終わって、また始まって。
私は、栗里深夜。いたって平凡。朝陽と真昼っていう兄が居て、父と母が居て、小学校が異様に近い家に住んでいる。
お隣には第二の実家であるクリーム色の可愛らしい外装の家があって、そこには両親の大学時代の友人夫婦とその息子と娘が住んでいる。
姉の小柴六華ちゃんは茶髪に陶器みたいな白い肌を持つお人形みたいな美人さん。五歳年上。
そして、弟の小柴凰雅…通称オウガは同じく茶髪に白い肌のイケメン少年。同い年。さらに不幸なことに、誕生日が一日違いだった。
当然、私達は幼馴染だった。
物心ついた時にはもうオウガが居て、私が
「オウガくん」
って呼んで小さな手を出せば、
「みやちゃん」
ってオウガも手を握ってくれた。
オウガは自分の異様に強そうな名前が好きじゃなくて、似合っているのにその名前で呼ばれることを執拗に嫌がり、幼稚園の友達には皆「りゅうせい」と呼ばせていた。そんな中、私だけは「オウガ」って呼ばせてくれた。
ちなみに、「りゅうせい」はその頃の特撮ヒーローの名前である。
みんなが「オウガ」って呼んでもオウガは決して振り返らないのに、私は、私だけは「オウガ」って呼んでも振り返ってくれた。
(今思い返せば、先生が「オウガくん」って言うのも嫌がって私が間に入っていたのはめんどくさかった。)
だから、私は何かを勘違いしていたのかもしれない。
私はオウガにとって特別だって勘違いしていたのかもしれない。…否、していた。
ただ他の友達よりもたくさん一緒に居た幼馴染で家族同然だからこそ、オウガは「オウガ」呼びを許してくれたのだと思う。
自惚れていた私は、その事実に気付くはずがなかった。
小学校にあがると、さすがにオウガは「りゅうせい」の名を捨てた。
でもやっぱり「オウガ」は私だけの特権で、皆は「小柴」だった。
学年があがって、三年生ぐらいになるとみんな誰が好きとかそういう話題に敏感になる。特に、オウガはイケメンでスポーツ万能で、頭はちょっと残念だったけど、その持ち前の明るさとノリの良さで女子一番人気を誇っていた。
そして、女子たちは私だけが「オウガ」と呼ぶことが不快だったようである。
何度も呼び出しを受けて、何度も意地悪をされた。
ただ罵詈雑言を吐かれるだけなら軽く、酷い時にはゴミ箱を頭から被ることになったり、水を掛けられたりする。
でも私は耐えていた。俯いて、何をされても何も言わずに、すべてを受け入れた。
それは多分、私がオウガの事が好きだったからだと思う。
私もまた、学年の女子と同じく、オウガの顔と人柄に釣られた内の一人だった。
それから三年たって、私達は六年生になった。皆が最高学年に昇りつめたその開放感と責任感を味わっている中、私は絶望のどん底に居た。
きっかけは、春休み。…四月一日の日の事。
私は最早何のためらいもなく家とオウガの家の間にある柵を乗り越えて、オウガの家に遊びに来ていた。いつもと変りなく、小柴家はおしゃれな家だった。
アンティーク風に整えられたリビングで六華ちゃんとおばさんと談笑していたら、オウガが帰ってきた。
それからオウガが私が来ていることに気が付いた時の一言が、私の胸に刺さった。
「あれ?栗里、来てたの?」
「みや」じゃなかった。「みやちゃん」は卒業してたけど、「みや」は健在のはずだった。
奇跡的に五年間同じクラスだったオウガには、幾度となく「栗里」と呼ばれたことがある。でもそれは授業中の事で、大体「栗里さん」とかだった。
「栗里」なんていう言い方は初めてで、戸惑った。酷く動揺した。
“ただのクラスメイト”みたいな呼び方は、オウガが私を突き放しているようにも感じた。突然私とオウガの間に、見えない乗り越えられない柵ができた。
「お帰り、オウガ」
いつもと変わらない笑顔を、私は作れただろうか?
