62.武神の智と力(4)
「結論から言って、わたしを…わたし達を、身を挺して守る必要はないよ」
そう言ったレアはモモへ視線を向けた。
「小刀か針、貸してもらえますか?」
「何にお使いですか? 私の持つ物は毒が仕込んであります」
「好都合だよ」
そう言って苦笑するレアが差し出す手をしばらく見ていたモモは、懐から小さな小刀を出した。それを受け取り、一拍の後、紅い滴が床に滴った。突然の自傷行為に、ティンもデッドも騒然となる。
「なっ! 毒があると…!」
「大丈夫」
慌てたモモがレアの手から小刀を奪い取った。すぐに解毒をと懐を探るモモの視界に、今まさに傷のふさがっていく細い腕が入った。
「…」
「見せる方が早いって思ったんだけど、やっぱり痛かった」
そう言いながら、レアは三人の顔を順に確認する。ティンとモモは傷付いたはずの腕を見つめたまま呆然としていたが、デッドの顔は青ざめていた。
「デッドは、カイザックが何をするのを見たの?」
「…」
「手も触れずに刺客を倒して見せた? それとも素手で得物を受け止めて、無傷だった?」
「…」
あれ?空でも飛んでみせたのかなぁとレアが内心で首を傾げた頃、ようやくデッドの息を飲む音が聞こえた。
「化け物だと、思った?」
傭兵二人が同時に勢い良く顔を上げたので、レアはびっくりして身を引いた。
「…いや、不死身だろうとは、皇帝の兄ちゃんから聞いた。実際に見せられて、ちょっと驚いてるだけだ」
ティンは体格から受ける印象通りに、細かい事は気にしないタイプだ。目の前に空想上のドラゴンが現れたとしても、深く考える前に倒してみようとするタイプなのだ。だから、ただの驚愕で済む。
「化け物だろう!」
だが、デッドは違う。
「手も触れずに遠くの相手を気絶させるなんて、化け物だろう!」
誰に同意を求めるでもないが、それはまるで自分に言い聞かせているようにも見えた。レアはデッドの動揺を理解して、小さく困ったように笑む。
「そうだよ。化け物だよ」
頭を抱えていたデッドは、顔を上げた。自分よりも一回りも幼い少女の苦笑が目に入る。
「これは、神さまにもらったお守りの力だけど、他から見れば、化け物だよ」
レアの特殊性は、それが精神の世界に限定されていた時から、周囲を驚かせてきた。時に神格化され、レアを疎う人間からは気味悪がられ、魔女とも悪魔とも言われてきた。
だから、今更、傷ついたりはしない。
「…いや、違うんだ…シィ」
傷付いたような諦めた様な笑みを浮かべるレアを見つめ、デッドは俯き、頭をガリガリと乱暴に掻き毟った。混乱する自分の、本当の真意は彼女を化け物だと弾劾したいのではない。
「オレは…あいつがシィを大事にしているのも分かってる」
自分の内面から、正しい言葉を選び取っていくように、デッドはゆっくりと言った。
「あいつを、化け物扱いしたいわけでもない」
では、なぜこれほどに苛立つのかを、デッドは理解できなかった。ただ、得体のしれない不安が頭をもたげる。
「特別な力を持ったあいつが、シィを利用しているのだとしたら、マリーノでの二の舞に…なるだろう…」
デッドの苦痛に満ちた表情を見上げ、レアは微笑んだ。自分を心配してくれていることが良く分かった。目の前で起こった超常現象を受け入れられないのではなく、デッドは一抹の不安を拭えないでいるのだ。
「心配してくれて、ありがとう、デッド」
その力強い腕に触れ、レアは微笑む。
彼は、ザッカ前線へレアを追いやったマリーノ重鎮たちを誰よりも嫌悪していた。ティンのように戦場から連れ出そうと実質的な行動はとっていないまでも、常に戦線を離れ、亡命する事を望んできた。
「突拍子もない話だし、カイザックはあの調子だし、デッドが苛立つのは当たり前なんだよ」
恐らくデッドの葛藤も、カイザックは分かっていたはずだ。分かっていながら、あえて何も言わなかったのは、自分に吐露させるためだったのかも知れない。
「ねぇ、ティン、デッド」
師匠の時代から付き合いのある二人の傭兵に向かって、レアは声をかけた。
「わたし達は、『普通』からは逸脱してしまった」
