49.黄緑色
「満足そうですね」
袖口のボタンを留めている皇帝に、ミヤは声をかけた。
「ミヤか」
器用に片手でボタンを留めて、皇帝はミヤへ視線を上げた。なんでも自分でやってしまえる彼は侍女や付き人泣かせである。本人にそんな自覚は何のだが。
「今から向かう所は、今日の決闘相手の家だ。何が起こるか楽しみじゃないか」
「まだ何か企んでます?」
楽しそうに言う皇帝の表情は上機嫌だった。悪戯が成功して満足しているのは、彼を知る者が見れば一目瞭然だろう。
「いいや、何も。企んでいるとしたら、向こう側だろう」
自らの得物を帯刀しながら、皇帝は笑った。その内容にミヤは背筋を伸ばす。
「よからぬことを…?」
「いや、それは企んでも無駄だ。今のオレ達は無敵だからな。オレよりお前だろう」
「私?」
意味深に笑って皇帝はミヤを指さした。
「彼らはマリーノでの実権を手放したくない。少なくとも今の影響力を弱らせたくはないだろう。お前に取り入って今まで通りマリーノでの実権を確保するつもりではあるだろうな」
「なんと無駄な…」
ミヤの呟きに、皇帝は口元だけで笑う。
「では、パルマ邸へ出向く前に、今宵の我が妃を迎えに行こうか」
ヴァルハイト邸の門前は騒然としていた。
人垣の中を注意深く馬を進めていると、さすがに気付いた民に驚かれる。
「皇帝陛下様だ!」
驚愕の視線が一斉に注がれ、フードを深く被っていた皇帝は苦笑して、それを頭から取った。さらに驚愕の空気が辺りを包む。
馬で人垣を進むことを諦めたカイザックは馬を降りる。その足元に駆け寄ってくる小さな影があった。
「しぃおねぇちゃん、つれてっちゃうの?」
反射的にカイザックの前に出ようとしたミヤを制し、自分を首がもげるほど見上げてくる幼女の前にかがむ。
一瞬驚いたように一歩引いた幼女は、しかしカイザックが小さく笑ったのを見て、一歩近づいて来た。その手に小さな白い花束を持っている。
「あぁ、連れていくよ」
その返事に、幼女は目を見開く。
「…もう、おねぇちゃんと会えない?」
幼い子どもの顔に不安が広がる。ロイヤに居る娘も、これぐらいの年なのだろうかと、カイザックはぼんやりと思った。
「マリーノはロイヤの友達になったから、逢おうと思えば会えるよ」
「ほんとうっ!?」
その瞳が輝く様を、カイザックは不思議なものを見る気分で見つめていた。こんな小さな子どもにまで慕われる少女を、素直にすごいと思った。ここに集まっている者達は、皆レアを慕って、あるいは心配して集まったのだろう。
今日の武闘会の最後に行われた決闘の趣旨は、観客には説明されていない。にもかかわらず、カイザックが駆け寄ったレアの額にキスをしたことで、大半の者にはアレがなんだったのかの意味を知ったのだ。
「あぁ、本当だ」
カイザックの笑みに、幼女は満面の笑みを浮かべて返し、自らの手に持つ花束を差し出した。
「おねぇちゃんにわたしてあげてっ」
そう言ってカイザックへ花束を押し付けると、幼女は人垣の中で自分を心配そうに見つめていた母親らしき女性へ駆け寄って行った。
「自分の娘にも話しかけた事がないザックが?」
「…それはもういいから」
一連のやり取りを見ていたミヤが背後で面白そうに言う。ややうんざり気味に答えて、歩を進めた。人垣が割れて、道が出来る。
すっかり顔見知りになった使用人が門を開けてくれる。
「顔パス?」
「まぁ、オレの家みたいなもんだな」
皇帝の返事に、案内をする使用人は微かに苦笑した。その様子が打ち解けていることを物語っていて、ミヤは意外に思った。
「お嬢様の準備ももうじき終わります」
そう言って玄関を開ける。新緑の風が吹くのを、カイザックは見ていた。
若葉の柔らかい色に身を包んだ少女が、そこに居た。