決して動揺していることを悟られたくなかった。だから、隠した。
何も気にしていない風を装って、「オウガ」と呼んだのは、私がオウガをこちら側の柵の中に引っ張っていたかったからだと思う。
決してオウガが「みや」呼びをやめても、私は「オウガ」と呼ぶ特権を持っていたかった。ただ、それだけの事だった。
学校生活が始まって、オウガはもう当然のように「栗里」と呼んでいた。私ももうそうオウガに呼ばれることに、慣れてしまっていた。
そんな私達の間にある雰囲気を察した友人は何事かと探ってきたけれど、
「何でもない」
で押し通した。
事実、何でもないこと。
ただオウガが私と距離を置きたがっている。それだけの事。
私が心を痛めてこれをチャンスと他の子がオウガに近づいて、「オウガ」呼びの特権を得ればいい。そして、もしオウガがその特権を別の女子に与えたのなら、私は「オウガ」呼びをやめる。そうすれば、「オウガ」呼びは変わらずただ一人で、私じゃなくなるだけなのだ。
その事実になんども胸を切り裂かれたけど、私は何も気にしていないという風に、日々を過ごした。
三学期になった。もうすぐバレンタインデーである。
オウガの誕生日はバレンタインデーで、私の誕生日はその翌日。
私は焦っていた。すぐオウガに彼女ができるだろうと思っていたのに、いっこうに彼女はできる気配がなかった。
私は当然の如く未練がましく「オウガ」呼びを続けている。
もういい加減、私としてもこの関係を終わらせたかった。
だから、ある計画を実行した。
計画は簡単。
バレンタインデー__オウガの誕生日に、オウガに告白する。
オウガがもし仮にOKをしたのなら、3ヶ月ぐらいで嫌われるようにする。そして、喧嘩別れをして何となくお互いに気まずくなって離れていくのを狙う。
振られたら、それはそれで気まずくなって離れていく。
どちらにせよ、私とオウガの間に距離が開くのはもう決定となったことで、その時期が早いか遅いかの違いだった。
告白をしようと考えたのは、私が最後にオウガに想いを伝えたかったから。
愛されなくても__好かれすらしなくても、もう一度だけ、オウガに「みや」って呼んで欲しかった。それが、私の中にある恋心の最後の望みだった。
そして、バレンタインデー当日。計画実行日。
久しぶりにオウガに一緒に帰ろうと声を掛けた。
空は、青く澄み切っていて気持ちよく、私の背中をそっと押してくれていた。
「これ、おじさんとおばさんと六華ちゃんに。」
手に下げていた紙袋の中から、チョコを三つ取り出す。
いつもなら放課後一回家に帰ってからオウガの家に行って渡すのだけれど、振られて気まずくなった時のことを考え、告白する前に渡してしまうことにした。
そして、もう一つ三つのチョコとは違う、少し豪華なチョコを取り出す。
心臓が、早鐘を打ち出す。
「オウガ、あのね…」
少し前を歩いていて、振り返ったオウガの顔を__瞳を真っ直ぐに見る。
「ずっと前から、好きでした…!」
そういって、チョコを少し前に出す。
一秒、二秒、三秒………。
「は?」
それだけだった。
それだけで、十分だった。
真っ直ぐに見ていたオウガの瞳が怪訝そうな…迷惑そうにも思える色に変わり、思いっきり顔を顰められる。
答えは、NOだ…!