今はまだ、『普通』が何かを分かっているつもりだけど、いつかはその感覚も鈍くなって、とんでもなことをしでかすかもしれない。逸脱し、行き過ぎてしまった時、自分達の裾を誰かが引いてくれなくてはならない。
「もし、雇われてくれるなら、わたし達を監視していてほしいの」
今なら、カイザックがジルドとミヤへ早い段階で知らせておこうとした気持ちが、分かる。持ってしまった力に飲まれ、間違いを犯すことがないよう、常に目を光らせていて欲しいと願ったのだ。
万が一にも間違いを犯したなら、この命を絶って欲しい―――そこまで考えて、レアは慌てて首を振った。断たれる自分達の安堵の為に、彼らに罪と苦痛を強いるなどあって良いはずがない。
(…わたしは、見てきたじゃない)
愛する者を自らの手で絶たねばならなかった、神さまの慟哭を―――。
流れ落ちる涙の雨の下、それすら拭えぬ自らの無力。
あの痛みを、他の誰かに押し付ける事など、絶対にしてはいけない。
「シィ?」
ティンの呼びかけに、レアは思考の波から引き揚げられた。自らの考えを打ち払うように、首を振って、レアは二人へ笑いかける。
「もちろん、貴方達は傭兵だもの。自由に選択できるんだから」
返事をすぐに聞くのもどうかと考え、レアは少し時間を空けようとした。
だが、ティンは元から雇われる気でいたし、腹に一物抱えていたデッドも吐き出したことで腹は据わったのか、否はなかった。
「心強いよ」
レアは二人へ正直な気持ちで応えた。
ザッカ前線で戦ったロイヤ将軍達以外に見知った者のいない王宮で、彼らが側にいてくれることは、正直ありがたかった。不安だからと言って、皇帝であるカイザックに引っ付いている訳にもいかないし、それならば部屋に引きこもれるかと言われれば、そんな考えは毛頭ない。
「二人は護衛って事だけど、正直、護衛というより、けん制の意味の方が大きいね」
「それは、あの兄ちゃんも言ってたぞ」
「シィに手を出せば、タダじゃおかないぞ、と言う事でしょう」
だからと言って、大きな百戦錬磨の武男二人を背中に従えて歩けば、いくらマリーノ城より広いロイヤ城の廊下でも、確実に邪魔だ。
「威嚇する必要があるか、ザックから要請があるか以外は、二人は交代で良いんじゃない?」
「そうかもしれんが、最初は威嚇する必要があるだろ?」
「そうですよ。エバンスの弟子との触れ込みもあるんですから、舐めた視線を送ってくる奴には、穴が開くほど睨みませんと」
「…相手の寿命が縮んじゃうから、止めてあげて」
冷や汗を流しつつ、レアは三人の会話に入ってこないモモへ視線を向けた。
「モモさんも、わたしみたいな化け物に付きたくなければ、遠慮なく言ってくださって良いんですよ。カイザックには、わたしから上手く言いますから」
さすがにそれまでの人間関係の構築がないモモに、自分の事情を理解はしてもらえないだろうと思っての声掛けだったのだが、当の本人は表情一つ変えていなかった。
「いえ、陛下の命は絶対です。貴女がどういう方であろうと、お守りするのが私の使命です」
「…ちっとも動じてないのが、とっても凄い」
レアは素直に感想を述べた。そして、改めてモモの姿を上から下まで確認すると、うーんと唸った。
「モモさんは隠密じゃなくて、彼らと同じようにわたしについてもらおうと思っているから、着る服を調達しないとね」
レアがそう言った時、ちょうどドアがノックされた。
この回は、デッドの苦悩を書きたかったわけですが、今でも上手くいったと思えず、まんま苦難の回です。
デッドが「何に」悩んでいたのか、作者がいまいち分かってないのかも。
後で書き直そう書き直そう…と思いつつ、もう皆様の目に触れることになっちまった。
ただ、自分がずっと好いてきた上司とその伴侶が、実は化け物でしたと言われて、「化け物だ!」と突き離して離れ、忘れることも、「そうか」と言ってすんなり受け入れることも、
まぁ、普通すぐには出来ない。
だからと言って、デッドにばかり光を当ててる訳にもいかず…
ここらで納得してもらいました。
本当は色んなエピソード入れながら…と思ったけど、他にフラグがいくつも立ってるから、そこに枠がなかった…世知辛い大人都合…(^_^;)




