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第五話

 低い位置にある太陽がオレンジ色に輝き、アルバートは目を細めた。西に向かっているため、直接と言って良いほど夕暮れの太陽の光が差し込むのである。

 荒れた山道を抜けると自然豊かな道へと入った。

 だが、あまりにも自然豊かすぎる、完全な森林であった。道は舗装されていないし、膝までとは言わないものの、すね辺りの高い位置まで雑草が伸びている。だが、ここをそれると腰ほどまで草が伸びているので、かろうじてこれが道であることがわかる。道は間違えていないようだ。

 木々は生い茂り、日光を遮断する。だが、隙間から漏れるそれがかえって光度を高めて眩しかった。

「ちょっと、本当に合ってるの?」

 リタは不機嫌そうに言う。道とは呼びがたいそれを歩き続け、いささか苛立っているようだ。このような道は歩きなれていないのだろう。

「合っているはずです。ですが、もともと、この道は通る予定ではなかったので、想定外の道を通っているのはたしかです」

 もともと王都に行く予定はなかったアルバートだが、リタを送り届けるため、そして、師匠の手がかりをつかむために、王都へ向かうこととなった。

 だが、今まで彼が進んでいた旅路は王都とは別の方向であった。真反対ならば引き返せば良いのだが、中途半端に方向がずれていたため、進路の変更を余儀なくされたのだ。

「それって、迷子って言うんじゃないの?」

「予定と違う道を通ることと、通っている道がわからないことは同義ではありません。この先に小さな村があるはずです」

「ならいいけど……。ほら、森には魔女が出るって言うじゃない?」

 彼女は少し顔を顰めて言った。

「魔女、ですか。魔術を悪用して人々の生活を脅かす、あるいは人との接触を断ち研究に没頭する、などといったはみ出し者のことですか?」

 いささか説明口調になってしまったが、魔女というものは存在そのものが不確定で、個人の印象に左右される。魔術と無縁の人などは、女性の魔術師全てを魔女と言ってしまうことさえある。定義をしっかりしておかなければ、会話が成り立たないのだ。

「そう、それ。森に迷い込んだら魔女に攫われちゃうって、子供のころに躾けられて怖かったわ」

「そう言った変わり者の魔術師がいるのは事実でしょうけど、森にいるというのはどうも迷信じみてますね。魔物に出くわすと言った方がまだ信憑性がある気がします」

「そうかしら。それより、アル。その腕どうするの?」

 リタが尋ねる。

 アルバートは今、左腕を出現させている。長いコートに手袋をはめているため、それが光り輝く魔力の塊であることは伺い知れない。

 もともと腕を出現させていた右側のコートの袖は、山賊に斬り飛ばされていて、今はすっぽりなくなっている。

「しばらくはこちらで生活します。さすがにあの腕を晒す気にはなれません。村に服飾店があれば良いのですが、小さな村には期待できません。せめて、この血を何とかしたいのですが」

 コートは右の袖がないだけでなく、山賊の返り血を浴びて汚れていた。できる限り拭い取ったのだが、それでもシミにしては大きすぎる赤褐色の汚れがあちこちにこびりついていた。

 だが、彼女はそのことには関心がないようで、じっと左腕を見つめると、言った。

「動かしづらいとかないの?」

「多少、ですね。そこは慣れの問題です。聞くところによると、普通の人には利き腕というのがあるようですけど、僕にはそれがわかりません。両腕だと負担が大きいので、片方だけ、ならば大多数がそうである右腕を選んだだけですから。まあ、そうしていると左の操作勘が鈍ってしまいますけれど、それでもどうやら一般の人が利き腕とは逆の腕を使うよりは、はるかに楽なようです」

「利き腕が、ない? どうやって動かしてるの?」

「難しい質問ですね、それは。では、あなたはどうやって腕を動かしているのですか?」

「ああ……」

 質問の難しさがわかったらしく、彼女は言いよどむ。

「僕はそもそも腕があった時期をほとんど覚えていないのでよくわかりませんが、あなたが腕を動かすときの感覚と、あなたが魔術を発動させるときの感覚を混ぜ合わせたような感じでしょうか」