「や、やっぱ迷惑だよね!ごめん!忘れて!!」
もう目を真っ直ぐ見る勇気は残ってなかった。
私は早口で言い切って、駆け出す。この場にこれ以上いるなんて、出来るはずがない。
家に駆け込んで、その勢いのまま部屋に入り、ベッドにダイブする。
部屋のドアが少し遅れてバタン、と閉まった。
知らずの間にグッと噛んでいた唇から力を抜き、体を起こす。
ゆっくりとベッドから降りてランドセルを下ろすと、壁に掛けてある姿見が目に飛び込んできた。そして、そこに映っている私の様に、驚く。
私は、泣いていた。
そのことに気付いたら、ずっと入っていた力が抜けて、すとんとその場に座り込んでしまった。
長年、好きだった。でもオウガは私の事なんて好きじゃなかった。全部、私の勘違いだった。
涙が後から後から流れ出てくる。顔を覆っている手の上を滑り落ちて、ラグにぽたぽたと染みを作っていく。
再び唇をグッと噛んで声を漏らさないようにして、ひたすら一人で静かに泣き続けた。
**********
あんなにも長く傍に居たのに、離れてしまえば何ともなかった。
今まで私は何をしていたのだろう、と自嘲の笑みが零れる。
あの日から、私の心にはぽっかりと穴が開いたままで、でもそれは振られたからじゃないと強がりをしていた。
明らかによそよそしくなった私とオウガ__「小柴」を不思議に思って、友人達や両親が聞いてくる。小柴がどう答えたかは知らなかったけど、私は
「けじめを付けただけだよ」
と答えた。
いつぞやの時みたく。
もう、幼馴染以上恋人未満はおさらばだ。
そして、今日は卒業式。
小柴の誕生日から約一か月。私は小柴を避け続け、必要以上の接触を避けた。
その結果、始めの頃こそ小柴は私を見て何か言いたげな視線を寄こしたが、今では廊下ですれ違っても何も言わず、目もくれないようになっていた。
「六年生の皆さん、卒業おめでとうございます。本日は___」
同じようなことを、延々いろんな人が話し続ける。
私はそれをぼうっと聞き流して、これからの身の振り方について考えていた。
中学は告白の計画を思いついた時期が遅すぎて、中学受験に間に合わなかった。でも、高校は絶対に小柴とは別の所に行きたい。
小柴はスポーツ万能だが、頭は良くない。だから、頭の良い進学校を志望校にする事が一番の安全策だろう。そして、そうと決まれば遊ぶ時間などゼロに等しい。
私はこの日、勉強漬けの毎日を送ることを決めた。
中学に入学して、六年連続同じクラスだった私たちの縁は、とうとう切れた。
もとより三校が合流しているので、クラス数も多い。私は8組、小柴は2組だった。
クラスが違うと一日の間に顔を合わせることもめっきり減って、私と小柴の仲はますます離れた。でも、家が隣なだけに登下校時に顔を合わせてしまうこともあった。
だから、私は朝は早く学校に行って勉強をして過ごし、夕方は小柴がテニス部に入ったのを良い事に部活に入らず帰宅して勉強をした。
すべては、小柴と別の学校に行くため。
ひたすらに、勉強をした。
結果から言おう。
私は、クラスで浮いた。
当然だと自分でも思う。中学生になってみんなが浮かれてはしゃいだり部活に入ったり恋愛をしている中で、ひたすら勉強しかしていなかった私は、当たり前のように「ガリ勉」のレッテルを貼られた。
最初のテストで満点学年一位を取ったら遠ざけられていた私は更に皆から遠ざけられた。
次のテストも、その次のテストも満点一位だった。
その辺りから、私は「ガリ勉」に加え、「根暗」のレッテルも貼られた。
でも、気にしなかった。
少しは心が痛んだ。でも、小柴に告白して、はっきりと振られた時の痛みよりは断然マシだった。むしろ、このまま居ないものとして扱ってもらった方が楽だとさえ思っていた。
…なのに。
夏休み明けから、私の生活は狂い始めた。
始業式の日。皆がまだ夏休みの余韻を残してダラけきった様子で登校している中。
学校前の一本道を歩いていた私にあの男が今さら声を掛けてきた。
「みや!!」
…終わった。
その声を聴いた瞬間、私はまだ三分の一の更に二分の一しか終わっていない中学校生活の終わりを感じた。むしろ、悟ったという方が近いかもしれない。
「…」
無言で振り返る。周囲の目が、痛い。
そこに居たのは、当然というかなんというか…小柴凰雅その人だった。
他二校が合流してきたのにも関わらず変わりなく一年女子の間で作られた「彼氏にしたい男子ランキング第一位」を守っている。(ちなみに、私に投票権は無かった)
そんな小柴が私を下の名前で呼んだのだから、登校している生徒の目を一気に集めてしまった。
「みや!一緒に行こう?」
私は全力で断ることにする。
最近では明るさにさわやかさが加わって「王子」と呼ばれ始めている彼と一緒に登校だなんて、何か起きる気しかしない。
「ごめんなさい、私あなたと知り合いですか?」
初めに、人違い作戦。
「みや」と呼ばれて反射的に振り返ってしまったため、これはうまくいく気がしない。
「うん。久しぶりだから分からない?幼馴染の小柴凰雅だよ」
笑顔で名乗られた。ついでに、幼馴染の事実もばらされた。
当然同じ小学校だった人は知っているけれど、私は眼鏡と伸ばした前髪で顔を隠してなるべく私が栗里深夜だと気付かれないようにしてたのに…!
