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魔女と王様  作者: 新条れいら
マリーノ
37/117

37.訪問(1)

 その訪問者はあまりにも突然だった。


 慌てた様に報告に来る使用人と、引き止めようとする使用人と、突然の来訪者である本人が同時にホールに入ってくる。


 帰宅したてで、妻に上着を預けようとしていたヴァルハイト卿は、被っていたフードを取った訪問者に、目を丸くした。


「…皇帝陛下…」


 夫の呟きに、隣の妻の手から上着が音を立てて床に落ちた。


「急な訪問で悪いな。…レアはいるか?」


 一日の残った雑務を片づけていたケイトは、慌てた様子で呼びに来た召使の言葉に持っていた書類を落とした。




「使いを出したら、気を使わせるから、突然来たんだが…悪かったな」


 目の前の青年は、本当に申し訳ないと思っているような、悪戯を成功させて喜んでいるような、そんな顔をしてハンスに謝った。


 昼間の立ち振る舞いが嘘のような、好青年の様子に、ハンスは自分のとるべき態度が一瞬分からなくなる。ちょうどそのタイミングで、ケイトが部屋から飛び出すようにホールに降りてきた。


「…皇帝陛下…お供の方は?」


「連れてたら大ごとだから、置いてきた」


 彼の家臣の苦悩が垣間見えた気がして、ハンスは困ったように笑う。フードの下に隠してある帯刀を見せた青年は、自身の身が守れるぐらいの自信を示した。


 ハンスは追い返すことは諦め、妻へ視線を送る。


「ワインを用意してくれるかい?」


「あぁ、水でいい。一応、敵陣真っただ中だから」


 青年の意味深な笑みに、ハンスは今度こそ苦笑した。こちらに気を使わせないための、その気持ちに素直に感謝をし、妻へ水の手配を頼む。


「レアをお待ちだそうですが、あいにく、まだ戻っていません。よろしければ、あちらへ」


 そう言いながら、ハンスはホールの端に設置してある一組のテーブルを指した。青年は自分の意図を理解してもらえたことを素直に喜んだ。


「ご夕食は?」


「適当につまんできたよ。影武者が今頃、部屋で豪華な夕餉を楽しんでる」


 置いてきた酒好きの影武者を思って、青年は面白そうに笑った。


 いつまでも立っているハンスに座るように進めた。いくら気さくな様子であろうと、一応敵対国皇帝相手に躊躇していたハンスは、覚悟したように息を吐いた。


「…では、遠慮なく」


「あんたもレアの兄なんだろ。だったら、座ってくれ」


 ケイトへ視線を向け、促す。水と軽食とを使用人と運んできたレアの母の同席も許可してもらえるかと視線を向けると、青年は頷いた。


 彼がヴァルハイト邸に足を運んだのは、レアに用があるだけではない事は、察しがついていた。


「あの場では話す時間もなかったからな」


 言って、青年は背筋を伸ばす。


「マリーノ城下への開門と謁見の手引き、感謝する。お陰でここまでスムーズにいった」


 昼間とは違い、青年の顔には微かな緊張があった。その意外な表情に、ハンスは彼から届いた一通目の手紙を思い出した。誠実さが滲んで見える。


「我々に選択の余地はありませんでした」


 青年の感謝に、ハンスは違うのだと首を振った。協力をすることは、最終手段だった。国を、人々を蹂躙されない為に出来る最後の手段だった。


 ロイヤの進軍を知りながら、楽観視する王を諭すことの出来なかった自らの無力を痛感する。


「…」


 出兵が決まるまで、レアもヴァルハイト卿も、ロイヤへの対応を必死に訴えた。しかし、それは王の心に響く事もなく、国の命運は風前の灯だった。


「あの子も、我々も、一番恐れたのは、国がなくなる事よりも人々が蹂躙されることです。国はいつか復刻することが出来ますが、奪われた命は戻りはしない」


 青年は黙ってハンスの言葉を聞いていた。


「…あの子は、…もう戻ってこないと思っていました」