芽を吹いたばかりの、優しい黄緑のドレス。縁どられる刺繍は母が娘を想って一刺しずつ刺す。空色と緑の鳥、白い蝶が新緑の中を舞うように施されていた。
短い髪を上手く結い上げ、白いリボンと花を控え目に飾っている。派手でない分、彼女の持つ瑠璃色の瞳が際立った。
「…綺麗だよ、レア」
綺麗に着飾る初めてのレアの姿に、しかしカイザックは笑ってしまった。
美しいはずなのに、その頬が膨れ上がっているのだ。
「そんなに怒っていると、せっかくのドレスが台無しだぞ。オレは楽しいから良いけど」
「わたしは怒ってるの!」
「顔を見れば分かる」
うんと頷いて、カイザックはもう一度まじまじとレアを見つめた。その視線に改めて羞恥心を覚えたのか、レアが頬を膨らませたまま赤くなっていく。
「み、みんなの前であんな事するから、大変なんですよ!」
「あんな事?」
「おっおでこに…っ!」
「…カイザック様、娘が面白いのは良く分かりますけど、意地悪はいけませんわ」
それ以上言葉に出来ない娘を見かねて、マリアがたしなめる様にカイザックへ視線を向けた。その視線を受けて、さすがにそうかと思い直し、カイザックも頷いた。
「仲が良いところを見せておいた方が、マリーノの民も安心するだろう、武神アファリア」
「わたしは武神じゃありません」
「民の半分くらいは、信じてそうだったぞ」
「う、うそだぁ…」
事実、レアは民に慕われていた。彼女を慕っているからこそ、武神と信じている者も中にはいたし、幼い子どもなどレアの本名よりアファリアの方で覚えてしまっている子もいた。
「どちらでもいいだろう」
そう笑って、皇帝はレアへ手を差し出した。
「オレはレアなら、どっちでもいい」
どこか嬉しそうなカイザックの様子に、レアはそれ以上怒る気になれずに、内心ズルいなぁと呟いた。そんな顔をされて、ずっと怒っていられない。
慣れない服に慣れない靴。作法もいつもと違う。普段と違う事に戸惑い緊張するレアの頬を、カイザックはそっと撫でた。
度胸はあるが、反面慣れない事には臆病な所もある事を、愛しく思う。
触れるその手が、頬と自分の困惑している心にも触れている。どこまで分かっているのかなぁと見上げたカイザックの瞳が優しく細まるのを見て、レアは急に胸が苦しくなって俯いた。
心臓が早鐘を打つ。
恥ずかしいような、嬉しいような感情に、困惑する。
「昔を思い出すね」
父の声に表を上げると、ハンスがレアを見つめて微かに頬を赤らめていた。
「あら、レアの方が綺麗でしょう? 貴方の瑠璃色の瞳がとっても栄えるもの」
その傍らに立って、マリアもまたうっとりとレアを見つめている。ケイトに至っては、嗚咽を堪えるみたいに何度も唾を飲み込んでいた。
「?」
「聞いてなのか? そのドレスは、マリアの花嫁衣裳だったんだ」
「!?」
マリーノに花嫁が着る特別な衣装はない。母が娘に用意することが多く、たいていは一生物だ。そう言われれば、幼い頃に母がこのドレスを着た事があった事を思い出す。
「お母様…」
「急だったから新しい物を用意できなくて、ごめんなさいね。私のお古だけど、刺繍だけは貴女に合わせて刺すことが出来たわ」
ありがとうと、マリアはレアの手を握って微笑んだ。
このドレスの意味が分からない訳はなく、レアは目じりの熱く揺れるのを止められなかった。
正妃にはしてやれないと言っていた。故郷を遠くにすれば、安易には会う事が出来なくなる。だから、少しでも安心させようとしてくれたのだ。
「お父様、お母様、お義兄様、ありがとう」
レアは泣き出しそうなほどの熱を飲み込み、その表に満面の笑みを浮かべた。
パソコンの前に座ってキーボードをたたいていると、末っ子がやってきます。
絵本を持ってっくる時もあれば、真似をしてキーボードをたたくことも。
…かわいいけど、のってるときは勘弁してほしいです。
まぁ、仕方がないんだけど。