「えと? ……よくわかんない」

「でしょう。僕も人に説明できるほどよくわかっていません」

 アルバートは師匠に拾われた直後のことを思い出す。それは十年の月日を経てほとんど風化していたが、辛かったことだけは覚えている。それは師匠の指導の厳しさだけではなく、腕を生やす、腕を動かすといった感覚をつかむのが非常に困難だったことに起因する。無から有を産み出すような感覚。痒い背中に手が届かないようなもどかしさ。それを一瞬だけ思い出した。

「何でもそうです。感覚的なことは教えられても良くわからない。わかったとして、今度はなかなか教えられない。何とか教えたとしても、わかってもらえない。そのようなものです」

「ああ、それわかるわ。私も後輩によく、魔術指導してって言われるんだけど、なかなかうまくいかないのよね」

「そうでしょう。教える、教わるというのは非常にデリケートで矛盾じみています」

「ところでさ、両腕を出したらどうなるの?」

「まず、精神的に疲れます。両腕で違う動きをさせようとすると特に。やがて、肉体的に限界が来ます。以前に、何とか両腕で生活できないかと試したことがありますが、三時間ほどで腕が出せなくなりました。どうも、単純に魔力の消費量が二倍になるわけではないようです。その日一日は腕なしで過ごすはめになりました。今なら、もう少し持つかもしれませんが、半日は持たないでしょう。さて、着きましたよ」

 木々に覆われていた視界が開けてくる。草だらけだった道は、あまり舗装されていないとはいえ、土の道に変わり随分と歩きやすくなった。草原の先に民家の集合体が見える。その集落を囲むようにして大きな畑が広がっていた。

「あれが、そう?」

久々の西日にリタが目を細めて言う。

「ええ、たしか、ラズ村でしたか。小さな農村です」

「ああ、もう、疲れた! 暗くなる前に早く行きましょ」

 リタが駆け出す。

 走る彼女を見つつも、アルバートは歩いていった。

 そこは想像通り小さな村だった。レンガで作られたような家は一つもなく、木造の家が一軒一軒が距離を隔てて建っていた。大きな町のようにメインストリートがあるわけでもなく、バラバラに建てられている。

