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魔女と王様  作者: 新条れいら
ザッカ前線
28/117

28.理由

「で、どうなんだ? 魔女はあぁ言っていたが」


 寝所のテントを後にして、夕餉に向かいながら、男は後ろを歩くジルドへ聞いた。咄嗟に何を言われているのか分からなかったジルドに、男は小さく笑う。


「皇帝の跡目はたくさんいたのに、どうしてオレなんだって話だ」


 父王はたくさんの妾がいた。妾だけにとどまらず、市井に降りては子どもを作ってくるような、とんでもない色欲魔だった。ただ、不満が紛糾しなかったのは、それなりに統治はまともだったからだ。


 その父王は、後継者をはっきりさせる前に、シカ狩りで落馬して首を折って死んだ。華々しい生活から、あっという間に幕を引くところは、天晴あっぱれと思ったものだ。


 兄は12人、弟はだいたい30人くらい。姉妹に至っては、何人いるのか分からなかった。


 父王は、子ども達に教育を受けさせることに出し惜しみはせず、母親の出自に関係なく、優秀な者はどんどん上り詰めていった。事実、長男は副総裁だったし、三男は軍の参謀本部の一人だった。


 長男と三男の覇権争いが起こり、野望と利権とがぶつかり合って、血を血で洗う未曽有の事態に発展した時、自分は15だった。


 当時、一将軍に過ぎなかったジルドの部隊の、一兵でしかなかった。


 町や村が焼かれ、領地同士の争い、暗殺、強奪―――目の前で母と姉と義弟が殺された時、自分も無関係でいられない事を、初めて知った。


 母の実家は、一介の地方貴族であり、その時すでに戦火に巻き込まれ、跡形もなくなっていた。何の後ろ盾もない自分の前に膝を折ったのは、ジルドと幼馴染の宰相の次男だった。


「あの時期に、15の子どもに将来を賭けるのは、無謀―――と言うか、自殺行為だろう?」


 最初の一年で兄の半分はいなかった。毎日どこかで火が上がっていて、誰かが死んだ。


「…貴方が十で訓練生として入隊された時から、貴方は上に立つ方だと思っていました」


 ジルドの返答に、男は首を傾げた。


「別に強かったわけでも、講義で成績優秀だったわけでもないのに?」


 今でこそ剣技はそこそこ出来るようにはなったが、自分より強い人間は山ほどいるし、戦略講義なんかも、特別出来たわけでもない。


 自分の述べた理由に納得していない事を理解して、ジルドは当時を思い出し、小さく笑む。


「貴方はいつも中心にいました。誰をどこに配するべきか、それを良く理解しておられた」


「そうか?」


 そう言われれば、周りに人間が多かったような気はする。だが、それは自分が王位継承権が低かろうが、曲がりなりにも皇子だからだと思っていた。


 人の本質を見抜く力、人に仕事を与える事に長けていた。いつも屈託なく笑い、面倒見が良く、何物も悪者にはしない。それでいて、努力を惜しまない誠実さ。


 親元から離れ、集団生活を強いられる訓練生達の中で、彼は人を引き付けた。


(そう、…まさに太陽)


 魔女の言葉が脳裏に過る。


 屈託なく笑う魔女もまた、本質を見抜く眼を持ち、人の中心にいる。


(…貴方が、欲しいと、…そう思うのも不思議ではないのかもしれませんね)


 男がこの戦いに立ってから、八年。道を切り開いてきた太陽に、陰りが出ているのもまた、事実。




「目を覚ましたぞ」


 背後から気配もなく近づかれ、しかも肩口で囁かれて、セイルとデッドは身を強張らせた。反射的に勢いよく振り返ったデッドが、ナイフをその鼻先に突きつけたのは言うまでもない。


「物騒だな」


「…死にたくなければ、気配もなく背後に立つのはやめてください」


 相手が皇帝だと理解して、デッドはしぶしぶ腕を下した。傭兵相手に不用意に背後から近づいてくるなど、命を落としても文句は言えないぞと睨み付ける。


 男の後ろでジルドが青ざめていた。


「で? 大丈夫なんでしょうね?」


 見えない火花を散らせつつ、デッドは男へ問う。


「ちょっと疲れて、寝こけただけだ。予定通り、あと三日は寝ていてもらうが」


 デッドの殺気などお構いなしに軽く言い、男はさっさと入り口をくぐって行った。


 レアが無事だと言う事には安堵するが、敵方の奥深いところに隠されていて、無事を確認できない事に対する不満は強かった。かと言って、レアも同じ選択をしただろうと思うと、悔しいが不服は飲み込むしかなかった。


「ドクターに頃合いを見て、聞いてみるしかないですね」


 殺気だけで殺そうとしているのかと言いたくなるようなオーラを放っているデッドへ、セイルは落ち着くように促した。レアに持病があると聞いているのは、セイルだけなので、気になっても外でそれを聞くわけにもいかなかった。




