはないだろうが」
レアはそれだけを聞いて、何事か考えるように視線を巡らせる。
「じゃぁ、普段は会わない、どっかの婦人とかお嬢様とか、その侍女とかも来るね」
「お前…」
独白だけで何を考えているのかを理解したカイザックが、驚いたような呆れた様な視線を向けてくる。レアはにんまりと笑った。
「ちょうどいいよ。今後の為にも輪は広げておいた方が、絶対良いもの」
「…侍女の一員に、モモは連れていけよ」
身体的な心配をしているのなら、不要なのにと言うように、レアは肩をすくめて見せる。だが、拒否する理由もないので、素直に従っておこうと思う。こういうパーティーの時は、侍女もドレスを着る。モモのドレス姿など、きっと早々目には出来ないだろう。
「分かった。モモ以外の人選は、リリアンと相談するね」
マリーノでもこの手のパーティーはあったし、参加した事もあるけれど、ロイヤでは初めてとなる。また、ロイヤ方式を知らずに出向いて、カイザックを田舎モノ好きの変わった皇帝だと陰口を叩かれるのは、本意ではない。
「お前は、お前のまま立ち振る舞えばいい」
レアの内心が分かったのか、カイザックは笑った。その方が楽しそうだと思っている事が理解できて、レアは頬を膨らませる。
「ねぇ、みんな一緒じゃないとダメなの?」
「と言うと?」
「準備が先に出来ちゃったら、先に行ってても良いの?」
その発言に、後ろで控えていたリリアンが息を飲む音が聞こえた。
「私は早くに席を立ちたいから、早めに会場に入っていますけど…」
シィは皇帝の側室だからお兄様と―――そう言おうとしたルイスは、それがすでに手遅れだと言う事を悟った。
レアは満面に笑みを浮かべていた。
「先に行って、いろんな人と逢っておくよ」
男性からしか声をかけられない事に、レアは少々うんざりしていた。
こちらから女性陣へ声をかけようとするのだが、なぜか男性へ行く手を阻まれる。
「私は…」
「存じておりますわ。クルハース男爵の嫡男・カサエル様ですよね。王宮第六十七室の室長でいらっしゃいますでしょう」
しかも、王宮のどこかで逢っているのだ。
王宮での邂逅時、相手は大抵こちらを警戒しているか、値踏みをするような視線を向けて来ていたのに、ここで向けられるのは全くの別物。
「以前お会いした時は、睨み付けられましたのに、一体今日はどうされたのですか?」
「えっ?」
レアの続く言葉に、相手は呆然とした顔をした。必死にどこで出会ったのかを思い出そうとしているのか、右目の瞼が小さく痙攣している。
「お会いするのは、今が初めてですよ。こんな美女を忘れるハズがありません」
脳内での照合が終わって、どうやら本当に分からなかったらしいカサエルは、愛想良い笑みをその顔に張り付けて言った。頬に小さな汗の粒が浮かんでいる。
「シィ、そろそろ陛下がいらっしゃる時間です」
言葉を重ねようとしたカサエルよりも早く、レアの後ろに控えていたモモが教えてくる。その瞬間、目の前の男の顔色が音を立てて変わった。
目の前の男に意識を向けることもやめて、レアは諦めたように小さくため息を吐くと、男へ向かってにっこりと微笑んで見せた。
「ごめんなさい。わたし、男性の方には興味がなくて」
聞き方によっては誤解を生みそうな事を言って、レアはその場を後にしようとした。
が、それは出来なかった。
「では、僕にもご興味はない?」
若い男のトーンに、レアは振り返った。
「ご家族仲良し大作戦:バローナ編」ですが、ここにきて腹違いの弟君登場です。
こいつも結末まで書き上げちゃうと、もうちょっと内面とかの心変わりを細かく書いてやりたいのだけど、んなことしてたら、スゲー枚数になりそうで…。
いかせん、今は完結まで突っ走らなきゃならないから、振り向いてらんない!状況でした。
ツンツンしてる子は、楽しいなぁ。
読んでるとイラ立つけど…