幼馴染の事実を知った他二校の生徒がざわついた。
「なんか用?」
不機嫌を装う作戦。
「ごめん、久しぶりにみやと話したくなって。」
嘘つけ。
今まで全く気にかけてこなかったのはどこのどいつだ。
そして何気に名前呼びを普通の状態とするな。私はもう、小柴なんかと関わりたくない。
でも、目の前のこいつはにこにこしてるし…。てかこいつ、こんなキャラだっけ?…まあいい。こうなったら、最終手段だ!!
「すみません!」
「……あっ…ちょっ……!」
私は、全力で逃げた。
幸い学校はすぐそこだし、女子トイレにでも逃げ込んでしまえばいい。
後ろから声が追いかけてきたけど、小柴自身は追いかけてくる気はないようだ。
…ほらね。
奴はなんかの罰ゲームとかで私に話しかけただけなのよ。…うん。きっとそうだ。
私は急ぐ必要も無くなり、トボトボと学校に向かった。
昼休み。
私は給食をササッと食べていつもの様に図書室で勉強をしようと思っていた。
…なのに。女子数人にあまり人が来ない南校舎三階の女子トイレに連れ込まれてしまった。
「何の用ですか。」
冷静を装って問う。実際心臓は恐怖でどうにかなりそうだ。
私を囲んでいる女子たちは学年でも発言力のある子達で、私は少し苦手だった。
だって…
「あのさぁ。あんた、小柴君と幼馴染なの?」
こういう系の女子は、こぞって小柴の事が好きだから。
私は、当然の様に目の敵にされる。事実、小学校の時にされた嫌がらせもこういう系の女子の仕業だった。
「…はい。」
嘘をつきたかったけれど、ついたらついたでまた怖そうで、私はしぶしぶ真実を述べる。
パン!!!
突然、せまいトイレの中に乾いた音が響いた。そしてその直後に頬に鋭い痛みが走る。
私は少し遅れてリーダーらしき子に叩かれたことを理解した。
「あんたみたいな地味なのが小柴君の幼馴染だなんて、ぜんっぜん釣り合ってないのよ!」
聞きなれた、ヒステリックな叫び。くすくすと、取り巻きが笑う。
私は、馬鹿みたいに叩かれた頬を片手で押さえて突っ立っているまんまだった。
「…」
「…何よっ。なんか言ったらどうなの!?」
俯いて、肯定も否定もしない。それが、この人達にとっては一番良い対処法だった。
そして、丁度いいタイミングで予鈴が鳴る。
彼女たちは、急いで教室へと戻っていった。
私は、ずるずるとその場に座り込む。涙が零れそうで、ぐっと我慢する。
叩かれた頬が、まだ痛い。結構本気で叩かれたみたいだ。
…授業。行かなきゃ。
「…奴のせいで…!」
頬を冷やすために水道の前に立った私が見た鏡の中には、嫌悪と憎しみの感情を露わにした少女が映っている。
ちゃんと、分かってはいるのだ。
奴を責めることなどおかしいって。
…でも。
私ばっかり奴のせいで心を痛めるのは、理不尽だと思うんだよ。
そして、その感情は八つ当たりを引き起こす。…わかってる。私が、奴の幼馴染なんかになっちゃったからだ。
でも、でも…!
