71.父と子(3)
「この話は、一旦止めましょう」
不意にレアが庭の一点へ視線を向けて、短くそれだけを言った。
「シィー?」
「やっぱり、母親の実家の悪口は聞きたくないと思うし」
言い終わるか終らぬうちに、幹をかき分けて赤い髪がひょっこりと姿を見せた。
「いらっしゃい、お姫様」
レアの嬉しそうに綻ぶ笑顔を、ルイスは不思議な気持ちで見ていた。同時に、どこでイリアと仲良くなったのかと疑問に思う。
レアの姿を見とめて、イリアの碧眼が安心したように緩んだ。その変化を目聡く見つけたレアは席を立つと、わざとらしく周囲を見渡して誰もいない事を確認して見せる。そうして、茂みの中では隠れる意味もない程に目立つ赤い髪の幼女の手を引いた。
「お勉強、抜け出してきたの?」
手を引かれるままの幼女が一瞬、身を固くした。
「…怒る?」
恐る恐るといった様子で尋ねるイリアへ、レアは笑った。
「まさか。イリアはここへ女子の社交界のお勉強に来たんだから、怒ったりしないよ」
その瞬間のイリアの笑顔に、ルイスは驚いた。そんな風に笑うのを初めて目にしたのだ。自分がいくら声をかけても、懐く素振りすら見せなかった姪。
もう一脚の椅子を用意してもらって、イリアを座らせたレアは、ルイスの視線に気付いた。
「どうしたの?」
「…シィーは本当に神さまなんだと思って」
ルイスの応えに首を傾げながら座るレアへ、しかしルイスは考えを振り合払うように首を振った。そして、自嘲気味に笑う。
「ごめんなさい、シィー。違うの、貴女がうらやましいと思ってしまって」
言われた意味が理解できずに、レアは目を丸めた。ルイスはそんなレアへ微笑み、そしてイリアへ視線を向ける。
「私もイリア様と仲良くなりたくて、声をかけてたけれど、上手くいかなくて。なのに、シィーはこんな短期間で仲良くなってしまうんだもの」
見つめられて、イリアは目を見開いてルイスを見返した。しかし、すぐに目を逸らせてしまう。
「…お母様が誰とも仲良くなってはいけませんって…」
幼女の呟きに、少女二人は顔を見合わせた。陰謀渦巻く皇室内にあっては、それは一理あるのだが、こんな幼い子が口にすると、ひどく胸が痛い。これは本格的にバローナ攻略に動いた方が良さそうだ―――より良い家族関係を築くためにも。
「では、バローナ様には秘密で、私とお友達になってくださいませんか?」
レアが内心で攻略を考えていると、ルイスがイリアへ悪戯っぽい笑みを浮かべながら言った。彼女の為に紅茶を注ぎ、はちみつを加える。その様子を、イリアはただただ驚いたように見つめていた。
「お母様に見つからないように、こっそりお茶会に来てくださいな。怒られない為に、お勉強もこちらでしましょう」
大胆な提案に、レアがあんぐりと口を開けていると、ルイスが気付いてにっこりと笑む。
「だって、イリア様はお兄様の子なのよ。抜け出してくることに関しては、きっと一級よ」
「…」
ルイスの言葉の意味をやっと理解したレアは、苦笑した。
「そう言えば、ザッカでも、一人でウロウロしてるのを良く見かけたよ。王様が護衛も付けずに独りでいるなんてって思ってたけど、アレは抜け出していたわけだ?」
「あらあら、お兄様ったら。皇帝になってからは、そんな事もしなくなったと思っていましたのに…」
クスクスと笑うルイスは、何かを思い出しているようで楽しそうだった。
「あの…」
会話に付いていけないイリアが、困惑気味の声を上げる。
「ごめんね、イリア。貴女のお父様も良く抜け出してくるから、おかしくて」
「お父様が?」
遠目からしか直視した事のない父王を思い出して、イリアは目をパチクリさせた。二人が楽しそうに話す相手が、怖い父とは結びつかず、イリアはただただ困惑する。
