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魔女と王様  作者: 新条れいら
マリーノ
44/117

44.台所

 何度も打ち寄せる波に抗ったり、ゆだねたりを繰り返す。


 不安になったら手を握り、口づけをする。


 何度も繰り返し、最後にお日様の匂いに抱かれて、安堵して眠る。


 腕の中に抱いて、微かな甘い香りと、その寝息を聞きながら眠る。


 そんな昼と夜を、繰り返す。




「カイザック様!」


 水を飲んでいた青年は、突然背後から名を呼ばれて、持っていた器を取り落しそうになった。


「奥方…」


「何か入用でしたら、声をかけてくだされば良いのに」


 少し怒ったような口調に、カイザックは母子そっくりだなと苦笑した。


「水ぐらい、自分で確保できますよ」


「皇帝陛下らしくない事、おっしゃらないで」


 そう言ってさっさと台所に入ってくると、籠に入っていた果物を手際よく剥き始めた。一応マリーノでは名家の奥方―――のはずなのだが、その手際は見事である。その手さばきに見惚れていると、マリアは小さく苦笑して、わざとらしくため息をついてみせた。


「カイザック様、私どもの娘を好いてくださるのは、大変ありがたい事なんですけど」


 そう前置きをする。


 夕食をボイコットした事でも怒られるかと思って身構えたカイザックに、マリアは少し強い視線を向ける。


「お気を付けにならないと。身重になんてなったら、ロイヤまでの三週間を馬車で移動なんで出来ませんからね」


 予想外な警告に、カイザックはポカンとマリアを見下ろしてしまった。


 そんな皇帝陛下を臆する事もなく見上げて、マリアのお説教にも近い言葉は続く。


「大丈夫、大丈夫と言っても、全然違うんですからね。揺れ続けて、流れるような事があったら、女は自分を責めるんです。あの子にそんな悲しみを味あわせるなら、貴方にあの子はあげられません!」


 マリアは二度の流産を経験した。同じ悲しみを娘には味わってほしくないと言う想いから、その鼻息はやや粗い。


 皇帝に向かって、「あげられません」と堂々と言える人間がどれほどいるだろうかと、カイザックは頭を掻いた。知らず頬が緩んで、笑いそうになるのを必死に堪える。


「…充分、気を付けます」


 なんとか笑わずに言う事が出来た。マリアはよろしいとでも言わんばかりの満足げな笑みを浮かべる。


「…叔母上、その話は叔父上の耳には入れないでくださいね…」


 台所の話し声に気付いたのか、ケイトが台所入り口でげんなりと声をかけてきた。


「あら、ケイトまで。どうしたの?」


「寝る前に寝付けでも頂こうかと思ったんですよ。そしたら、叔母上がそんな話を皇帝陛下にしているから…」


 チラリと機嫌を伺うような視線をケイトはカイザックに向けた。こちらは仕事上の付き合いもあるためか、マリアほど打ち解けてはいない。それでも、カイザックがこのやり取りを不愉快に思うような人物ではない事は理解してくれている。


