19.昼餉(2)
「お前のところで動かせない負傷者は11名でいいのか?」
昨日の報告では、動かせない重傷者は12名と聞いている。それらがすべて動かせる状態になるのにどれほどかかるかは分からないが、考慮しておく必要は感じた。
(そろそろ良い頃合いではある)
男は内心で考える。
王都を出て八か月。そろそろ良い頃合いだろう。予想外なところで時間を取られる事にはなったが、それ以上に得難いものも手に入った。
チラリと魔女を見、皇帝は笑んだ。
ただの娘であり、反面、脅威すら感じるほどの引力と心眼を持つ二面性。
コレは、自分の目的の為に、必ず役に立つ。
「いただいた薬が効いて、今は五名にまで減りました。三日ほどで効果があれば、ゆっくりでも動かせるようにはなる…ってドクターが言ってました」
皇帝の内心には気付かず、レアは負傷者についての報告を上げた。そこで、テントの外から食事を運んできたとの声がかかった。
「やっとご飯だ!」
本人は聞こえていないつもりなのだろうが、その小声はテント内に静かに響き渡ってしまう。デッドとティンが笑いを噛み堪えていた。
「食欲はあるようで安心した」
皇帝の含み笑いを聞いて、レアは今朝の川辺での失態を思い出して、紅くなった。その様子にデッドの眉がピクリと上がる。
「悲しいけど、いつまでも引きずっていられません。一応ここの指揮官だったんですから」
「ついでに、今夜からお前はオレの部屋で寝てもらう」
「だから、今朝の事は忘れて…ん?」
何か良く分からない命令が下されたような気がして、レアは眉を寄せた。
だが、レアの左右に座っていた傭兵二人は、その巨体をのそりと起こす。巨体以上に、殺気立ったオーラが揺らめいて、普段の彼らの倍の大きさにさえ見える。
武器はテントに入る前に取り上げられているのに、今にも相手に襲い掛かりそうな二人に、レアは慌てて二人の服の裾を引っ張った。
「何やってるの。ケンカ売りに来たんじゃないの! なんでそんなに怒ってるの!?」
「お前はなんで怒らないんだ!」
ぐるぅりと首を捻ったティンが、怒りのままにレアを見下ろして低い声で怒鳴る。つばが飛んできそうだ。
「わたし、捕虜なんだよ。それぐらいは織り込み済みだって」
「だからって、貴女を差し出すつもりはありませんよ」
こちらも普段怒らないだけに、ティン以上に怖い。
「お前がロイヤに来るなら、マリーノには挨拶に来たことにしてもいい」
傭兵からの殺気にも怯えるどころか、三人のやり取りを楽しむように眺めていた皇帝の続く言葉にレアは巨体に挟まれつつ、それに負けじと身を乗り出した。
「行く! 捕虜でも戦犯でも死刑囚でも奴隷でも、何でもいい。行くよ!」
「シィ!!」
大きな瑠璃色の瞳をさらに大きくして、希望に満ちながら絶望的な言葉を吐く少女を、なんとか思い留まらせようとデッドが口を開こうとした。
が、出来なかった。
「わたしはマリーノの軍人なの」
その一言に、何も言えなくなった。
ただ、まっすぐに見つめてくる瞳に、絶望も自己犠牲もなく、ただただ、そこにあるのは信念。
世界に名だたる傭兵を、たった一言で黙らせた少女に、男は内心大いに歓んだ。誰がこんな細身の少女に、こんな芸当が出来ると思うのか。
「残念だが、魔女にはオレの側室になってもらう」
「ほら、側室だって、側室。他より、ずっとマシでしょ…って、…えっ?」
「さっきから、お前は落ち着きがないな」
「えっ? だって…」
そう口ごもったレアが、うつむいた。くせ毛から覗く耳が紅い事に、男はこの時初めて驚いた。
「ずっと逢ってみたいって思ってたって言ったでしょう! あんなキラキラした物が作れる人の側に居られる方が…」
そこで言葉を切ったレアは真っ赤な表をまっすぐに男へ向けた。まるで幼く、自分の想い人に想いを告げる時のような表情に、驚きを隠せなかった。
しかし、次の言葉を発しようとして、彼女は重い物でも呑み込むような息をした。
「絶対、パルマ家のお嫁になるより、良いわよ」
例え目前の男が自分の利用価値を見出して、こんな提案をしているのだとしても、家族や見知った人達にもう二度と会えなくなったとしても、あの家に嫁ぐより、どれほど良いか。
レアの言葉に、ティンは怒気もなく、ただボリボリと自分の頭を掻いた。
「…確かにな」
乗り出していた身体を、疲れたとでも言うように座り直した。
「エバンスも望みませんね」
デッドもまた、深いため息をついて腰を落とした。