23.糸を引く(2)
「サザ族の族長にはお会いになりましたかな?」
軍医は初めにそう聞いてきた。
マリーノに向かう道中に掌握した部族の一つであることを思い出し、頷くとホルスは苦笑気味に頷いた。
「あそこはシィーを『神の使い』と信じてる。神と自分達を繋ぐ『糸引く者』だと」
そう言えば、東に魔女がいると叫んだデデとは対照的に、物静かな族長がいた事を思い出す。神の使いがこの行いの是非を下すだろうと、そんな事を言われた。
「シィーが神の使いとは思わんが、…彼らの神の道理がシィーを言い表すには説明しやすい」
そして、軍医は大きく息を吸い込んだ。
「天にいる神と、地上にいる人間とを繋ぐ役目を持っているのが『糸引く者』」
近い役職で言うなら、巫女や神官などが最も近かったが、彼らのように神からの啓示を聞いて人々に伝える、と言うのとは違う。
「直接、神と人との間に糸を…繋がりを作り上げてしまうのだそうです」
そして、その引いた糸同士を組み上げ、広く網を張る事が出来る。神だけでなく、人と人を繋ぎ、善なる意志へ導くことが出来る。繋がった人々の中から、また『糸引く者』が生まれ、そうして、神の願う世界に変化させていくことが出来る―――とサザ族の教えでは言われていた。
「…でも、彼らは一人では生きていけんのですよ」
重く、重い息を、ホルスは吐いた。
「儂のように、引けても一本二本程度の者なら、生きるに困りはせんが、引く力の強い者は蜘蛛の巣のように網を作り上げる」
巨大な網を一人では支えきれず、やがて精神と肉体を蝕んでいく。
「自暴自棄になったエバンスが、それでも死を選ばず、マリーノに残ったのは、シィーが自分と同じ『糸引く者』だったからだ」
このままではあっという間に命を落とすと、分かったからだ。
彼らはお互いに特別な糸を持ち、互いを支え合う。大きな網を持つ者は、それだけ相手も支える事が出来た。
エバンスは大きな網を持っていた。だが、国を追われる事になった時、家族と共にそこにあったモノ全てを壊され、生きる価値を持たなかった。
ヴァルハイト侯爵に拾われ、手当てを受ける中で、たった五歳のレアの異常なほどの力に彼だけが気付いた。そして同時に、彼女の命が燃え尽きようとしていることも。
だから生きることを選んだ。
残りの人生を、この小さな幼女を支えることを選んだ。
「自分が死ぬまでに、誰かがシィーに気付いてくれないかと、そればかり言っとった。奴が死んで三年、…もう誰もシィーには気付かんと、思っとった」
そこまで言って、ホルスは喉に嗚咽が絡むのを自覚した。
誰もがレアに生きてほしいと願っていながら、手立てもない絶望の三年だった。事情を理解している者は、極端に少なく、針のむしろを歩く様な日々だった。
「…でも、あんたが、気付いた」
それは押し出すために潰れていて、酷く聞き取りにくかった。
突然、話が自分に及んで、男は眉を寄せた。
何の話だと口にしようとして、男は言葉を飲み込んだ。軍医の肩は微かに震え、俯いて吐き出された言葉に、苦悩は濃かった。
そして、自分の中に、何かを納得する自分がいる。
「オレは糸とやらも引けんし、奇怪な術も使えん。そもそも神をあまり信じていないぞ」
軍医は笑ったようだった。深い息を吐いて、表を上げる。
「あんたはシィーの顔色が悪い事が分かった。それだけで十分でしょう」
清々しい程の顔で言われて、男はそれ以上何かを口にする気が失せた。重苦しい空気を打ち消すように、大きく息を吸い、吐く。
「まぁ、オレも魔女に今、死なれても困るからな。…多大な期待をしているかもしれないが、オレはオレの目的の為に、魔女が必要なだけだ」
軍医は、それで十分だと頷いた。
「あんたは、そのままでいい。後はシィーが自分で選ぶ。…目を覚ますことが出来たら、じゃがな」
付け加えられた最後の言葉に、男は一瞬、首を捻った。
「ちょっと待て。…話の流れとして、オレがいれば大丈夫、と言う雰囲気ではなかったか?」
「どうなるかは、儂にも分からん。人ならざる者の意志が働く現象を前に、医者など無意味だ」
「…」
ハッキリと言い切った軍医に、男は唖然とした。
男にとって、それまで神とは、神官たちの都合でどうとでも動く、煩わしいものでしかなかった。それがここに来て、いつもの様相を変えて眼前に立ち塞がろうとは思いもしなかった。
頭を押さえ、そのままガシガシと頭を掻く。
「分かった。…いや、分からんが、考えるのはやめる」
理解しようとして、男は早々に諦めた。それよりも頭を使わなければならないことがあるはずだった。
「この状態は通常、どれぐらい続く?」
「三日の時もあれば、二週間という事もあったな」
二週間…と男は呟いた。
「くっそ、長いな! その間にやる事はなんだ?」
「水を飲ませてやること以外、何もしてやれん。ここ二年は熱も伴うようになったが、…薬は一切効かん」
なんだそれは、と男は毒づく。
「途中で目は覚まさんのか?」
苛立ち始めた男に、軍医は首を左右に振った。
「シィにしてみたら、途中で意識がなくなって、気付くとベッドに寝かされているんだと。目が覚めてからは、全くケロリとしているから、自分の眠っている期間の事は何も覚えておらん」
熱でうなされていたのだと言ったところで、「あぁ、そうだったの?」と目を丸くする始末だ。周囲の心配をよそに、その日から活発に動き出そうとするので、周りは肝を冷やす。
「…めんどくさい奴だな」
男は再度頭を掻くと、身を預けていたソファから立ち上がった。
「とりあえず、水を飲ませておけばいいんだな。お前は朝晩…人目に付かないなら昼間も様子は見に来い。勝手に入っていい。見張りには言っておく」
口早に言いながら、男は自らの荷物をガサガサと漁り始めた。
「魔女が倒れたなど、動揺が起きるだけだ。他言無用。必要な物があれば、ジルドかオレに直接言え。マリーノ兵には、城に出向いて今後を相談しに行ったとでも言っておけ」
目的の紙を見つけ出し、ペンを探る。
「マリーノで知っているのは、副官とデッドとティン。ロイヤでは、ジルド、バス、エゲート、イスマルだけだ。ここに運び込むのに、護衛任務の五名には知らせてあるが、口は硬いから安心しろ」
そこまで言って、ふっと気になり、男は軍医を見下ろした。
「魔女の着替えはあるのか?」
ホルスはその問いかけに、なんとも言えない顔をした。