ぐっと、握っていた手にはくっきりと爪の跡が付いた。
**********
日に日に増える嘲笑いと嫌がらせ。
いろんなことをされた。でも、私は何もしなかった。
何をする気も起きなかった。
そして、
「みや!」
相変わらず、諸悪の根源の奴は話しかけてくる。
逃げたら追ってこないくせに、話しかける。すると、私がまた女子から憎まれる。
…そのパターンの繰り返しだった。
この二週間程度で、私は新たに「ビッチ」と「いじめられっ子」のレッテルを貼られた。
もう、全てが嫌だった。
勉強をすることもだんだん厳かになって、成績が下がる。
すると私はまた「無能」のレッテルを貼られるのだろう。
“いっそのこと、命を絶ってしまいたい”
そう思うほどに、私は傷つき、疲弊していた。もう、誰も信じられはしなかった。
そんな時だった。
学校帰りになんとなく家に帰りたくなくて、ぼんやりと駅前のベンチに座ってもみじの木を見ていた。まだ葉は青く、紅葉していない。
どれぐらいそうしていただろう。いつの間にか、空は暗くなり、星が瞬き始めていた。
「もう、自殺したい…」
ぽつりと零れた言葉だった。
蚊の鳴くような声で、さらに掠れていた。
当然、その声は駅前のさざめきに消えていくはずだった。
消えていくはずだった。
「なら、私の所に来なさい。」
「え…?」
突然聞こえた声に、視線を隣に移す。
そこには、綺麗な女の人が座っていた。
明るい茶色に染めた髪に、星のイヤリングをしていて、それはどちらもその女の人にすごく似合っていた。
凄く綺麗な人、それがこの先自分の運命を変えることになる人の第一印象だった。
「私は、片桐夢愛。夢を愛すると書いて、ゆあ。…その名の通り、私は夢を愛しているのよ。」
「…?」
「あなた、自殺した言って言ったわよね?なら、転校しましょう。」
「…??」
「私が学園長をする学園に来なさい。…夢未来学園に。」
「…???」
頭の中にはてながいっぱい浮かんで、何が何だか分からない。
転校…?夢未来学園…?
夢未来学園ってどこかで聞いたような…。それに、片桐夢愛さん?の事、どこかで見たことがある気がする。
突如、テレビCMが流れた。
キャッチコピーは、確か……
「『あなたの夢を応援し、その助けとなる未来を創る。片桐プロダクション所属夢未来学園。』」
思わず、口に出して呟いていた。
「夢未来学園って…まさか!あの!?」
「ええ。そうよ。」
夢愛さんは、微笑む。
夢未来学園。それは、芸能界に置いて若手教育に力を入れている片桐プロダクションの社長自らが創立した中学生~高校生の芸能人のための学園だ。
試験で入れるわけではなく、学園長自らがスカウトに出向き、それでようやく入学が認められるらしい。
「な、なんで…私が…?」
そう。夢未来学園は芸能人のための学園だ。
私みたいな顔もスタイルも平々凡々な私が入れる訳がない。
「そうね…。うちの生徒を『宝石』とするなら、あなたは『原石』よ。磨けば、十分に輝くわ。」
「それって…デビューするって事ですか!?」
「そうなるわね。話しが早くて助かるわ♪」
パニックであたふたしている私をよそに、夢愛さんは機嫌良さそうに笑った。
…にしても、私が芸能人になる?夢未来学園に転校する?
学校のワードを思い出し、脳裏に蘇るのは、つらい「いじめられっ子」である日々。
転校すれば、もう小柴とは関わらなくても良い?転校すれば、私はもういじめられない…?転校すれば、私は変われるのだろうか…?
