12.夕餉(2)
「陛下! おやめ下さい」
昨日まで前線で睨み合っていた仲とはいえ、これ以上話を物騒な方へ向かう事を懸念したジルドは、自らの主へ制止を求めた。
が、当の主はその表に不敵な笑みを浮かべ、まっすぐに魔女を見据えている。
一瞬の機微すら見逃すまいとする双眸に見据えられ、レアは臆する様子もなく見つめ返した。しかし、すぐに降参したように小さくため息を吐く。
「そんな事しませんよ」
「出来ないとは言わないのだな」
しまったとでも言いたげに、魔女は破顔した。
「そんな事しませんし、出来ませんよ。そんな事したら、あの王都がまた荒みますもの。わたしはロイヤの王都が好きなんです。わたしは好きな物は守りたいんです」
「マリーノは好きではないとでも?」
畳み掛けるような男からの質問と、碧眼にまっすぐに見つめられて、レアはほとほと困り果てた様に笑った。この人は意地悪だ。
彼は恐らく、自分の真意を探っているのだろう。自分の語る言葉に偽りはないが、信じてもらうには少々逸脱していることも自覚していたので、男の尋問にも納得していた。
「好きですよ、故郷ですから。だから王様、どうか踏み散らかす事だけはお許しください。お怒りは、このわたしが全て受けますから」
セイルが硬直したのが分かった。
分かったが、もう覚悟はしていた。
「お前をどうするかは、まだ決めてない」
男の眼光が鋭くなる。
「オレの首をたった150の戦力で取れたかもしれない魔女とは、末恐ろしいな」
「…それは、毛頭考えていませんでしたから」
一瞬脳裏に浮かばなかったかと言えば嘘になるが、将を打ち取られた軍が取る道は二つ。一つは指揮系統を失って四散する。もう一つはそれを復讐に団結して攻めてくるか。
(きっと後者だったよね…)
無言で殺気を放ってくる面々をこっそり盗み見ながら、レアは何度目かのため息を吐いた。セイルなど食事どころではない心情のようだった。
「しかし、なぜお前は臆さぬ? 普通は降伏した敵将を前に、それほど冷静ではいられないはずだ」
食事を再開させようと手を伸ばしたところで、皇帝は別の問いかけを投げた。
「あぁ、それは、わたしが十まで生きれないと言われていたので、毎日死の恐怖と戦っていたら、他のモノは怖くなくなってしまっただけかな、と」
さらりと言って、小さく千切ったパンを口へ運んだ。夕餉の招待と言う名の尋問だと理解してはいたが、話し込んでいては食いっぱぐれそうだ。
続いてハムへ手を伸ばしたその手を、誰かに強く掴まれた。驚いて顔を上げると、青白い顔色のセイルが自分を見ていた。
「シィー、その話は本当なのか?」
声の震えているのを知って、レアは苦笑した。自分を何としてでも救おうとしてくれていた皆の顔が浮かぶ。
「本当だよ。たぶん、これが最後の出陣だよ。これ以上はどっちにしても、もたないから」
努めて明るく言った。本当に自身を悲観するつもりはない。これは言うならば、運命だ。
「だから、わたしの命なんて惜しむ必要はないんだよ。惜しむなら、これから生きる命を惜しまなきゃ」
セイルに知れてしまった事は、想定外ではあるが、近いうちに知られてしまうのは時間の問題でもあった。
「残りの寿命はどれぐらいなのだ?」
シンと静まり返った場に、男の少し驚いたような声が響いた。
「さぁ? 30年後かもしれないし、明日かもしれない。いつ目を覚まさなくなるのか、誰にも分からない奇病らしいから」
ただ、師匠が死んでしまった3年前から、急速に病状は悪化したのは確かだ。
「ロイヤの王都に来たのも、病気の治療か?」
「見学半分、治療半分と言うところです」
フムと顎に手を当て、男は考えた。
