29.レアの理由(1)
倒れてから二度目の朝には、レアはすっかり元気を取り戻していた。
目が覚めた時の絶不調はどこへやら、夕餉から帰って来た皇帝に起こされて、軽めの夕食を腹に収めてからは、体を拭いたり、現状を把握しようと皇帝にせっついたりと忙しない。
「本当に、忙しないな」
ソファにもたれかかって、男は本当に呆れたように言った。
「だって、時間があるなら、やっとかなきゃいけない事、あるでしょう」
「病み上がりなんだから、寝てればいいだろう」
脱いだ服を畳む魔女の手際の良さを眺めていると、軍医の苦笑が聞こえてくる。使った湯の処理を見張りに頼んだホルスが戻ってきていた。
「目が覚めたが、熱があると聞いていたが、…元気そうで何より」
「医者がそんな事言ってて良いのかよ」
呆れ果てて、男は盛大にため息をついた。
夕餉前に目を覚ました魔女は、しかし真っ青な顔色で目を回していた。なのに、自分が食事を済ませて戻ってくると、顔色が良く、気持ち良さそうに寝息をたてていた。
この急激な変化に、男は心当たりがあった。
魔女の中に、彼女ではない者が居たのだと、何の疑いもなく考えていた。恐らくソレが魔女の身体に何らかの作用を起こしていったのだ。
「明日の朝は来んでも、問題なさそうじゃな。そろそろ、老体にも酷なんで、朝はゆっくり寝かせてもらうぞ」
そう言うと、ホルスはさっさとテントを後にしてしまった。
医者がこの調子なのだから、恐らく問題はないのだろうと理解はする。マリーノの重傷者も、化膿止めが良く効いたのか、重症化することなく無事に回復に向かっており、荷台に乗せての少しずつの移動も可能なまでに、状況は改善していた。
軍医が惰眠を貪りたいと思うのも、当然と言えば当然だった。
「ねぇ、王様」
書きにくそうにしながらも、一心に膝の上で何かを書いていた魔女が、唐突に表を上げて男を見た。こっそりと顔色を伺おうと盗み見ていた男と正面から視線が合う。
「ロイヤの…なぁに?」
じぃっと見られて、レアは急に気恥ずかしくなった。自分が捕虜らしくない事も、礼節を欠いていることも、今になって自覚し、慌て、どうするんだっけ?などと考え始めた。
この王様相手だと、どうしても気が緩む。緩んでいいはずないのに、知らない間に緩んで、うっかり家でくつろいでるみたいな感覚になる。
「お前、さっきから何を書いているんだ?」
レアが紅くなって慌てているのを知りながら、男はその瑠璃色の瞳を睨み付けるように見つめた。酷く嫌な予感がしたのだ。
「…手紙だよ…じゃない。です」
それを聞いて、自分の予感の半分が当たっていることに気付いた。無言で、ソファの自分の隣のスペースを指示し、座らせる。何かを察したのか、魔女は書き上げていた物を男とは反対側に置いた。
(鋭いな)
自分が何に気付いたのかを察している。そう思って、男は立ち上がると、小さな身体をさらに小さくして居心地悪そうにしている魔女の前に、机、ランプ、そして水を入れたコップまで置いて、逃げられないように囲った。
「書くなら、ここで書け」
「…」
男が何に気付いたのかも、どうしてこんなに威圧的なのかも理解して、レアは生唾を飲み込んで逃げられない事を悟った。そりゃぁ、知られたら怒る…かな?とは思っていた。
レアは諦めて、言われた通りに机で続きを書き始めた。その隣に、ドスンと男が座り、手元に視線が注がれているのは、痛いほど分かった。
自分の予感が完全に的中していたことを理解して、男は内心で頭を抱えた。まさかと思いながら、ありえると思っていた自分と、魔女の行動が大体分かって来た自分にも、諦めにも似た感情が湧く。
手紙の最後にサインをしたのを見届けて、男はさっとソレを取り上げた。
取り上げられることを分かっていたのか、魔女は何も言わずに、自分の隣で居心地悪そうに小さくなっていた。
「謝罪してないのは良いが、謝罪しているようなもんじゃないか」
一通り目を通し、盛大にため息を吐いて、男はそう言った。
「戦争なんだぞ。お前からしてみれば、侵略された側だろう。謝る必要なんて、ないだろ」
「…謝ってなんて、ないもん」
ソレは、マリーノに捕虜となって死んだトムの親しい者へ向けての文だった。
「他のも見せろ」
有無を言わさず差し出した手に、レアは諦めたように残りの五通を渡した。二通はトムよりも先に死んだロイヤ兵のもの、三通はマリーノに雇われ戦って死んだ傭兵のもの。
そこには、この戦場でどう戦い、捕虜になってからの振る舞いや言動、最後の言葉や願い、戦友に語っていた話、看取った戦友たちの名、トムの最後にはロイヤ皇帝の先導があった事も書かれていた。
男は何度目かの盛大なため息を吐いた。
「よくもこれだけ書けるな」
呆れ半分、感心半分で言う。紙にはびっしりと文字が並び、親しい者への配慮が嫌でも分かる丁寧な文面だった。
「いつも、こんなことやってるのか?」
その言葉に否定はないが、男が呆れている理由も良く分かるレアは、少し俯いた。
「いつも…うん、いつもかな。手紙は、傭兵の人が亡くなった時とか、王都から離れた出身の兵士の時だけだけど」
魔女自身が、自分の行動の意味のなさを理解していることが、男には分かった。それでもこんなことをしているのは、彼女に感傷的な部分があるからだ。
戦い、国を守るのに命を懸ける事を恥じてはいけないし、死んだものを憐れむことは死者を愚弄する事にもなる。
「つくづく、お前は戦場には向いてない性格をしているな」
言って、男は丁寧に手紙を畳んだ。破り捨てれるかと思っていたレアは驚いて、男を見る。
「ロイヤのは、悪いが家族には渡してやれない。家人が読んだら回収させてもらう。…他は好きにしろ」
ロイヤ兵の三通を抜いた残りを、男はレアへ返した。
魔女の行為は、彼女自身のけじめでしかないと男は思う。それで死んだ者が蘇る訳でも、家人が救われるわけでもない。恐らくそんな事は、自分が言葉にせずとも、彼女自身が十分に理解しているであろう。だから、これ以上言うつもりも、止めるつもりもなかった。
ただ、ロイヤの兵に対しては、勝手は聞いてやれない。
捕虜であり、側室として迎える者からの手紙など、どちらの意味でも今後に影響が出るのは分かりきっているからだ。
男から手紙を受け取って、レアは安堵の息を吐いた。
男の言うように、自分はつくづく軍人向きの性格はしていないと思う。こんなことをしても、自分自身への気休めにしかなっていないとも思う。それでも止めないのは―――止められないのは、少しでも慰めになればと願わずにはいられないからだ。
「どうして、軍人なんてやってる?」
それは、出会った時からの疑問だった。そして、マリーノ、ロイヤ両陣営の多くが抱く疑問でもあった。
多くの者が抱きながら、誰一人として聞いてこなかった問いに、レアは目を見開いた。そして、気が抜けたように力なく笑むと俯いた。
「捜しているんです」
手元に戻って来た手紙を机に置き、レアは息を吸った。
誰にも言わなかったことを、この男には話しておこうと思った。
「師匠を殺した犯人を、捜しているんです」
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