結論は、最初から出ていた。
「私………たいです。」
「ん?」
「私…転校したいです!!」
ニコっと夢愛さんが笑った。まるで、欲しかったおもちゃを手に入れた子供の様に。
道行く人が、その美しさに振り返り、感嘆の息を漏らして通り過ぎていく。
「よろしい!それじゃあ、ご両親に話して、ちゃんと許可を貰い、明日のこの時刻にこの場所に荷物をまとめてきなさい。」
「え!?」
「うちの学園に来るんでしょう?うちは完全寮生活よ。大丈夫。転校手続きはしておくから!」
「…はい!」
私は、返事をした。その時、多分、私は久しぶりに笑えていた。
心が軽くなって、多少強引だとしても夢未来学園へ入学することは、私にとって何か大きなことをもたらしてくれる気がした。
「…予想以上ね。」
「え?何か言いました?」
「なんでもないわ。家まで車で送るわよ。」
「あ、ありがとうございます!」
ずっと、私は小柴が好きだった。でも、振られ、私の恋は終わった。
そして理不尽な扱いを受けた。
今度会ったら謝罪させてあっちの方から告らせてやる…!
ゆっくりと、体内で歯車が動き出した。
新たな目的を見つけ、「小柴」がなんの関りも無く生きていける世界も見つけた。
次は、私の番だ…!
何かが始まる予感に、私の心は久しぶりに浮き立っていた。
**********
とんとん拍子に話は進んでいった。もとより、濡れたりして帰ってくる私を心配してくれていたらしい家族は、この転校の話を快く賛成してくれた。
そして、私は荷物をスーツケースにまとめ、昨日と同じ駅前のベンチに座っている。
学校から帰ってすぐにここに来ているけど、夢愛さんはまだ来ていない。
「…みや…?」
突如、最近は再び聞きなれてきた奴の声がした。
驚き振り返る。そこには、まだ制服姿の小柴が居た。
「………何?」
無視をしようか悩んだけれど、私は結局返事をした。
「なんで、そんなに大荷物なの…?」
…ああ。そうか。
小柴は、私が夢未来学園に行くことを知らないんだ。
おばさんやおじさん、六華ちゃんには伝えたけれど、それも急なことだったからまだ小柴には情報が行っていないらしい。
「私、夢未来学園に行くの。」
「…え?夢未来学園って、あの…?」
小柴は、だいぶ驚愕している。
当然だろう。私自身も驚いているのだから。
「なんで、みやが…?」
そのセリフに、二ついら立ちを覚える。
一つは、私自身が十分承知してはいるが私が夢未来学園に行くことなど天地変異が起こってもない、といったような意味を言外に含んでいること。
二つ目は、自分から「栗里」と呼び始めたくせにいつの間にか勝手に「みや」で呼んでいること。
「分かってるよ。私みたいのは夢未来学園とは無縁だと思う。でも、学園長直々のスカウトを受けたんだから。」
「で、でもそんな素振り全く…」
「当然。だって、スカウトされたの昨日だもん。」
「え…?」
小柴は、ひどく狼狽えていた。
その様子を見て、私が小柴に大して覚えてきた理不尽な気持ちが少し消えた。…多分、私の性格はかなりねじ曲がっている。でも、少女マンガのヒロインみたいに、最後まで一人の人のために執着しているわけにはいかない。
「小柴さ、気付いてないでしょ。小柴のせいで、私は何度もいじめられてきたんだよ…?」
「え…?」
先ほどから、小柴はほぼ同じことしか言っていないように思える。
その時、私の携帯が震えた。夢愛さんからの連絡で、新幹線のホームで待っているとのことだった。
「小柴、もう行くね。」
俯いている奴にそう声を掛けてその場を去ろうとする。
けど、それはかなわなかった。
小柴は、唐突に私の手を掴んだ。
「…っ!」
その掴まれた手の強さに驚きながらも、私は緩く振りほどこうとする。
でも、小柴はその手を緩める気はないみたいだった。
「行くなよ!!」
大きな声に、駅前に居た人々が私達をじろじろ見ながら通り過ぎて行く。私も突然の大声にビクッと肩を震わせた。
