68.小さな忍び
カイザックは、本当に何もレアに事前情報は与えなかった。
付き添うエゲートにも、不自然でない程度に情報は伏せておくように言い渡していた。
レアには、無理ない範囲で人と会ってくるようにとだけ言っておく。余計な先入観などなしに、ロイヤの王宮内を把握できると考えたのだ。
そんなわけで、レアは朝からエゲートに案内されて、王宮の各部署巡りをしていた。
「いつも美味しいご飯を、ありがとう」
と言って微笑んでいたのは、王宮の巨大な厨房でのこと。新しい側室が巨体二人と女性を伴い、百戦錬磨とまで言われたエゲート将軍に連れられて来られては、一介の調理人たちは硬直するしかない。
求められるまま、顔を上げて一人ずつ名を名乗っていく。
「時々、らしいんですが…」
その場にいたすべての自己紹介を聞き終わり、愛らしい側室はにっこりと微笑みながら言う。
「毒が盛られてるそうです。神より加護を受けたカイ…じゃない、皇帝陛下はいかな毒ももはや効きませんので、もったいない事はやめてくださいね」
その言葉に、その場の何人が心臓を鷲掴みされるような苦痛を味わう羽目になったか、レアは知らない。自分の隣でニコニコ笑っている少女を盗み見、エゲートは内心で苦笑する。
「あ、皆さんを疑っている訳ではないんです! 料理にプライドを持ってらっしゃる方が、食材を無駄にするなど、ありえないもんね!」
分かって言っているのか、それとも天然なのか判断に苦しむ笑顔で側室の少女はニコニコしている。
朝からこの調子で、周囲の人間に冷や汗をかかせまくっているのだが、レアにはその自覚はなかった。食事に毒が盛られるからと言って、厨房の人間が盛っているよりも厨房から出てからが問題だと、理解しているので、自分の発した言葉がまさかけん制になっているなどとは夢にも思っていないのだ。
それから料理長に、二つほど朝食で出された食材を質問して、レアは満足する。
「さすが、大国だねぇ。全部回るのに午前中、全部潰れちゃいそうだね」
「陛下も、下女まで全部回って来いとは、…何か意味があるのですかな?」
廊下を歩く彼らを、恐ろしげなモノが通るように青ざめた顔で、官吏達が視線を向けてくる。レアがそれに気付くと、そそくさと逃げていくので、彼女は首を傾げていた。レアの知らない彼女の背後で、真っ赤に燃える髪を逆立てたティンが、射殺さんばかりの眼光を周囲に向けていたのだ。武将でもない一官吏が、それに対抗できるはずがない。
それでも、皇帝の新しい寵妃の噂は一夜で王宮、ひいては王都に広がっている。興味本位のものから、策を練る者まで、視線を送らずにはいられないのだ。
「わたし、人を覚えるのが得意でしょう? 今日中に、覚えられるだけ覚えて来いって言われたよ」
いくら得意でも、今までの数千を超えるだろう人間を全て覚えてはいられないだろうと、エゲートは思った。自分ですら、覚えているのはせいぜい二百の班長までだ。本当の一兵卒までは覚えていられない。
しかし、不意にエゲートは思い出した。隣を歩く少女は、魔女なのだと。
「もしかして、全部覚えているのか?」
「え? うん、覚えてるよ?」
それがどうしたの?とでも言いたげな視線を向けられて、エゲートは思わず頭を抱えた。彼女の背後で、デッドが同情するような苦笑をする気配を感じる。
この見回りは、王宮に彼女の存在を知らしめるためなのだと思っていたエゲートは、自分の思い違いをやっと理解した。
逆なのだ。
彼女に、この城に関わる者を覚えさせるためだったのだ。
(誰が、そんな事に気付く?)
