4.魔女の決断
「第一班、戻ってきました」
陽が暮れて小一時間経った頃、報告が来た。
「状況は?」
包帯を手際良く巻きながら、応える。
「火矢を打ち込んで、野営のテントを三つ。それ以上は何も」
「負傷者はいる?」
一瞬の間がある。
「ティン殿が…」
「矢がかすっただけで、大げさに報告すんな」
バサッとテントが開いて、長身の大男が入ってきた。外は冷えるはずなのに、逆立った赤髪が炎の様で、熱気すら放っていそうな気がする。
「弾いた矢が腕、かすっただけだ」
足音も荒く割り込んでくると、どっかりと自分の横に腰を下ろした。太い二の腕に、すでにかさぶたになっている傷があった。
軽く息を吐く。
その様子を目聡く見留め、ティンは大きくため息を吐きだした。彼が動く度に、防具や武器が音を立てる。
「三時間ほど休んだら、もう一波行ってくる」
ピクリと指が跳ねた。
「行かなくて良いよ」
自分の声が響く。隣に座ったティンがこちらへ視線を向ける気配を感じる。
「三か月、良く耐えた。これ以上は必要ないよ」
「お前…」
包帯を巻き終わり、手元からティンへ視線を移す。
「物資の補給もままならない。負傷者はうなぎ登りに増えていくし、これ以上の抵抗は助かる命を捨てることになる」
報告に来ていた副官の息を飲む音が聞こえた。
「残念だけど、陛下は祭事に対して、有能ではなかったという事よ」
お父様の青い顔が浮かんだ。義兄様だって、きっと駆けずり回ってくれていたに違いないのに。
「この後に及んで、わたしが奇跡を起こすと信じて何もしない人に期待して、命を捨てることない」
「自国の王様に対する評価がひどいな」
ハッキリと言い切った言葉に、ティンが呆れたような憐れんだような言葉を落とした。ここにきて、もはや副官のセイルもその発言を注意はしなかった。
それほど、疲労は蓄積していた。
「国同士の祭事には、わたしは口出しできないけど、出来ることはあるはずだから、抗ってみるよ」
不安げな副官へ、にっこりと笑って見せた。
その笑顔に、安心するどころか、一瞬で顔色が変わる。
「シィー、それは…!」
大国ロイヤの現皇帝ガイディウスは、血みどろの王位争いの末にその位に就いた。目障りと感じたならば、例え忠臣であろうと一族ごと薙ぎ払い、荒れ果てた帝国を更地にしたと聞く。
絶対的な恐怖の上に君臨する皇帝―――それが、ガイディウス・カイザー・サクア。
そんな相手に牙を剥いたのだ。
その前に立てば、どうなるかなど、誰でも分かる。
「大丈夫だよ」
真っ青な副官へ、苦虫を噛み潰した様な顔のティンへ、レアは屈託ない笑みを見せた。
何を根拠にそんなことが言えるのかと、その場にいた誰もが思った。
しかし、それでも彼女は笑顔を絶やさない。
「彼の部下を見てたら、皇帝陛下がどんな人か分かるよ」
にっこりと笑って、振り返る。
さっきまで包帯を巻いていた負傷者の男は、レアを睨み付けていた。薄暗いテントの中にあって、眼光鋭く、視線だけで射殺さんばかりだ。が、そんなものなど露程も感じていないのか、レアは笑う。
「こんなに忠誠心の強い部下がいるって事は、問答無用で切り捨てられないと思うな」
「…貴様の悪趣味な策に、陛下がお怒りでなければな」
獣のように低く唸るような声だった。
「仕方がないよ」
一兵卒なら縮こまっていそうな気迫にも、レアは苦笑して見せた。
「5万の大軍を前に、150人でどう正面から戦うのさ」
「…」
相手は言葉を発しなかった。ただ、睨み付ける眼光をそらす。
「とりあえず、陽が昇ったら、使者を出すよ」
よいしょっと掛け声をかけて立ち上がり、膝の埃を払う。
「どうなるかは分からないけど、後の事は任せるよ」
言い残して、軽い足取りでテントから出ていく。
残された者の重い吐息だけが、辺りに響いた。
テントを出ると、冷たい風が頬をかすめた。
一年を通して大して気候は変わらないが、その代わり夜は冷える。
空を見上げれば、月が美しく輝いていた。
手を伸ばす。
自分の細い指の先から、光の粒子がこぼれて、地面に影を作る。
「…無力だな」
弱っていく身体を知りながら、こんな所まで来てしまった。
「弓の一つでも引ければ、守られてばかりでもなかったのかな…」
150いた兵は、今や50に減った。その大半が負傷していて、今動けるのは両手で足りてしまう。
食事係りや医療班は別に30あてがわれたが、膨れ上がった負傷者の治療に、満足に休みすら与えてやれない。
にもかかわらず、物資はどんどん枯渇していった。自国に物資を要求はしているが、思い通りに届かない。
「本当に、切り捨てるつもりなのかなぁ…」
去り際に無礼な言動をしまったための、嫌がらせなのだろうかと疑いたくなる。
月から手を下して、レアはため息をついた。
考えても分からない事を考えても、仕方がないと諦めた。
今は、別の事に意識を向けるべきなのだ。