「…え?」
少し遅れて気付いた言葉の意味に、私の頭の中に多くの疑問符が浮かぶ。
「なんでそんなところ行くんだよ。みやは俺の傍に居ろよ。俺のものになればいい。俺は、ずっとみやが…」
すごい剣幕でまくし立てる小柴。
その先の言葉も、私はわかった。昔は一番欲しかった言葉だけど、私はもうその言葉を欲していない。むしろ、私を絡め取りこの場に残そうとする鎖になってしまう。
…だから。
「好きだった?」
小柴がその続きを言う前に、さえぎって言った。
小柴から直接聞いてしまったら、昔の甘酸っぱい気持ちがよみがえってしまいそうで。小柴が言ってしまったら、小柴は私に執着してしまうような気がして。
「でも、私は振られたんだよ。」
ニコッと、笑う。
自嘲の意味と苦い過去を振り払うために。
「私は、小柴に恋をしてるだけでたくさん傷ついた。さっきも言ったように、いじめられたし、小柴が急に私の事を『みや』って呼ばなくなった時も傷ついた。振られたときは、本当に苦しかった。」
過去の心を、すべてさらけ出す。今なら言えた。もう今しか言えないだろう。
「でも、小柴は変わらず日々を過ごしてた。」
それは、段々私の存在が小柴の中で小さくなっていく様だった。周りの目から見てもそれは明らかだろう。
私が恋心を大きく育てれば育てるほど、小柴にとって私は小さな存在になっていった。
「…それは違う!いじめられたのは気付いてた。小学生の頃はそれで俺の事が忘れられなくなるなら良いって思ってた。中学の時も、俺が原因だって言うのは気付いてた。でもそれは、みやが勉強ばっかで全然家に来てくれなくなったから!最低だなっていう事にも気付いてた。でも、でも…!そうするしかなかった!!」
必死に、小柴が弁解する。
それが、本当の事なら私は見事に小柴の思うつぼだ。
「『みや』って言わなかったのは、あの日、エイプリルフールだったから!!噓ついて、傷ついたなら本当の事を言って告白しようと思ってたのに、みやはいつもと変わらないから、今さらエイプリルフールなんて言えなかった!」
「え…?」
小柴は、その頃から私の事が好きだった…?
小柴に比べて何もかもが劣っている私を、小柴が…?何かの間違いだとしか思えない。
「ずっと前…幼稚園の頃から好きだった!みや、だから…夢未来に行くな!!」
その言葉に、ずっと前に諦めてたはずの恋心が、目を覚ました。
なんで…私は小柴の言葉一つだけでこんなにも悩んだり、動揺したり…。
トクン、トクンと胸が鳴る。
「こ、小柴は…」
「違う。『オウガ』だ。」
ドキン、と一際大きく胸が鳴った。その高鳴りは、何度も何度も続く。
この恋心は、とっくの昔に捨てたはずだった。…けれど、捨てきれては居なかった。
真っ直ぐに見つめてくる小柴…オウガと目が合った。
その真摯な姿勢にますます胸が高鳴り、頬が紅潮していくのが分かる。
もうはっきりと分かった。
私はまだオウガの事が好きで、本当は心の奥深くで一番欲していた言葉をオウガからもらえた今。夢未来には、“行きたくない”って思ってる。それなのに、まだどこかで夢未来に憧れ、“行きたい”とも思ってる。
頭の中の天秤に、オウガと夢未来が乗ってゆらゆら揺れてる。ふりこみたいに、こっちに傾いたら、あっちに傾き、あっちに傾いたらこっちに傾き…といつまで経っても天秤の揺れは止まらない。
「こ…オウガ…、私…」
「深夜!」
途中、私の声が遮られた。
声のした方を振り返ると、そこには夢愛さんが居た。
「深夜、電車が来てしまうわ。一体どうしたの?」
「あ…夢愛さん…」
突然の夢愛さんの登場に、チラチラとオウガの方を振り返りながら、言葉を探す。
でも、良い言葉なんて出てきそうになかった。
「…みや、この人、夢未来学園の学園長?」
そんな私を察したのか、オウガが聞いてくる。
思わず私は反射的にコク、と頷いてしまった。