否、誰も半日で王宮内の人間全員を覚えられるなど考えない。官吏のエリート達は皆、一様にレアの仕事への介入を警戒している。
エバンス・ルイーグスは戦場の鬼神であっただけではなく、優れた政治家でもあった。その弟子ともあれば、―――ましてや皇帝のお気に入りともなれば、自分達の領域に踏み込まれかねない。そんな事は彼らの心情として許されないのだ。
「大した記憶力だ」
エゲートはそれだけを言うに留めた。皇帝がレアに人を覚えさせる理由など、今のエゲートには想像もつかない。時が来れば、おのずと見えてくるのだろう。
「エゲートを二人目のお父様と思えって言われたよ」
レアの何気ない一言に、エゲートは喉を詰まらせた。詰まる息を吐きだして、隣のレアを見下ろすと、彼女はにっこりと笑んでいる。
「…私に娘はおらん」
「あら?」
「八人も子はおるが、全部男だ」
「…あらら」
自分を拒否されたのかと首を傾げたレアは、次のエゲートの言葉に苦笑する。父親と慕われることを気恥ずかしく思ってくれているらしいエゲートの、照れ隠し。娘の扱いなど知らないと、言っているのだ。
「全員、軍事関係?」
レアの問いかけに、彼はチラリとレアを見下ろした。その時のエゲートの何事か言いたげな視線の意味を、翌日に理解する事になる。
「ところで…」
そうレアが笑い含みで呟いた時、彼女が何を言いたいのかをエゲートも、ティン達も理解した。
「さっきから、わたし達の後ろを付けてる可愛い忍びには、気付いた方が良いのかな?」
そっと背後を伺ったレアは、小さく笑いながらエゲートに尋ねた。尋ねられた方は、頬に汗をにじませる。
厨房の前後から、自分達の跡を付いてくる赤髪の小さな姿がちらちらと視界に入るのだが、本人が隠れているつもりらしいので、そのまま様子を見ていたのだ―――が。
「そろそろ昼食だし、乳母が探しているよね」
言うが早いか、レアは踵を返す。小さな影が逃げ出そうと背中を見せたところで、背後から抱きついた。
「捕まえた~!」
「放して! 放しなさい、魔女!」
小さな身体が思いっきり暴れるので、腕力に自信のないレアには、いつまでも捕まえていられず手を離した。レアが体のバランスを崩して尻餅をついている隙に、逃げ出そうとした小さな体が宙に浮く。
「はっ! はな…」
ティンにひょいっと掬い上げられてしまった幼女が、その視線の高さに怖気づき、太い腕にしがみついた。
「こんにちは、イリア」
見上げるほどの巨体に捕まってしまった事に、やや青ざめた様子の幼女は、現皇帝の四歳になる長女イリアだった。
お尻の埃をはたくと、レアはイリアを覗き込んで嬉しそうに声をかけた。
「やっぱり、すごく可愛い! 将来は美人さんだね!」
敵意の含んだ視線が、レアの言葉にぱちくりと瞬く。同じ色なのに、こんなにも違うのだと、レアは嬉しくなって、にっこりと微笑んだ。
「あなたは、悪い魔女…なんでしょう?」
ティンの腕にしがみついたまま、レアに身を乗り出すようにして問うイリアの視線に、レアは苦笑する。ティンに降ろしてあげるように視線を向けると、彼は壊れ物でも扱うように、彼女を床に下した。
その前に目線を合わせるために、膝を折る。
「さぁ。どうかな? イリアはどう思う?」
「…」
逆に問い返されるとは思っていなかったらしい彼女は、言葉に詰まる。一度自らの手元へ視線を落とし、チラリとレアを盗み見る。
その様子が子どもらしく、レアは思わず頬を緩ませる。
自分の知る四歳にしては、しっかりとした口調と立ち振る舞いに、さすがは王族の一員だなぁと感心していた。それと同時に、跡を付けてくるところなど、子どもらしくて愛おしい。
(仲良くなったら、絶対、お膝に抱っこしたい!)
内心でそんな野望をたぎらせていたりするレアだった。
メリークリスマス!!
こっちは日本ほどお祭り騒ぎじゃないかも?な、クリスマスです。
恋人たちのイベントではなく、家族の絆を深めるのが、キリスト教圏のクリスマスなのかな~。
さてさて。
最近のストーリー具合が、どうもダラダラ感。
まぁ、それなりに先々必要な部分ではあるけど、なんかもっとワクワクするような感じに書けたら良いんだけど…。
自分の実力なんぞ、こんなもんか。
冗談やら、ニヤニヤ感ばかり出すわけにもいかないんで、ご勘弁。
ななめ読み推奨(笑)




