24.糸を引く(3)
神や何だと理解できない事象を説明されて、男は早々に理解しようという考えを捨てた。
常識など、所詮人間による物差しでしかない。視点や時代によって、簡単に変わっていくものだ。だから、そんな事に捕らわれて、判断を誤るより、「そういうモノだ」と受け入れてしまった方が早い。
そう判断して、皇帝は今後について思案することにした。
ろうそくの明かりの下、引っ張り出した紙にペンを走らせていると、身じろぐ気配がする。簡易の寝台に目を向けると、毛布の中で小柄な体が身を丸めていた。
「もうこんな時間か」
夜も更けている事に気付き、書き上げた手紙の最後にサインをして、ペンを置いた。
凍え上がるほどの寒さではないにしても、何も羽織らずにいるには少し肌寒い。
小さく盛り上がった毛布の横に腰を下ろし、薄闇の中で魔女の顔にかかった髪をどけようとして気付いた。
べっとりと額に張り付く茶色の髪、ギョッとするほど冷えた頬。
「魔女?」
固く瞼を閉じて、歯の根も合わぬほど震えている様子に、男はしまったと舌打ちした。熱が出るとは聞いていたが、書をしたためることに集中して、気付くのが遅れた。
「おい、大丈夫か?」
小声で聞いたが、反応はない。
(水分はさっき飲ませた。あと、出来ることは…)
ソファに乱雑に置いておいた毛布とコートをかけてやるが、そんなもので足りるものだとは到底思えなかった。
(仕方ない)
少しでも熱の放散を避けようと、小さな身体をさらに小さくした魔女のそれを、布団にもぐりこんで引き寄せた。二度目にも関わらず、今までに抱いたどんな女よりも小さい事に驚く。
「…ルイスより小さいな」
昨晩はただ、同じ場所で寝たと言うだけだった。だから、小さな身体がすっぽりと腕の中に入ってしまう事に、男は言い様のない切なさを感じた。この魔女が、妹と同じ年だからかもしれない。
小刻みに震える背中を撫で、張り付く髪をどけて、梳く。
エゲートが言った。
娘に抱く違和感があると。
言葉で言い表すには難しい、それでも確かにある違和感―――もしかしたらそれは、自分達と同じ空間に居ながら、次元の違う生き物だからなのかもしれないとすら思う。
(ほんと、弱った仔犬みたいだな)
震える吐息を聞きながら、男は苦笑した。昔に拾った仔犬を思い出した。妹と二人、子どもなりに懸命に世話をして、―――朝、目覚めると腕の中で死んでいた。
(…嫌な事、思い出した)
背筋に悪寒を覚えて、腕に力が入る。
もう目を覚ますことはないかもしれないと、軍医は言った。その顔にあったのは、諦めというよりも覚悟に近かった。話しぶりから、軍医と魔女との付き合いは長いのだろう。その中で今回のような事は何度もあり、その度に別れの覚悟を重ねた結果だろうか。
今の地位になるまでも、なってからも、人の死は何度も目の当たりにしてきた。
一兵卒だった頃、仲の良かった戦友が何人も死んだし、王位争いはそれこそ筆舌に尽くしがたいほど酷いもので、姉も義弟も目の前で死んでいった。
なりふり構わずここまで来た。
だからとて、人の死に無関心でいられるほど、鉄壁な精神にもなれなかった。
「お前は、死ぬなよ」
あの正午から、三日と経っただろうか。初めて自分に向けられた満面の笑みに、とにかく驚いたことを鮮明に覚えている。
逢いたくて逢いたくて仕方なかったと言っているような、綻んだような笑顔に、目が離せなかった。同時に、どうしてそんな顔をするのか理解できなかった。
しかし、自分の一番奥底で、全てを理解する自分もいた。
魔女の話を信じ、要求も受け入れたのは、根底で彼女を理解したからだ。それと同時に、酷く焦る自分にも気付いていた。この場にいるべきではないと、早く逃がさなければと。それは苛立ちとなって、自分を急き立てる。
(オレも糸を引かれたか?)
軍医の話が脳裏を過り、男は苦笑した。
呑まれるなとジルドは言ったが、たった三日の間で、合流したロイヤ兵にも変化があった。それまで憎悪と嫌悪しかなかった空気は、危機感すら覚えるほど希釈され、戦時にあるというのに緊張感すら緩和している。
それまでのゲリラ戦への対応で緊迫していたとは言え、背筋が寒くなる。
そのすべての中心に、この魔女があるのならば、これが命の危機にある事が知れれば、どうなるかは想像に難くない。故に、口外出来なかった。
これが魔女の力で、自分も取り込まれているのだとしても、男はそれはそれで良しと思っていた。逆に利用も出来る。
「王様は分かってないなぁ、乙女心が」
そう言って頬を膨らませた魔女の、瑠璃色の瞳を思い出し、男はぎくりと身を強張らせた。
腕の中の小さな身体を見下ろす。
ようやく震えが収まり、今は火照った頬が、顔を真っ赤にした魔女の表を連想させて、男はさらにぎくりとした。
魔女の手が、自分の上着を掴んでいた。線の細い指が、しわを刻む。
「…」
しばらくその様子を見下ろしてから、男は盛大なため息を吐き出した。
もうずっと、気付かないようにしてきた。
本当は分かっているのだけれど、そこへ意識を向けてしまったら、失ったものの大きさに気付いて愕然とするから。目を向けないように向けないように―――そうやって、なんとか自分を保ってきた。
暗闇の中を歩く。
キラキラと光放つ無数の光の帯が、闇を照らしてくれる。
時々、それらはふわりふわりと宙を舞い、遥か彼方の貴女の元へ戻っていく。それを見送り、迷う者に方向を示す。それが自分に出来る精一杯。
でも、あまりに多くのそれらを見送って、自分の中にいくつも小さな穴が開いて、心は震え始めた。
辛いと、悲しいと、心が泣く。
消えて逝ってしまった者の名を呟いて、記憶が涙を流す。
「泣いちゃダメだ。泣いちゃダメ」
はち切れそうなほどに膨れ上がって、あまりの痛みに耐えられず、無意識に手繰り寄せてしまった。
手繰り寄せた糸の先に、何もない、本当の闇がある事も忘れて―――
いつも読んでくれて、ありがとうございます。
レアの能力についてのイメージを、以前あとがきに書いていたので、
ブログに移しました☆
https://blogs.yahoo.co.jp/reira_forest02/56876071.html




