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魔女と王様  作者: 新条れいら
マリーノ
38/117

38.訪問(2)

「何話してるの?」


 驚いたような音を含んで、レアの声が届いた。


 振り返った先に、小柄な軍服姿の少女が、こちらに気付いて近づいてくるところだった。話し込んでいたつもりはないが、ずい分と夜も更けっており、来客の為に灯されたホール以外は明かりはまばらだった。


 その姿を見つけるや否や、青年は席を立った。


「カイザックも、こんな所に一人で来てるの? ジルドに怒られるよ」


 独りでウロウロしている彼を見るのには慣れているレアも、さすがに敵の王都で動き回っているカイザックに驚いた。呆れた様なレアを見下ろして、青年は眉を寄せる。


「お前、何をして来たんだ?」


「何って…」


 首が痛くなるほど顔を上げて、レアはカイザックを見上げる。その両頬を大きな両手で挟まれ、視線をまっすぐに落とされて、レアはハッと気付いて逃げようと身をよじった。


「やだやだ、ザック! 覗かないで! どうして、そんなに怒ってるの!」


「お前、顔色真っ青なんだぞ」


「えっ!?」


 頬に触れるカイザックの腕をどけようともがいていたレアは、びっくりして動きを止めた。


「無茶するなって言っただろ」


 頬から手が離れたと思ったら、体が宙を浮いた。慌ててしがみ付いたレアの頬に、カイザックは軽く唇を触れさせる。恥ずかしさとくすぐったさに身を固くしたレアの心拍は跳ね上がった。


「あら…あらあらあら…まぁ」


 花が咲いたような明るい声に、レアは弾かれたように顔を上げた。


「お母様!」


「レアったら、ずい分女の子らしくなって」


 女は鋭いなぁとカイザックは小さく肩をすくめた。


「カイザック…様、降ろしてください。お母様に挨拶させて」


「なんだ、そのさまって」


 レアの言う事も一理あると、カイザックはゆっくりとその身体を降ろした。地面に足をつけたが、レアはよろめいた。


「ほら見ろ」


 腕を掴んで支えられ、レアはカイザックを見上げて、罰が悪そうな笑みを浮かべた。その力ない様子に、眉間にしわが寄る。


「無事に帰ってきてくれて、うれしいわ。でも、今日はもう休みましょう」


 レアの異変に気付いた母親は、娘の短い髪を愛おしそうに撫でながら、提案した。自分の異変をカイザックを通して理解したレアも、困ったように笑んだ。


「お父様、お母様、お義兄様、ただいま」


 そして、本当に安堵したようにふわりと笑んだ。


「…おかえり、レア」


 その言葉を合図に、レアの身体は崩れた。


「っと!」


 崩れ落ちた身体を抱き止めて、カイザックは大きくため息を吐く。昼間に謁見の間で見かけた時は問題あるようには見えなかった。たった数時間で、一体何をしたらこんな事になるのだと、ため息に怒りが滲む。


「…本当に、レアの顔色が分かるんですね」


 複雑な声色に顔を上げる。義兄のケイトが、泣いているような怒っているような複雑な顔色でカイザックを見つめていた。


「逆に、誰も気付かないって言うのが、オレには分からん」


「エバンスと同じことをおっしゃる」


 痛みでも耐えるような顔で、ハンスが呟いた。


「この子の痛みは、同じ者にしか分からない。同じ世界に生きているはずなのに、まるで次元が違うみたい」


 カイザックの腕の中でぐったりと横たわるレアの髪を撫で、マリアは言った。その物言いに引っかかったカイザックが何かを口にするより先に、マリアは苦笑した。


「この子をお腹に宿す時、男の神さまが来たわ。そんなに子どもが欲しいなら、授ける。だけど、その子は高い確率でわたしよりも先に死んでしまう。それでも構わないかと」


 泣いているように、マリアは笑った。


 闇のように静かな神は、それでも子を望んだマリアを憐れむような色で見つめた。


「例え短命でも、幸せにしてみせるって、神さまに向かって大口叩いちゃった。そしたら、その神さま、それは出来ないって言ったのよ」


 幸せの定義など皆違う。けれど、その魂が本当に幸福を得ることが出来るのは、半身を見つけ出した時だけ。―――そう彼女(この魂)自身が望んだから。


「半身?」


「彼はそう言ってたわ。彼女レアが生きる時、全てを自由にしてやるように言われたの。だから、わたし達はレアがエバンスの後をついて軍部にいる事にも反対はしなかった」


 それがレアの意志だから。


 神から預かりし魂を持つ子ども。


 苦しむ我が子を見守るしか出来ぬ苦痛は、想像以上だったが、それでもマリアは笑顔を絶やさなかった。昔、神に宣言したように、幸せにすると願い、努力し続けた。


 一見してか弱そうに見えるマリアの、強い意志に気付き、カイザックは小さく笑った。


「母は強いな。オレの母も、ずい分奔放だったが、強い人だった」


 カイザックの囁く様な言葉に、マリアは満面の笑みを浮かべる。


「貴方のお母様に感謝申し上げるわ。貴方をこんなにも強く優しく導いてくださったのだから」


 マリアのまっすぐに見上げてくる瞳を見下ろしながら、あぁやっぱり母子なのだと、カイザックは思った。


 青年が自分を見下ろして、何を思って笑ったのかを理解して、マリアもまた嬉しそうに微笑む。


「貴方がレアの側に立った時、すぐに分かったわ」


 二人が側に立った時、欠けたすべてが満たされる感覚を、マリアは感じていた。それは、ずっと側でレアを見てきたハンスもケイトも同じだった。


「貴方が、この子がずっと探していた半身よ」


 その言葉にギョッとしてカイザックはマリアの表を凝視した。


「いや…オレかどうかは…」


「貴方よ」


 戸惑うカイザックに、マリアはレアと同じようににっこりと笑った。


「レアは、貴方に逢う前から、ずっと逢いたいって願っていたわ」


「…エバンスも、レアを逃がす場をロイヤの王都に決めていました」


 足りない言葉を、ハンスは付け加えた。


「ただ、ロイヤは後継者争いが激化していて、そこへレアを放り出すわけにはいかなかった。逢いたいと言っても、誰かも分からない。時期を伺っていたら、エバンスは…」


 そして、レアは軍部に留まる事を決断してしまった。


 腕の中のレアへ視線を落とす。ランプの明かりで、明暗の浮く顔は、今は眠っているように見えた。


「馬鹿な事をと、お思いでしょうね」


 苦笑気味にハンスは呟いた。その言葉に、カイザックは首を振る。


「いいや。…それが、あんた達の現実だったんだ」


 自分のどこかが、急速に『何か』を理解していく。現実ともう一つの次元を行き来するような、不安定な感覚。


 闇に広がる、光の帯の空を見上げる世界。


 その先に居る、大きな存在も―――。


「初めまして。小さき風の半身」


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