 早馬を飛ばして二日の距離。


 それがザッカ前線とマリーノ王都までの距離だった。大潮で陸続きでもない限りは、細い橋を渡って王都まで行く。船を使うのは、馬や物資を大量に運ぶ時などで、人が渡る分には危なくなく王都に入る事が出来た。


 戦中だと言うのに、検問もそこそこに門をくぐってしまえる。


 自分の愛馬と、預かった名馬の手綱を引き、大男は目的地へ急いだ。目立つ髪と体躯をしているがために、その姿を見留めて声を掻けようとした者もいたが、半径一メートルに近づこうものなら焼き尽くされそうな殺気立った様子に、誰もが身を縮めた。


「ティン殿、お気持ちは分かりますが、殺気は押えてください。使用人が怯えています」


 目的地に着き、馬を預け、大広間に通されても殺気立つ男に、館の主はやんわりとたしなめた。


「あ”ぁ!?」


 しかし、言われた大男は主を睨み付けるように、振り返る。


 声と同時に、ビリビリと空気を震わせるほどの殺気が飛んでくる。この男との付き合いは十年近くになるが、だからと言って武人の放つ殺気になれるはずもなく、主は自分の顔が青ざめるのを自覚した。


「ティン殿が娘を気にかけてくださっているのは、本当に感謝しております」


 気を取り直して、主―――ハンス・ミルハ・ヴァルハイトは言った。


 その口ぶりに、事情を知っているのかとティンは疑問に思う。ホルスから預かっている手紙はまだ渡していない。


「昨日の明朝、ロイヤの皇帝から文が届きました。事情はだいたい理解しています」


 ティンの様子から疑問を察し、ハンスは言う。ティンの椅子の前に座った。テーブルの上に置かれた旧知の軍医からの手紙を受け取って、目を走らせる。


「あのやろぉ…」


 苦々しくティンは声を漏らす。手紙から顔を上げたハンスは、悔しそうに歯噛みするティンの、その珍しい表情に眉を上げた。


「手紙を送る手段があるなら、オレがこっちに来る必要なんか、ねぇじゃねぇか!」


 抑えた低い声。まるで獣が唸っているようだ。


 遠い昔に、同じようにこの男が同じ表情をした日を思い出し、ハンスは驚いた。驚くと同時に内心で小さく笑う。


「ロイヤの皇帝は、出来る方のようですね」


「!」


 ハンスの言葉に、ティンは弾かれたように顔を上げた。


「誰がそんな事言った!?」


「エバンスに負けた時と同じ顔をされていたので。…違いましたか?」


「違う!」


 大男の否定に、ハンスはそれ以上は言わずに、内心で笑う。しかし、すぐに表情を引き締めた。


「マリーノの命運がかかっています。ティン殿から見て、ロイヤ皇帝はどんな印象ですか?」


 別の言葉を口にしようとしたティンは、ハンスの視線を受けて、ひとまず言葉を飲み込んだ。そして、どうかと聞かれた答えを探す。


「いけすかねぇ奴だ。二十に毛が生えたくらいの年で、オレとデッドの殺気にもケロリとしているような、可愛げのない…しかも、殺気で返してくるような、底知れない恐ろしい奴だ」


 レアが約束の時間に遅れると言うので、先に伝言を伝えるように頼まれ、男の前に立った。自分の半分も生きているか分からないような青二才に、ティンは本気で殺気を放った。レアを殺すかもしれない相手だ。ここでビビるようなら、愛刀で真っ二つにしてやるつもりだった。


 それがどうした事か。


 五百のロイヤ兵は動揺しているというのに、目の前の青年は飄々としている。それどころか、合間に殺気を突き返してくる。


 その瞬間、ティンには分かった。


 この青年は、死線を幾度も越えてきた。多くの死を見、その屍を踏み越えて、そこに立っている。


「…でもな、…なんか、欠けてるな」


 それは以前、どこかで感じた感覚に似ていた。


 全身の毛が逆立つほどに興奮し、高揚とするほどの恐怖にも似た感覚。そう感じながらも、何かが欠けていると気付く―――あの感覚。


「シィの初陣、あの時の感じに…」


「…」


 ティンは言葉が的確とは言い難い。しかし、感じたままを声に出す。その言葉だけで、ハンスは自分の知りたい大半を理解できたような気がした。


 皇帝からの手紙からは、真摯な姿勢が読み取れた。計算された様子はなく、ありのままの姿がそこにはあった。だからこそ、彼の背後にある、得体のしれない恐ろしさもまた滲んで見えた。


「欠けて…ましたか」


 ティンの言葉を独白のように反芻して、ハンスは再び軍医からの手紙に目を落とした。


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