「宿があるといいのですが……」

 思った以上に規模の小さな村だったので、宿というものが存在するかどうか、アルバートは不安になった。

 日没直前だからだろうか、人通りはほとんどない。宿の場所を聞くこともできず、仕方なく自力で探すこととなった。

 宿の表記を探すが、見つからない。ほとんど日が沈んでしまったところで、ようやく村人を見つけた。

「すみません。この村に宿はありますか?」

 アルバートが尋ねたのは中年の男だった。がっちりとした体格だが、やつれているようにも見える。

「あんたら、旅の人かい?」

 男はしゃがれた声で言った。

「はい、そうです」

「あっちにあるよ……」

 男はある方向を指差した。

「ありがとうございます」

 アルバートが礼を言うと、黙って男は去っていった。

「あの人、何か疲れてたね」

 リタが男の背中を見ながら言う。

「仕事とはそういうものでしょう。行きますよ」

 二人は男が指した方向に歩き出す。

 ほどなくして、他の家と比べて大きめの建物が見えた。近寄るまでわからなかったが、しっかりと宿の看板も立っている。

 扉はギシギシと軋んだ音を立てて開いた。

 カウンターには人はいなかったが、やがてドタドタと部屋の奥から誰かが走ってくる音が聞こえた。

「あら、お客さん?」

 小太りの女性が出てきた。アルバートたちを見ると目を輝かせるようにして言った。

「一晩泊めていただきたいのですが」

「そりゃあ、もちろん。うちは宿屋ですからね。でもちょっと高いわよ」

「手持ちはそれなりにあります」

「そう? 一晩三百グランだけど」

「三百!?」

 そう叫んだのはリタだ。

 昨日二人が泊まった安い宿で一晩百グラン。三百グランならば、前の町で大通りに面した宿にも泊まれるだろう。小さな村の宿の相場ではない。

「ちょっと、高すぎよ。他のところ行きましょうよ」

 リタがアルバートの袖をつかんで引き寄せると、小声で言った。

「残念ながらこの村にはここしかないのよ」

 彼女の声が聞こえたのか、はたまた仕草から解釈したのか、そう言う女性の表情は暗い。さすがに高いことを自覚し、申し訳なく思っているのだろう。

「わかりました。仕方ありませんね。払いますよ」

「一人、三百だよ」

「ええ、もちろん」

 アルバートは財布から百グラン硬貨二枚と五十グラン硬貨二枚を払った。

 ふとリタが恨めしそうにこちらを見ていることに気がついた。アルバートはため息をついた。

「気持ちはわかりますが、僕には女性と言えどお金を融通する余裕はありません。あなたも、ひと月旅をしたのでしょう? ならば、わかるはずです」

「わかってるわよ! うう……」

 リタは財布から百グラン硬貨三枚を支払った。

「はい、たしかに。ごめんなさいね、ちょっといろいろあって」

 彼女は顔に影を落とす。

「何かあったんですか?」

「いえ、何でも」

 リタが心配そうに尋ねるが、女性ははぐらかすだけで答えなかった。

「まあ、よそ者の僕たちには話せないこともあるのでしょう。深くは聞きません。部屋はどこですか?」

「ああ、はいはい。案内しますよ」

 内装は、昨日の宿と同じくらい質素だったが、綺麗に清掃が行き届いていた。

 二人の部屋は二階に三部屋あるうちの二部屋だった。

「この村には旅人は良く来るんですか?」

 部屋を案内されて女性の去り際にアルバートは聞いた。

「いやあ、全然。見てわかるとおり何もない村ですから。たまたま通りかかった人が泊まっていくくらいで。昼間だったら素通りですよ」

「なるほど。話は変わりますが、この村で一番人が集まる場所はどこですか?」

「そうねえ。裏に、村の人が使う酒場がありますよ」

「ありがとうございます」

 彼が礼を言うと女性も頭を下げて階段を下りていく。

「さて、あなたはどうします?」

 アルバートは部屋に入ろうとするリタに聞いた。

「私、もう疲れた。お腹減ったけど、もう寝たい」

 彼女は目を細めてだるそうに言う。

「そうですか。では、僕は酒場に行って情報収集でもしてきます」

「情報収集?」

「ええ、師匠の」

「行く!!」

 目が覚めたように姿勢を正してリタは言う。その変わりようにアルバートは内心で呆れていた。

「まだ、諦めてないんですか……」

「事のついでよ。何、私がいちゃいけない? いいわよ。私は別にご飯を食べに行くだけだから」

 リタは身を乗り出して言う。迫られたアルバートは後ずさるしかなかった。

「わかりました。わかりましたから、怒らないでください」

 二人が宿を出ると、辺りはもう暗かった。月明かりと、建物の窓から零れるかすかなランプの光だけを頼りに歩き出す。

 目的の酒場は文字通り宿の裏にあり、すぐに見つかった。中から騒がしい声が聞こえてくる。

「賑わってるわね」

 二人が扉をくぐると、大勢が振り返り静まり返った。おそらく、見慣れない来訪者に困惑しているのだろう。

「すみません。旅の者ですが、お邪魔でしたでしょうか?」

「いえ、そんなことありませんよ」

 そう言ったのはカウンターの奥に立つ男だった。マスターのようだが、特にそれらしい服装ではなく、長袖のシャツを着た、一般的な服装だった。

 二人がカウンター席に着くと、テーブル席の方で会話が再開された。だが、二人が来る前からすると八分目といったところで、時折二人の方へと視線が注がれていた。

 滅多に来ないという旅人。さらに隻腕の男と美女という奇妙な組み合わせ、加えて二人とも幼く十代ほどにしか見えないとなれば注目の的となるのは無理もない。

「……やはり、少し高いですね」

 メニューを見てアルバートが言う。どの料理も相場の倍ほどの値段だった。

「すみませんね。いろいろありまして」

「それ、宿のおばさんにも言われたわ。何なの? この村で大変なことでもあるの?」

 リタが顔を顰めて問う。

「いえ、まあ。いろいろとですよ。不満なのは申し訳ないですけど、これより安くはできませんよ」

 仕方なく我慢して注文を済ます。アルバートは料理が来るまでに聞くべきことを聞いておくことにした。

「人を探しているのですが」

「人? この辺じゃ旅人は滅多に来ないよ」

 手を動かしながらマスターは言う。

「もしかしたら、という可能性もあります。 真っ赤な髪の男です。男にしては長髪で、背は高いですね。左右のどちらかの目に眼帯をしています。実年齢は四十五ですけど、たぶん三十くらいに見えます」

