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魔女と王様  作者: 新条れいら
マリーノ
40/117

40.準備

 潮の匂いを含んだ霧の中を進んだ先に、見知った気配を感じて足を止める。


「良く分かったな」


 笑い含みに言うと、相手は肩をすくめた。


「あんたの部下が、あんたの行動を分かってたってだけだ」


 誰の事を言っているのか理解して、カイザックは薄く笑った。皇帝の座に就いてからは、気ままに出歩く事もほとんどなかったが、即位までの間はけっこう自由に動いていた。


「怒っているな」


「口にしないが、怒ってるな」


 相手の返答には呆れた色が映っている。まさかこんな奴だったとは、とでも言いたげだ。


 怒っているならこれ以上怒らせる訳にもいかないかと、カイザックは足を進めた。その後をフード男が付いてくる。


「…シィは、元気だったか?」


 その口ぶりに昨日何があったかを知っているのかと、カイザックは思った。


「元気だった。今朝の顔色も良かったぞ。もう大丈夫だと太鼓判付きだ」


 ひとまずは安心させるために言葉にする。


「誰の太鼓判だ? ホルスは昨日、事後処理に追われていたぞ」


 怪訝そうにそう問われ、カイザックはふっと首を傾げた。


「…誰だったかな?」


 もう大丈夫だと、誰かが微笑んだ微かな記憶だけが、脳裏をかすめる。ただそれだけなのに、それは絶対的な確信としてカイザックの中にあった。


「まぁ、大丈夫なんだよ。今日は一日寝とけって言っておいたが…。昨日、何があった?」


 レアの体調を気にすると言う事は、何があったか知っていると言う事だろう。視線だけ向けてカイザックはフード男に聞く。


「あんたがそう聞くって事は、レアは帰任すると必ず、倒れてたって事だろう?」


 応えない男が喉を詰まらせた。そして降参するように盛大にため息を吐く。


「体調を崩していたと気付いたのは、ザッカ前線でシィが倒れたからだ。それまでは休暇でもとってると思ってた」


 雇われていたとは言え、主の異変に気付いていなかった事にカイザックは眉を寄せた。が、すぐにそれと気付かせなかったであろうレアの行動が想像できて、ため息を吐いた。


「レアは、軍を解散させた後、戦死者の家族に会いに行くんだ。今回は100人近くが死んだ。一人ずつ訪ねるのは無理だから、集まってもらっていた」


 それを聞いた瞬間、カイザックは理解した。


 自分の指揮の元で死んだ者を全部背中に背負っていそうな少女が、その家族に会って最期を伝えるのは、容易い事ではない。応える者のない糸を手繰り寄せる事が、いかにレアの心身を蝕むのか、今なら良く分かる。


「…性分だからな、やめろとは言えないな」


 諦めにも似た感情で、カイザックは独白した。


 もう、これ以上、戦場に立たせるつもりはなかった。


「では、我々は我々の戦いと行こうか」


 未だこの国に捕らわれの姫君を解放するために、思い存分どう喝と恐喝の限りを尽くさせてもらおう。

 悪い顔でもしてそうな背中に、ティンはやれやれとため息をついた。




「では、貿易についてはロイヤの―――」


 背中であくびを噛み殺す気配がして、皇帝は椅子に体を傾けた。


「我慢しろよ、こっちにも移るだろう」


「陛下、何か?」


 思いの外、声が通ってしまったらしく、説明に立っていたハッカが言葉を止めた。内容までは聞こえていなかったのか、何事かと言った視線が一斉に注がれる。


「退屈だ」


 諦めて、堂々と言ってやる。ジルドが額を押えるのを横目で見ながら、ため息をついた。


「オレがいなくても良いだろう? 最初の打ち合わせ通りにやってくれたらいい」


 背後で笑う気配がする。


「ミヤが来るまで三週間はかかるんだ。ゆっくり、やってくれたら良い」


 言って、席を立った。


「陛下、どちらへ?」


 さすがにジルドが呼び止めた。


「しばらく体を動かしてないから、動かしてくる」


 後ろに控えていた護衛の一人が無言で付き従ってきたことを確認して、カイザックはさっさとこの場を後にして、廊下へ出た。


 その背中を追いかけてくる者がいる。


 白髪の目立ち始めた髪と髭の初老のパルマ宰相だった。宰相は大仰おおぎょうなほど恭しく頭を下げると、冷めた目で自分を見つめるロイヤ皇帝を伺った。


「何の話だ? 皆には聞かれては不味い話でも?」


「滅相もありません」


 老齢した食えない笑みとはこういう感じなのだろうなと、カイザックは内心で思った。面従腹背の臣と同じ匂いがして、少々うんざりとする。


 視線だけで先を促すと、再び初老は頭を下げた。


「皇帝陛下に置かれましては、長き遠征にお疲れのご様子。我が邸にて宴をご用意いたしたく…」


 恐らく自分の息のかかった娘を用意しているような宴なんだろうなと理解し、瞬時に必要ないと応えようとした。が、一瞬浮かんだ別の案に、皇帝は内心でニヤリと笑む。


「気遣い上手だな。確かにここ一年、娯楽がなかった」


 さも乗り気のように、顎を撫でながら皇帝は応える。


「皇帝陛下に気に入っていただけるものを用意いたします。つきましては―――」


 来たな、と思ったが、カイザックは表に出さず、続きを待った。


「我がパルマ家へのご配慮いただけますことを…」


 つまり、内政干渉時でも自己の地位と権力の維持を求めているのだ。


(意地汚いと言うか、…なんというか)


 いっそ、ロイヤでそれなりの地位の家臣にしてくれぐらい言って欲しいものだ。―――言われても困るが。


「貴殿が有能であるなら、何も心配するに及ばないではないか、宰相殿」


 気にした様子も見せず、当たり前のようにさらりと言ってのける。初老の顔に一瞬苦々しいしわが刻まれるが、すぐに消し去ったようだった。


 だが、カイザックは取り繕う暇を与える気はない。


「そうだ、貴殿の次男殿と決闘もせねばいかんな」


 いかにも今思い出した様な口ぶりで、皇帝は軽い調子で口にする。一瞬身を強張らせた宰相ではあるが、次には笑顔を張り付けている。その頬が微かに引きつっている。


「大国の皇帝ともあろうお方が、田舎娘一人の為に決闘などと。そんなものなどなくとも…」


「余興は大掛かりな方が、マリーノの民も楽しめるだろう。どうだ、各自の陣営から腕の良い者を出して競わせるというのは」


 宰相の言葉などないもののように、皇帝は妙案だと言いたげに何度も頷いた。


「貴殿は軍事を主とする総家と聞いている。次男殿もさぞ腕が立つのだろう。オレも鈍った体を元に戻しておかねばな」


 勝手にどんどん話を決めていく青年に、宰相はどう口を挟めばいいのか躊躇している間に、全て決まってしまっていた。


「では、催しの後、宴も頼む」


 全て丸投げして、皇帝はさっさとその場を後にした。




 廊下を進んでいると、背後から遠慮のないため息が聞こえた。


「なんだ?」


 物言いたげな気配に、多少すっきりしたような声音でカイザックは問う。


「デッドが言ってた意味が分かっただけだ」


 さすがの狸宰相も皇帝相手では分が悪かったようだった。


 目の前に居ながら、勝手に話が決まっていく様子は、傍から見ていれば笑えるのだが、我が身に降りかかる場合は、遠慮したい。


「これで舞台は整ったんだ。後は頼んだぞ」


 肩越しに向けられた碧眼に、大男もまた、フードの下で笑みだけで応えた。


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