「あら、どうして?」


 本当に分からないようで、マリアは首を傾げた。その様子にがっくりとケイトが肩を落とす。


「叔父上だって父親なんですよ。年頃の娘の父親の心理としては、そう言う事は聞きたくないモノなんです」


「あら、そうなの?」


 不思議そうに瞬く。聡いのか抜けているのか、どちらが彼女なのか理解に苦しむのだが、この自由さが、奔放だった母にどこか似ていて、カイザックは懐かしくなった。


「だいたい、皇帝陛下に言うような事じゃないです」


「そんな事言っても、私の義息子になるんだから…」


「一般人と、皇帝を同等に考えないでくださいね、叔母上」


「言える皇帝陛下と言えない皇帝陛下なら、カイザック様は言える皇帝陛下の方よ」


「…叔母上…」


 絶望的な顔をしたケイトの呟く様な呼びかけに、カイザックは堪らず笑った。


「いやいや、奥方はさすがレアの母親殿だ。良く分かってるよ」


 そうでしょう?とマリアは笑った。


「ケイトもオレを弟と呼んでくれても良いぐらいなのに」


「…滅相もありません」


 ケイトが冷や汗を流す。それを聞いて、カイザックは残念とばかりに肩をすくめてみせた。


「父王が後継者を指名してれば、オレが皇帝になる事はなかったんだ。ココは、あの頃に戻ったみたいで、居心地がいい」


 そう言って小さく笑う青年の顔を、マリアは見ていた。そこに浮かぶのは、決して戻らない者を愛でるような惜しむ様な、淋しさを含んでいた。


(本当に、そうだろうか?)


 本来ならば皇帝ではなかったと言う、一つ年上の青年の横顔が、昼間見せる『皇帝』の顔からかけ離れて見える。でもそれは、一面でしかなく、どちらも『彼』なのだ。


 あの圧倒的な存在感を、先帝は見抜けずに放置しただろうか?


「貴方が皇帝陛下でなかったら、きっと今頃、レアは神さまの元に戻っていたわね」


 マリアの言葉に、カイザックはハッと表を上げた。


「そんなのは、嫌だわ」


 そう言って、マリアはにっこりと微笑む。


「私達にとって、貴方は神さまみたいね。…貴方が失った者は還っては来れないけれど、決して独りではないわ」


 本当に、良く分かっている。


 そう思うと、カイザックは笑った。


 全ては神が導きし運命か―――答えは否だ。神は望むだけ。


全ては布石だったと言われて、失われた多くの命をそれで納得は出来ない。それでも、全ての布石の先がここならば、それはそれで悪くないと思った。


「そうですね」


 優しく笑う穏やかな顔を、マリアもケイトも見入る。


 本当に、運命のいたずらでしかなかったのかもしれないと、思わせるほどの屈託ない笑み。それを見つめて、マリアは彼にあてがわれた運命の重さにいたたまれなくなった。


「そうよ」


 それでも内心を悟らせない笑みで、マリアは微笑む。


 その手に果物とビスケットと飲み物を乗せたお盆を押し付ける。


「あの痩せっぽっちさんに食べさせてちょうだいね」


 ケイトが背後で、皇帝陛下に何させてんですかと悲鳴を上げていた。




 額を大きな手で撫でられ、レアは目を覚ました。


「マリアがちゃんと食べさせろってさ」


 楽しげに笑う声と、背中に直接触れる大きな手の感触に急激にレアの体温が上がる。


「お母様が?」


「言っただろ? お前の母親は分かってるって」


 毛布を引き寄せるレアに水の入った器を示し、ベッドの上に盆を置く。差し出された器を受け取って、レアは上目使いにカイザックを見た。


「カイザックは、お母様と話してると楽しそうね」


「なんだ、ヤキモチか?」


「そ、そんなんじゃないよ!」


 耳慣れない言葉にドキマギしながら、レアはなんとか答えた。


「お父様とも楽しそう。お兄様とも。…お兄様は困惑してるけど」


「純粋に好意を持ってくれている人との会話は、楽しいからな」


 何気なく発せられる言葉の重みに、レアは思わず苦笑した。きっと、今まで長い間、真意の読めない人の中に居たんだと思うと、彼が毎晩ヴァルハイト邸に来る理由も理解出来た。


「何?」


「いえ、きっとロイヤは色々大変なんだろうなぁって思って」


「なんで、敬語?」


 眉を寄せるカイザックに、レアはおかしくなって笑った。


 色んな事に頭を悩ませるだろうけれど、大丈夫と笑う。


「覚悟しておいてくれよ」


 月明かりの下で、ふわりふわりと優しい光を纏って笑う少女へ、カイザックは小さく笑って言う。正直に言えば、このままずっとここに居たい。帰りたくない。国など放置して、どこか知らない場所に行ってしまってもいい。


 それでも、帰らねば。


「大丈夫。何が来ても、わたし達は無敵だよ」


 レアがクスリと小さく笑う。


「だって、神さまがそう、わたし達を創ったのだから」


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