「さあ……。そんな目立つ人がいたら覚えてると思いますけどね。ちょっと待ってください。ゴーロ!」

 マスターが呼びかけるとテーブル席で酒をあおっていた男が振り向いた。体格の良い中年の男だ。

「呼んだか、マスター?」

 男は立ち上がってカウンター席に寄って来るとアルバートの隣に腰かけた。

「旅の方が人を探してるそうだ。お前、村の入り口に近い畑だから素通りの旅人も見かけるだろう?」

「さてね、全部見てるわけじゃねえからな」

 男は顔は赤くなっているが、口調ははっきりとしていて、見た目よりは酔いが回っていないようだ。それでも近くまで来ると酒のにおいがプンプンする。

「赤い長髪の男です。眼帯もしています」

「そりゃあ、目立つなあ。……だが、知らねえな」

「そうですか……」

「にしても、赤髪かあ。派手な髪の色たあ、森の魔女みたいじゃねえか」

「魔女!?」

 その単語にいち早く反応したのはリタだ。

「ゴーロ!」

 叫びにも近い声でマスターが窘める。彼はゴーロを睨んだ。

 その声にゴーロはビクッと体を震わせた。体格の良い彼だが、それが小さく見えた。

「わ、悪ぃ……」

「もういい、戻れ」

 マスターが言うとしょんぼりとして彼はテーブル席へと戻っていった。

「すみませんね、お客さん。変なこと言って」

「あの森には魔女が住んでいるの?」

 リタの問いにマスターは眉を顰めた。やがてため息をつく。

 彼は語りだした。

「……ええ。彼女が森に住みついたのはもう何年も前になりますかね。それからです。生活が変わってしまったのは。

 彼女は村人を脅しました。毎月決まった額のお金を収めろと。それが無理ならば生贄を寄越せ。滞るようならば村を消す、とね……。

 その金額が絶妙なのです。生かさず殺さず、と言ったところです。餓死するほどではない。けれど、決して軽々と収められるような額ではない。自然と物価は向上します。その結果がこれです」

 マスターは料理を差し出す。穀物と野菜中心のもので、肉や魚はほとんど入っていないようだ。内陸の小さな農村ではただでさえこれが限界なのだろう。

 だが、これが相場の倍の値段というのはいささか不満に思う者は多いはずだ。

「魔女の目的は何なのでしょう?」

 アルバートは言った。

「目的、ですか?」

「お金を収められないのならば、生贄を、というのは不思議なものですね。魔女の目的がお金ならば、人間を得たところで得はないでしょう」

「人体実験じゃないの?」

 リタは首を傾げながら答える。

「それならば、貢ぎ金をもっと高くしないと意味がありません。入るのがお金ばかりでは実験のしようがありませんよ。今までに生贄として差し出されたという人はいるのですか?」

「いえ、村人は一人も……」

「でしょう? お金も生贄も欲しい、それならば半々、とまではいかずとも、ある程度の割合で入ってくるくらいがちょうど良いはずです。では、生贄というのは何なのでしょう? 単なる抑止力? ならば、『村を消す』だけで良いはずです。まあ、すぐに村を消してしまうというのも短絡的ですが。それでも生贄というニュアンスが気になりますね。払えなければ殺す、とでも言われたほうがまだわかります」

「さあ? もう、わからないわ……」

 リタは肩をすくめた。ちょうどコーヒーが運ばれてくる。

 それを一口飲んでアルバートは言った。

「まあ、僕には関係のないことです」

 マスターは黙っていた。

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