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魔女と王様  作者: 新条れいら
ザッカ前線
25/117

25.糸を引く(4)

 それは奇妙な感覚だった。


 所用を済ませて部屋に戻り、眠ったままの魔女を覗き込み、熱を確認しようと額に触れた瞬間、視界が暗くなった。


 驚いて周囲を見渡し、暗闇の天井を走る一面の光の帯に目を見開いた。その耳に、小さな耳鳴りのような音が響く。酷く不安になる音を追って視線を走らせ、そこに小さな背中を見つけた。


 呆然とその先の闇を見つめる、その手に、細い糸が触れていた。


「魔女」


 呼びかけに、少女は応えなかった。


 その手から、跡形もなく細い線が消え去り、呆然と闇を見つめていた瑠璃色が大きく見開かれ、胸が上下する。


「…師匠せんせい


 小さな呟きと共に、みるみるうちに膨れ上がった涙が音を立てて流れ落ちた。


「…せんせい、…しんじゃった…」


 何もない暗闇を見つめたまま、小さな子どもの様に呟いた少女は、顔を歪めた。


「わたしのせいで…しんじゃった…っ」


 そこに確かに在ったのに、いつも側にいてくれたのに、大丈夫だよって言ってくれたのに。


 いなくなってしまった事を理解することを拒んで、ずっと気付かないふりをして来たのに。


 膝から崩れ落ちる少女の身体を、男は堪らず、抱き寄せた。触れた瞬間に流れ込んでくる痛みに、息が詰まる。


 細い肩を、腰を抱き寄せ、濡れる頬を寄せる。


「お前のせいじゃない。ルイーグスはお前を逃がしたかったんだ」


 自分の口を突いて出た言葉に、男は自分で驚いた。だが、言葉にした瞬間、意味を理解した。


 少女が軍部に席を置くことになってしまった原因は自分にあると、『彼』は後悔した。どうにか逃がしてやれないかと手を尽くしていたが、間に合わなかった。


 遠のく海面を見つめながら、『彼』はこの世のどこかにいるはずの『誰か』へ、動かぬ腕を伸ばした。


(あの子を、逃がしてくれ。そして、願わくば―――)


「代わりでも何でも、なってやる。泣いても良い。―――だから、戻ってこい」


 冷たい海に沈む意識が消え入る瞬間の、その願いを理解して、男は奥歯を噛みしめた。




「皇帝陛下が気付いてくれて、助かった」


 その声に、男はハッと我に返った。軍医が困ったような安堵したような顔で自分を覗き込んでいた。


「あんたか…」


 ほぅと息を吐いて、身体の力を抜くと、腕の中で何かが崩れた。慌てて支え直し、それが魔女である事に気付いて、男は驚いた。


「…どこからが現実で、どこまでが夢か分からん」


 深い深いため息をつく男へ、軍医は曖昧に笑った。


 腕の中の魔女に力はなく、ぐったりと身を預けていた。頬の乾ききらぬ涙の跡をぬぐってやり、寝台へそっと戻す。


「あんたが気付いて抱き止めてやったから良かったが、止めてなかったら、今頃この辺一帯の人間は訳もなく大泣きしとっただろうな」


「…それが魔女の力ってことか」


 男の言葉に軍医は苦笑した。魔女かどうかは別にしても、人より明らかに違うモノを持っているのは否定できない。


「世界を滅ぼそうと思ったら、シィーに自滅をさせたらいいという事だ」


「…笑えない冗談だな」


 心底嫌そうに言って、男は立ち上がろうとした。腰が浮いたところで、頭から血の気が引く音と、同時に前のめりに倒れる。


「大丈夫かい!?」


 かろうじて顔面から地面に激突だけは避けられたが、起き上がろうとするとぐらんぐらんと頭が回る。目も開けていられず、閉じてみたが変わらなかった。全身から冷や汗が噴き出す。