手元の紅茶を覗き込むように俯いてしまったイリアを、レアは見つめる。マリーノでの、カイザックが子どもに接する様子を見る限り、彼がイリアを遠ざけるのは、子どもが嫌いだとかの理由ではないと思っていた。考えられるのは、自分に近づけることで、イリアに害が及ぶと思っているからだろう。
(何を勘違いしているのやら…)
守ればいい。
そう思えば良いと、レアは考える。けれど、同時に、カイザックがルイス以外の家族を目の前で失った経緯を考えると、安易に背中を叩いて発破をかけることも憚られた。
マリーノで彼がロイヤに来なくても良いと言ってきた事を思い出す。
自分に近い者を作る事を、彼はとても恐れている。―――否、失った時の痛みを恐れているのだ。
自分を側に置く事にも勇気が必要だったのだから、幼くか弱いイリアなど、遠ざける以外の方法を思いつかなかったのだろう事は、安易に想像できた。
(でも、それじゃぁ、イリアがかわいそうだよ)
何不自由ない暮らしをしているハズなのに、イリアの笑った所も本気で怒っている顔も一度も見ていない。
「ねぇ、イリア。さっき、わたしにお父様を取り上げられても良いって言っていたけど、イリアにとって、お父様ってどんな人?」
紅茶を覗き込んで表を上げない幼い友に、レアは優しく聞いた。その肩がピクリと震える。
「…怖い人」
しばらくして小さな返事が返ってくる。この回答に、再び顔を見合わせることになった少女二人だった。ルイスは笑い出したいのを堪えるように、クッキーを慌てて口に入れた。
「ジムやリリィのお父様みたいだったら、良かったのにって思ってる?」
そう問われて、イリアは勢いよくレアを見た。自分の心の内を言い当てられて、その碧眼が大きく見開かれる。
「わたしはジムやリリィのお父様がどんなお父様か、知らないの。どんなお父様なの? イリアはどんなお父様だったら嬉しい?」
レアの問いかけを、イリアは微動だにせずに聞いていた。
厩舎で働く父に付いてくるジム。その父は、良く彼を褒めてくれるのだと嬉しそうにジムは笑っていた。乳母の娘のリリィは、母のいない夜は父が一緒に寝てくれるのだと嬉しそうに笑っていた。
羨ましいなんて思ってない、そう言うと男は目を細めて、そうかと言った。そして、大きな手で頭を撫でた。小さな声で、ごめんなと言われた。
「…羨ましいなんて、思ってないもん」
イリアは自分の喉が詰まるような感覚を振り絞って声を出した。レアが驚いたような顔をしたのを、イリアは気付かなかった。
「私は皇女だもん。他の人より恵まれてるんだから、お父様がお優しくなくたって平気だもん」
レアの手が頭を撫でる感覚が、いつかの男の手を思い出させた。隣に座って、どんな話でも聞いてくれた。あれから何度も、あの池のほとりに行ってみたが、逢う事は叶わなかった。レアはあの男にどこか似ている。
「イリアのお父様は優しいよ」
ギュッと目をつむるイリアを抱きしめ、レアは囁くように伝えた。イリアは確かに恵まれた生活をしているけれど、両親からの愛を欲しているように見えた。
無条件に大好きだよと言って、抱きしめてくれる誰かが必要なのだ。
「…でも、お父様は、イリアの名前、呼んでくれたことがないもの…」
それを聞いた瞬間、レアは内心で思いっきりロイヤの皇帝の顔をひっぱたいてやりたい気分になった。だが、そんな内心を押し殺して、何度もその頭を撫でる。
「私もシィーも、もう貴女の友達よ。貴女が淋しいのは嫌だわ」
ルイスの言葉に頷いて、レアはその頬に軽くキスをした。
仕事納めでしょうか?
一年間お疲れ様でした。
病棟勤めをしていたので、あまり「仕事納め」の感覚は分かりませんが、きっと格別なんでしょうね。
そして、主婦にも休暇はない。
肋骨を疲労骨折したらしいので(しかも利き腕側)、チャーハン作るのも、洗濯干すのも苦痛です(^_^;)
ハンマーでぶっ壊して捨てたい棚も、片づけたい大物も、運び込みたい荷物も、なんも出来ん。
お蔭で、パソコンの前に座れてます、ハイ。