それを見て、夢愛さんも「ふぅん」と何かに勘付いたみたいだ。
「そうよ。私が夢未来学園学園長の、片桐夢愛。あなたが、深夜の『自殺したい』発言の根源ね。」
好意的ではない返しに、オウガが緊張したのが分かった。
私を挟んで二人がじっとにらみ合っている。その不穏な空気を拭おうにも、どうしたら良いのか分からない。
「単刀直入に言うわ。深夜、貴女はとても迷っているわね?大方、この男に告白でもされたのかしら。」
…驚いた。
まるで見ていたかのように事実を当ててしまった夢愛さん。
「でもね、深夜が夢未来学園に来るのはもう決まったこと。転校手続きだってしてしまったもの。」
オウガの目が僅かに開かれる。
夢愛さんはそれを気にする素振りもみせず、余裕そうに続けた。
「残念だけれど、もう深夜は夢未来学園の生徒。そしてそれを直結するまでにしてしまった原因は貴方。悔やむなら、昔の自分を悔やんでね。…それじゃあ深夜、行くわよ。」
まるでモデルの様に華麗に体を反転させて颯爽と歩いていく夢愛さん。
オウガはこちらを見て切なそうに顔を歪めていた。でも、さっきの夢愛さんの言葉が響いたのかもう止める気はないみたいだった。
「オウガ…ごめん。」
振り切るようにして背を向け、どんどん遠ざかる夢愛さんの背中を追いかける。
…多分もうオウガと会う機会はない。
一歩一歩を踏み出すたびに、なぜだか無性に罪悪感のようなものがこみ上げる。
「…みや。」
ポツリとオウガが呟いた。
駅前の雑踏の中で僅かに私はその小さな声を聞き取った。
「本当に………ずっと…好きだったよ。」
それだけだった。
さっきの様に強引でもなく情熱的でもない。
でもそれだけで、痛いほどオウガの気持ちが伝わってきた。ぐっと喉元に何かが込み合げる。
私は、私は…!
刹那、私は振り返ってオウガの元へ駆け出した。
「オウガ!」
「深夜!?」
後ろから、夢愛さんの声が追ってくる。
私は走った勢いのまま、オウガに抱き着いた。
「私もずっと、好きだった!諦めたと思ってたけど、まだ好きだった!!夢未来には行かない。オウガの、傍に居たい!!」
いつの間にか頬に涙が伝っていた。
昔よりはるかに硬くたくましくなった胸板に頭を押し付けギュッと抱きしめる。
もう、放したくなんてなかった。
「み…や……!」
オウガも、恐る恐る抱きしめ返してくれる。
ふと上を見上げれば、オウガも泣いていた。
「…そろそろ、良いかしら?」
泣いて、だいぶ落ち着いたところで夢愛さんの声がした。
見れば、ずっと待っていてくれたようだ。
すっと私は前に出る。
そして…腰を直角に曲げて謝った。
「ごめんなさい!私はやっぱりオウガと離れたくないです!夢未来に行く話は、白紙にしてもらえませんか?」
「俺からも、お願いします!」
オウガも隣で腰を折っている。
そんな私達を見て、夢愛さんはこう告げた。
「残念ながら、深夜。あなたが夢未来に来ることは決定事項よ。」
「そんな…」
その言葉に、“絶望”の二文字が頭をよぎった。
でも夢愛さんの言葉には続きがあった。
「でも…小柴凰雅。あなたも夢未来学園に来なさい。」
「「え?」」
私とオウガの声が重なる。
「もとより、そのつもりで貴女をスカウトしていたし、貴女のその顔は彼あってこそだわ。」
驚いている私達を他所に、夢愛さんはウィンクする。
夢愛さんは、最初から何もかもお見通しだったのだ。
「ふ…ふふ…」
すべてが分かり、安堵すると笑いがこみ上げてくる。
「ふふふふふふ!」
オウガと離れなくても良くて、夢未来学園にも行ける。
これ以上ない結末に、私は笑い、全てを流した。
「任務、完了。」
人知れず呟いた夢愛さんの声は誰にも届かず、雑踏に消えていく。
キラリ、と夢愛さんのイヤリングが輝いた。
ありがとうございました( *´艸`)
あえてここで終わりました。
多分続きで連載をやります。そこで謎も解ける…はず。