2.西より来る
パチパチと炎のはぜる音。
戦場の焦げた匂い、夕日に染まる煙で空が霞む。張り詰めた緊迫感は解除され、今は慌ただしく処理に動く者達の喧騒が辺りに響いていた。
その中を男は進んだ。側遣えが、彼の歩調に合わせるように足早に追ってくる。
「お前が族長のデデか?」
二人の兵に両側を固められ、四肢を拘束され座らされている汚れた男の前で、彼は足を止めた。その声に、拘束された男はゆっくりと表を上げた。
東の地域最大の遊牧民族をまとめる族長であるデデは、夕日に逆光になる男の姿に目を眇める。
「勇猛だと噂に違わず、大暴れしてくれたそうなので、拘束させてもらった」
男の落ち着いた声が降る。
敗戦の中にあって、最後まで激しい抵抗を見せ、30人の兵を打ち取った族長に対して、怒りも憎しみもなければ、侮蔑もない。淡々とした声音。
長身の男―――これが、大国ロイヤの皇帝。
「本来なら、交渉の席に招くところだが、それももう手遅れだ。貴殿には服従か殲滅かを選んでもらう」
何の感情も感じない声音に、ぞっと背筋が逆立つのをデデは感じていた。
それと同時に、脳裏に過る一族たちの顔。戦火の中に、何人もの見知った者を失った。その家族の事を思えば、これ以上の抵抗は出来ない。自分達は覇権を争うのではなく、一族が続いていくことを第一と考えている。
さりとて、悔しくないわけがない。
デデの苦い沈黙を、服従と取ったのか、皇帝はもう用事はないとでも言うように背を向けようとした。
「なぜ、侵略を繰り返す?」
その背へ、デデは叫んだ。
デデには、大国ロイヤがこれ以上の拡大を図る理由が分からなかったのだ。その理由次第では一族全てを賭しても、戦わなければならない―――そう、デデが奥歯をかみしめた瞬間。
皇帝が振り返った。
その瞳は、先ほどまでの冷えた色ではなく、デデの問いかけを不思議に思っているような困惑しているような色が映っていた。
足を留め、西へ沈んでいく陽を見つめ、皇帝はデデの元へ戻って来た。
「全てを手に入れてみたくなった。昇る東の太陽も全て」
デデはそれを聞いた瞬間、自分でも信じられないほどの笑いがこみ上げてくることを止められなかった。その衝動のままに、天に向かって吠える様に嗤った。
弾かれたように笑う族長を、皇帝は僅かに驚いたような顔をして、黙って見下ろしていた。やがて喉の奥へ笑いを押し込んだデデは、皇帝を睨み上げた。
「貴様の娯楽に、一体何人が命を落とすのだろうな」
手足を縛られた状態であるにも関わらず、襲い掛かりそうな勢いのデデを、衛兵たちが取り押さえる。地面に頬を押し付けられ、それでもデデは皇帝を睨み上げた。
「だが、お前のお遊びも、もう終わりだ」
デデが再び笑う。
「東には魔女がいる。魔女が貴様の首を捻ってくれようぞ!」
日のある間は汗ばむほどだが、ひとたび陽が沈むと、気温はぐっと落ちた。
王都にはない気温差に、男は身震いをする。
「陛下」
それを見留めたのか、側近の一人が声をかけてくる。差し出された毛布を手だけで拒否し、代わりに落ちていた小枝を火へ投げる。
はぜる音。
揺れるそれを見ながら、男は遠い王都を想った。
ずいぶん遠くまで来たものだと、自嘲ぎみに笑う。
「魔女か…」
数時間前のガデル族長の言葉が、不意に口について出る。
「ジルドは何か知っているか?」
首だけ後ろに向けて、男は控えている側近へ問いかけた。
「マリーノの魔女、でしょうか。極東へ近づくにつれて、他の部族からもその名が聞かれます」
王都でも魔女の話は聞いたことがあった。だが、極東過ぎて、どこの誰だというものはなく、ここに来るまで気にもしていなかったのだが。
どの部族長も、畏怖と敬意を込めて、魔女と叫ぶ。
「さすがに少し気になって来たな」
東へと出兵し、深く踏み込んでいくほどに、その存在は大きさを増した。
このひと月で三部族を取り込んだが、彼らは極東へ向かう自分達に、魔女の存在を示唆した。
どんな人物で、彼らが何を恐れているのか、肝心な部分がひどく曖昧で、対策を立てようにも見えないものを捕まえようとするようなものだった。
「魔女、と言うのだから、女なのだろうな」
その程度しか分からないのが、現状だ。
「…以前、傭兵の間での話として、耳にしたことがあります」
別の側近の一人が声を上げた。
「知力に優れ、傭兵として一度は仕えておくべきだと…。かの有名な双剣のデッドや師子王ティンが長く仕えていると。しかし噂程度でしかなく、人物の詳細までは伝わって来ません」
男に促され、言葉にした側近も、詳しくは分からず、困惑したような報告でしかなかった。
「双剣のデッドや師子王ティンが?」
その名は王都にも轟く傭兵の名だった。気に入った者にしか仕えぬ奔放者で、気に入らなければ主であろうとも刃を向けると、扱いにおいても困難を極めると悪名も高い。
そして、何より小国であるはずのマリーノに雇えるだけの財力はない。それほど、雇い入れるのに困難な傭兵なのだ。
「マリーノとは多少交流があるのですが、そう言う話は聞きません。本格的に間者を放ちますか?」
もしかしたら、魔女はマリーノの懐刀なのかもしれない。普段は隠しているのかもしれないと思った側近が提案する。
しかし、男は首を横に振った。
「必要ない。もうマリーノは目の前だ」
コソコソ探るより、堂々と正面から突っ込んで直接会った方が早いと、男―――ロイヤ帝国皇帝ガイディウス・カイザー・サクアは不敵に笑んだ。
王様登場。