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魔女と王様  作者: 新条れいら
マリーノ
43/117

43.問う(2)

 突然の言葉に、レアは何を言われているのか理解するのに時間がかかった。


「ロイヤに…行かなくて…いい?」


 ようやく言われた言葉を反復する。


 カイザックは頬から手を離し、レアの座っていたソファの端に腰を下ろした。


「オレは、お前が役に立つと思ったからロイヤに欲しいと思った。お前が見抜いた通り、この遠征には別の目的があって、正直マリーノの手前で遠征を終えても良かったんだ」


 やめなかったのは、『魔女』に興味を持ったからに過ぎない。その存在を知った時から、抹殺するか取り込むかの二択しかなかった。


「お前が逃げられないように、国と引き換えにした」


 何より国と人々を守るために命を賭けるレアが、逃げられない方法を取った。気持ちが変化して、腕に抱いていたいと願うようになってからも手段は変わらなかった。


 なのに、ここに来て、カイザックは躊躇した。


「…もし、お前に想い人がいるなら、今なら上手く取り計らってやれる」


 義兄を慕っていたのだとしたら、ヴァルハイト家の血筋を確固たるものにする意味でも正当性が取れる。無理矢理結ばされたパルマとの婚約を解消してやる事も、今なら出来る。


「だから…」


「嫌です」


 同じソファに座っているのにこっちを見ない男に、レアはハッキリと言った。


 驚いて顔を上げるカイザックの前に立って、その碧眼をまっすぐに見下ろした。


「わたしはカイザックが、す…っ良いんです。ずっと、…ずっと、逢いたかったって、言ったじゃないですか」


 今まで一度も躊躇しなかった男の、そこにある不安を理解した。


 どう言えば伝わるのだろうかと焦り、ただ感情のままに出た言葉を絞り出す。


(もう、離れて独りで生きてはいけないよ…)


 暖かい両親、優しい義兄、労わってくれる人々―――そんな中に在っても、どうしても拭えなかった、独り闇に立つ感覚。


 遥か遠い彼方に腕を伸ばし続け、叫び続けた遠い魂の輪廻。


 俯いた頬から、滴が落ちていく様を、カイザックは苦しげに見つめた。泣かせたかったわけじゃない。レアの自分に向けられる好意を、疑ったわけでもない。


「ロイヤは…あの王宮は未だ荒廃している」


 陰謀渦巻くあの場所に、何より守りたいと願う者を連れて行くことへの躊躇。穢れや痛みなど、もう二度と味あわせたくない。


「行けば、お前はまた傷付くかもしれない」


 母は、姉は、自分の目の前で殺された。妹を背負い、戦火の中を逃げた。


「…また、守れないかもしれない」


 カイザックの絞り出すような言葉に、レアは表を上げた。乱暴に自らの涙を拭い、その黒髪に触れ、小さな身体で精一杯抱き寄せる。


「わたしを独りぼっちにしないで」


 また失ってしまうかもしれない不安は、彼の中にずっとあった。それを振り払うように、たった一人で毅然と立っているのを、知っている。


「貴方を独りぼっちにはしないから」


 その背中に寄り添うから。絶対に独りにはしないから。


「わたし、ロイヤに行くよ」




 太陽は強いからこそ、夜がなければ長くはもたない。


 常に輝き続けることは出来ないから、夜を必要とし、寄り添う月を半身とする。


 生を司りながら、死を愛しむ神がそうであるように、二神を持って一神となす。




 何も心配することはないよ、と少女が笑う。


「お守りがあるからね」


 その言葉に男は小さく笑った。その細い腰に腕を回して抱き寄せる。


「…とんでもないお守りもあったもんじゃない」


「とんでもない?」


 なんでもない、とカイザックは笑った。レアの微かに甘い匂いに頬を寄せる。


「覚悟も決まった事だし、遠慮なく食うか」


「そうだね、もう夕餉の時間―――」


 レアが実質的な夕食の話ではないと理解するよりも早く、カイザックはレアの軍服のボタンをはずし始めた。


 マリーノに着けば―――レアが帰宅すれば、軍服じゃない姿も見られるのかと思っていたが、カイザックのアテは見事に外れた。年頃の少女だと言う事を疑いたくなるほど、ずっと軍服なのだ。昼間に母親から女性物の衣類の着こなしを学んではいるようだが、それも自分が来る頃には苦しいからと言って脱ぎ捨てている始末。