「無理に起き上がろうとしなさんな。そのまま横になって、ほれ」


 原因に心当たりがあるのか、ホルスは男の顔色だけを見て、促してくる。声を出す気にもなれない脱力感に、さすがの男もここは素直にその場で突っ伏した。


「吐きそう…」


 弱音とも取れる言葉をようやく吐く。魔女の様子を見ていたらしい軍医の苦笑したのが分かった。


「そりゃぁ、お前さん。初心者が急に上級者のすることをしたら、目を回す」


「…オレは何もしてないぞ」


 大体、皇帝に向かってお前やらあんたやら、どう考えてもおかしいだろう。


 突っ込みたい所は色々あるのだが、何もかもがどうでも良かった。


「あんたも『糸引く者』なんだったら、あんたが止めろよ」


 口調が何年か昔のものに戻っている自覚もなく、皇帝は軍医に文句を言った。話すのも辛い状況からは少しずつ回復しつつある。


「儂は、せいぜいシィーが泣く時が分かるぐらいじゃ。何に対して泣いているか、分かってもそれ程度」


 全く役に立たんよ、と軍医は言った。


 その横顔を盗み見ようとした時、朝日がテント内へ差し込んできた。眩しさに目を細めていると、軍医がタオルを顔にかけてきた。


「まだ光は辛いじゃろう」


 言われる通りなので、素直に頭から被って、息を吐いた。呼吸もだいぶ落ち着いてきてはいる。


「…魔女を逃がそうと周りが必死なのは、ルイーグスの意志なのか?」


 独り言のように呟いた問いに、ホルスは身を強張らせた。そうだとも、そうじゃないとも、どちらとも言えなかった。


 この男は何を知ったのだろうか。


「確かにエバンスはシィーを逃がしたがっていた。でも、神の意志でもない願いを網に乗せられるほど、エバンスは強かったわけじゃない」


「…何か矛盾しないか?」


 ずっと違和感としてあった疑問が、言葉として形を成した気がして、男は首を傾げた。未だ怠い身体を起こし、寝台に半分身を預けながらも座る。その様子を、軍医は複雑な様子で見ていた。


「この魔女は昨日もさっきも、自分の感情が他に影響するのに、同じように強かったルイーグスは出来ないのか?」


 いつかは気付かれる事ではあったが、ホルスは男に伝えてはいなかった。


 普通の『糸引く者』は神と人、人と人を結ぶのであって、そこに自分の意図を張る事は出来ない。そんな事が出来れば、悪意ある者に利用されるのは目に見えている。


 自分の少しの動きも見逃すまいとするような、男の鋭い視線に、ホルスは観念したように息をついた。


「だから、シィーは特別なんだよ」


 眠るレアの髪を撫でて、ホルスは苦しそうに息を吐き出した。


 コレを言わないのは、彼女をただの娘から奇妙な神格化をさせないためだった。彼女が他の何者よりも特別なのだと、本当の意味で理解できるのは、同じ『糸引く者』しかいない。


「この子には、神の意志が紛れ込んどる。この子の意志は神の意志に、一番近い」


 神の一部を受け継いで生まれ落ちたのか、神が転生でもして来たのか。


「だからなのか、シィーの意志は網に乗りやすい。昔は、転んで泣くだけで、耳鳴りがしたもんだ」


 十年も前の事を思い出し、ホルスは懐かしそうに小さく笑う。しかし、その顔はすぐに暗い色を映した。


「だが、力に身体がもたないのだろう」


 年を追う毎に感覚は研ぎ澄まされていく。反比例するように、レアの身体は弱っていった。


「この子が生きていくためには、闇を照らしてくれる太陽がいるんだろう」


 闇を照らし、道を照らしだす太陽。遠い神の指し示す先まで見通すほどの強い光。


 だが、それが一体何かは、誰にも分からない。


「儂があんたにこんな話をするのは、シィーを任せても良いと思っとるからじゃ」


 黙ってこちらを見据える男へ、ホルスはしわを刻ませて苦笑して見せた。


「あんたもまた、特別なようだしの」


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