79.カイザックとイリア(1)
「仲良くなってくれたのは嬉しいが、悪巧みはよしてくれよ」
カイザックの呆れた様な言葉に、二人は顔を見合わせて笑い合う。その様子にカイザックは若干複雑な心境になった。ルイスは昔から情報屋で、昔からお転婆をやらかしては、自分をまきこんでくれたものだ。
片やレアは、奇策の魔女である。
「人聞きが悪いですわ、お兄様」
「ちゃんと任務を遂行しようとしてるだけなのに」
二人揃って眉を寄せたくなるような事を言ってくれる。ルイスは兄の心境を察したのか小さく笑うとレアへ視線を向けた。
「私、この後の用事がありますので」
「ん? あぁ、そうなの? 了解です」
レアの返事へ軽く頷くと、ルイスはさっさと後宮への道を進み始めた。
「一体、何をたくらんでる?」
自分の傍らへ歩み寄って来たレアへ、カイザックは問う。自分を見上げたレアは、その手を取って引いた。
「カイザック、わたしに言ってない事、ない?」
にっこりと言われて、カイザックは首を捻った。
「お前に言ってない事なんて、山ほどあるぞ」
実際、伝えていない事は山のようにある。心配をかけたくないと言う理由もあるし、先入観など持たせるものではないと思うからでもある。だが、どれも秘密にしようとして秘密にしているものでもなかった。
「まぁ、良いけどね」
カイザックの応えに、特に気にした様子もなく、レアはその右手を引く。どこかへ案内しようとしていることを理解して、カイザックは引かれるままに足を向けた。
心地の良い午後だった。
一年間の溜まった雑務の為に、周囲を見渡す余裕もなかった事を思い出し、カイザックは深々と息を吐いた。その様子に、レアは小さく笑う。緑の迷路を抜け、緑濃い中庭へ足を踏み入れる。
どこへ向かおうとしているのかを理解して、カイザックは足を止めた。
それまで従順に付いて来ていたカイザックが足を止める理由を理解しているレアは、再び小さく笑う。
「小さな女の子が、ある日、恋をしました」
そして、唐突にそう口にする。
カイザックは、その意味に目を見開いた。その反応に、レアは嬉しそうに微笑むと、引いていた手を離す。
「名前も知らない、無邪気に笑う男の人に、彼女は強く惹かれました」
カイザックの表情が歪むのを、レアは少し困ったように見ていた。
カサカサと音を立てて、彼女の背後の草むらが揺れ、赤い頭が見える。
「彼女は、彼が何処の誰なのか知りたかった」
「シーお姉さま?」
ひょっこりと顔を出した幼女が、レアを呼んだ。レアの背中越しに、カイザックは顔を背ける。
「知らない方が良い」
「…イリアは、もう一度逢って、話をしたかったんだよ」
否定を口にするカイザックの真意が分からない訳ではない。それでもレアは、その場を一歩横に動いた。背後のイリアの視界に、黒髪碧眼の長身の男の姿が入る。
「…」
同じ碧眼が大きく見開かれていくのを、レアは見つめていた。
瞬くそれが、驚愕を張り付けたままレアへ視線を動かす。
「イリアの会いたかった人、この人でしょう?」
レアの問いに、イリアは言葉もなく何度も何度も首を縦に振った。その様子が愛おしく、レアは微笑む。そして、微かに苦笑する。
「彼は、カイザック・フィリカート。…貴女の父親だよ」
レアを見上げる青い瞳が驚愕に見開かれる様を、レアは複雑な気持ちで見つめていた。風が沈黙を嫌がるように騒ぐ。
「…え?」
やがて言葉の意味を理解した幼女の小さな声が漏れた。男の息を飲む音が微かに聞こえた様な気がした。
「…お父様?」
イリアの擦れた様な呼びかけに、男は身を強張らせた。その反応の意味を理解した幼女の肩が震える。
「…うそっ! だって、イリアのお父様は皇帝陛下だものっ!」
風が幼女の声に呼応するようにざわめく。
イリアの声の震えるを聞きながら、レアは彼女を見つめた。
「そうだよ。カイザックが皇帝ガイディウスだよ」
幼女の瞳の揺れる様を、レアはじっと見つめていた。
「…うそっ…だって、お父様はとってもお忙しい方なのっ! お強い方なの! だから…こんな所でイリアに笑いかけてくれたり…しない…もん」
上擦った声が風の音に掻き消えた。青い瞳から、音を立てて零れ落ちていく涙が、イリアのこれまで抑え込んでいた感情の欠片のように見えた。
レアは一度瞳を伏せ、小さく息をつくとイリアの赤い頭を撫でる。未だ視線をイリアへ向けようとしない男の傍らへ立った。
「イリア」
涙の瞳が、レアの呼びかけに視線を上げる。
「わたしはロイヤ皇帝の側室として、この不器用な人の代わりに『家族』を守るわ」
言って、カイザックの右手に触れる。ギクッと身を強張らせたカイザックが、反射的にレアを見下ろした。
「イリアと同じ、綺麗な瞳ね」
見開かれる碧眼へ微笑み、カイザックが何かを口にするよりも早く、レアはその右腕の袖をめくった。
手首よりも僅かに離れた内上腕に、小さなほくろ。
「カイザックが『家族』を失うんじゃないかって不安に思うなら、わたしが守るよ」
小さなそれを撫で、レアは言った。
「だから」
表を上げ、まっすぐにカイザックを見つめる。
「だから、イリアを独りぼっちにしちゃダメ」
守りきれずに、失ってしまうぐらいなら、最初から持たない方が良いと、ずっとそう思ってきた。
非情だと理解しながらも、バローナにもイリアにも極力関わらないようにしてきた。
笑いかけてはくれないのだと泣く幼女の涙を、直視することは出来なかった。
(もう嫌なんだ)
母と姉は、自分達を庇った。今でも視界にチラつく炎の紅と血の赤。
冷たく冷えた右手に何かが触れて、カイザックは表を向けた。瑠璃色の瞳がまっすぐに自分を見つめている。
「わたしが守るよ」
その言葉の放つ力強さに、カイザックは驚いた。
「だから、イリアを独りぼっちにしちゃダメ」
その瑠璃色の瞳の奥に、別の色の混ざるのを見てとり、カイザックは息を飲んだ。手首に触れるレアの指先が優しく触れる。
何を恐れる必要があるのだと、声なき声が聞こえる気がした。
(オレが臆病なのは、分かってるんだよ)
内心の呟く言葉に反応すように、誰かが笑う気配がする。
俯いてしまった小さな子どもへ視線を映し、カイザックは静かに吸って、息を吐いた。
自分は何のために皇帝を目指したのだったか。ただ、もう自分の家族を失いたくなくて、なりふり構わずに突き進んできた。
(ならば、これからも突き進めばいい)
風が頬を撫でた。
もうちっと丁寧に書きたいけど、だらだらもどうかと思ったり。