 妻が隣で肩を震わせて、嗚咽を堪えていた。出兵の決まった時、ヴァルハイト一族はレアを逃がすことを考えた。それで一族が断罪されてもかまわないと思った。


 でも、それを彼女は望まなかった。


「それにね、わたし逢ってみたいんだ」


 涙を流す母に向かって、娘はにっこりと笑って言ったのだ。


「貴方に逢ってみたいと言って、出ていきましたよ。まさか本当に、…連れて帰ってくるとは思っていませんでしたが」


 ハンスの言葉に、青年は目を丸くし、そして苦笑した。それに吊られたように、ハンスも妻もケイトも小さく笑む。


 小さな笑みが場を包んだ。


 らしいと安堵するような、悲しみを押し隠して送り出した切なさを含んだ空気だった。


「レアを、ロイヤへ連れて行きます」


 青年の固い声音に、笑みは掻き消えた。緊迫した空気に、青年は自らの緊張をほぐすかのように息を吐く。


「正妃にはしてやれないが、側室に」


 それを聞いた面々は、一様に目を丸くして青年を凝視する。


「まぁまぁまぁ、どうしましょう、ハンス。わたし、あの子に女の子としての恋愛語録を少しも教えてないわ」


 最初に口を開いたのは、目を赤く腫らした奥方だった。


 だからレアは、こと恋愛についての感覚や言葉が欠如しているのだと、妙に納得してしまう。


「落ち着きなさい、マリア。大体、あの子は周りに男が多すぎて、そういう事情に疎いんだよ。逢ってみたいなんて、あんな顔して出てって、…連れて帰ってきて、それの意味を本人は少しも分かってないよ」


 落ち着けと言う夫の方が、どこか落ち着きがない。


「叔父上、叔母上、一番の問題は、そこではありませんよ。レアが側室の意味、分かっている訳ないでしょう」


 義兄に至っては、酷い言い様だった。


 あまりの場の混乱具合に、カイザックは堪らず噴き出した。何だかんだと言っても、あの娘にこの親たちだ。


 声を出して笑う青年を、三人はきょとんと見ていた。あまり笑うと失礼だと、カイザックは必死に笑いをしまい込むが、頬が緩む。


「いや…まぁ、失礼。レアの家族だと思って…」


 必死に笑いを納めながら、なんとかそれだけを言う。


 娘が正妻ではなく、愛人として連れて行かれると言うのに、心配する部分がかなりズレている。マリーノの自治権と引き換えにと言う名目はつけてあるが、本当のところ、そんなものは口実でしかない。


 もし、レアの家族が反対するのだとしても、「国の為」という強制力を持って、無理矢理にでも認めさせるためでしかなかった。多少の罪悪感はあったが、元々そんな心配は不要だったのかもしれない。


「大変僭越だが…、父として、…願っても良いだろうか」


 ハンスの神妙な声音に、カイザックもまた笑いを納めた。レアと同じ瑠璃色の双眸が、まっすぐに自分を見つめている。


「守ってくれとも、幸せにしてくれとも言わない。あの子は自分で幸せになる子だ。…ただ」


 ただ、もう、戦場にだけは立たせないでほしい。


 それは魂から絞り出すような願いだった。どれほど必死に家族が止めようと、守るために先陣切る娘を、もうこれ以上傷つけたくないと、彼は頭を下げた。


 家族のこの想いを知りながら、それでも出る事を決めたレアの意志の強さもまた理解する。


 カイザックは、小さく苦笑した。


「王宮の奥深くに閉じ込めておきたいけど、たぶん無理でしょうね」


 その呟きに、ハンスは表を上げ、そして再び深々と頭を下げた。


 もしも、ロイヤの皇帝がレアを戦力として欲しているのなら、絶望するしかなかった。エバンスがいなくなってから、レアの異変は加速し、家族の誰もがこの出兵が本当の意味での最後なのだと分かっていた。


「悪意から遠ざけて、ポケットにでも入れておきたいが、果たして大人しく入っていてくれるかどうか」


 カイザックの言葉に、全員が再び苦笑した。


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