取り乱した様子もなく、自身の命のタイムリミットを語る魔女は、確かに16の少女には見えなかった。例えば自分の妹が同じ状況に陥ったとして、この少女と同じ思考にたどり着くとも到底思えなかったのだ。
年からは考えられない卓越した思考力に、畏怖にも似た不気味さを感じたのか、魔女の極刑を訴えていた側近たちも押し黙っていた。ある者は生唾を呑み込み、ある者は背中に冷や汗を自覚した。
この娘を育て上げた軍師がいるのだ。
極東であるがために、その名を王都では聞かなかったが、同じく先見の明を持ち、英明で世界の情勢に精通していたに違いない。
「お前の師匠とは、誰だ? お前を育てた軍師なら、慧眼の持ち主だろう。逢ってみたいな」
湯気の上がる白湯を口に運んでいた魔女は、皇帝の問いに器を置いた。
「エバンス・ルイグースって言う名前だよ。海岸で野垂れ死にかけてたところを、お父様が拾ったんだって。マリーノなんて最弱国に傭兵が雇われてくれるのは、師匠の人脈だったんだけど、聞いたことある?」
その名を聞いて、男は思わず飲んでいたワインでむせた。
「ルイーグスだって?」
「ルイグースだよ」
げほげほとむせ込みながら、皇帝はどっちも一緒だと言うように手を振った。
「北東のリリスの、軍人だ。鬼神とか魔王とか呼ばれてた、あのルイーグスがお前の師匠か」
「ルイグースだって」
だからそれは発音の違いなだけだと、皇帝は魔女の訂正につっこんだ。何が不服なのか、魔女が黙って頬を膨らませる。
「エバンス・ルイーグスの事なら、オレよりもジルドの方が詳しいだろう」
そう言って指示された初老の軍人へ、レアは視線を動かした。指示されたジルドは、苦々しい息を吐き出す。
「オレは初陣で一度対峙しただけだが、ジルドは長年リリスとの国境でやりあった」
「好敵手でしたな」
ジルドは頷きながら続けた。
「しかし、エバンス・ルイーグスは王に盾突いて一族ごと処刑されたと聞きました。それが生きていたとは…奴らしい」
険しかった初老の目に、懐かしさが揺れていた。厳しさを緩めた視線で、ジルドはレアを見る。
「で、奴は息災か?」
セイルが困ったように視線を落とすのを、レアは見ていた。
「3年前に、大好きな釣りに出て、船が転覆して死んじゃったよ。お父様が拾った時から右腕が不自由だったから、岸まで泳げなかったんだと思う」
「…」
突然のライバルの死に、ジルドは言葉を詰まらせた。
「軍人のくせに戦場で死にたくないなんて言ってたから、これで本望だったんじゃないかって、…思おうとしたんだけど…」
脳裏に、棺の花が蘇る。濡れた髪がそのまま張りつた、しわのあった額を思い出し、レアは奥歯を噛みしめて俯いた。
俯いた魔女が、一瞬泣いているのかと男は思った。膝に置かれた拳が微かに震えている。
が、レアは泣いてはいなかった。
「そっか。師匠はけっこう有名人だったんだ。色々納得した」
ぱっと上げた表に憂いはなかった。不自然なほどの笑顔で皇帝とジルドへ礼を口にする。
「パルマ殿がわたしなんかを婚約者にした理由が、師匠にあったなんて思わなかったよ」
副官セイルがギクリと身を強張らせていた。
マリーノにおいての軍家筆頭パルマ家。三人いる息子たちもみな軍人で、その二男と三年前に婚約が成立していた。
当時13だったレアに、そこへ至る大人のやり取りは一切知らされなかった。ただ、父も母も義兄も、その婚約を喜んではいなかった。それだけは分かった。
家族も、知己の軍人達も、レアを国の祭事からは遠ざけようとしていた。だから、レアもその意図を汲み取って、聞いてこなかった。
(でも、それがいけなかったのかな)
固いパンを咀嚼しながら、レアは内心でそう呟いた。