 唯一、スカートと言える形の物を纏っているのが、寝着なのだから、呆れて物も言えない。それなら、まだ自分のシャツを着てた時の方が、楽しいではないか。


「まぁ、コルセット巻いて、着飾れとは言わない。コレはこれで脱がせやすいし」


「カイザックっ! やめてっやめて! まだ、ご飯食べてないっ」


 慌てて真っ赤になって抵抗するレアの意味不明な言い訳に、おかしくて笑った。マリアはレアの女子力の低さを心配していたが、これはこれで楽しいと思っている。きっと自分は、レアがレアなら何でも良いんだろう。


「だ…誰か来たら…」


「大丈夫」


 半べそかいてるレアの目じりに口づけをしながら、カイザックはにっこりと笑った。


「お前の母親は良く分かってる」


「ふぇぇえっ…」


 情けない声を上げて、レアは必死に大きな手の侵入を阻止しようとしていた。


「初めては緊張するけど、二度目は大丈夫だろう?」


「大丈夫なんて、言ってないよ!」


 睨み付けるような強い色で、レアはカイザックを見上げた。脱がせにくいのなら、窮屈なドレスでも着ていようかとすら思ってしまう。


「カイザック、意地悪だよ」


 涙目で睨まれて、カイザックは一瞬動きを止めて、驚いて目を見開いた。何度か目を瞬かせ、そうして、レアの火照った頬にかかる髪を、ゆっくりと耳にかける。


「女性を抱くのは、仕事の一環みたいだったんだ。世継ぎが作れるか慣習で試されたし、嫌悪はしないが、好んで触れたいとは思わなかった」


 節操のない父王に振り回された女性たちを何人も見てきたせいなのかもしれない。奔放な母に振り回され、姉と妹に挟まれて、女性に憧れが持てなかったのも原因かもしれない。


 でも、心底に、『何か違う』と言う感覚が常にあった。


「レアには触れたいと思う。…だから、諦めろ」


「えぇ~っ!」


 止まっていた手が再び動き出して、レアはジタバタと暴れた。なんとか這いつくばって胸を死守したその首筋に唇が触れて、レアは硬直した。


「怖い? 嫌なら―――」


「っ変なの!」


 震える自分の手を、必死に力を込めて握る。心臓が体の外にあるんじゃないかと思えるほど、拍動は強く早く、手は震えて力が入らない。


「こ…怖いんじゃないの。だけど、…触れられたら、ドキドキして、ふわふわして、ぐるぐる回って、…おかしいの」


 自分が自分ではなくなっていくみたいで、不安なのに、触れられなかったら、もっと不安になる。


 何をどうしたいのかも、分からなくなる。


「レア」


 小刻みに震える小さな拳にそっと触れて、カイザックは名を呼んだ。


 酷く困惑して震える身体を引き寄せて、頬を抱き、口付けを繰り返す。箱入り娘以上に、社交界に出ていない分、男女の駆け引きも、男慣れもしていない。


「いいよ、おかしくなっても」


 何度も繰り返した先で、カイザックは小さく笑って言った。強張っていた身体から力が抜け、溶けた様な瑠璃色を愛でる。


「レアはレアだから、おかしくても良いよ」


 その不安にも触れそうなほど深くキスをして、カイザックは指を動かした。


「やめてはやれないけど、…苛めるつもりはないよ」


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